白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第六章 迷宮の魔女

第43話 霧の向こう側へ

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「あなたたちは、聖都を去りなさい」

 馬車を降りると、クリスティーは告げた。
 人気のない郊外の空き地に、四人の逃走者の姿がある。

 あれだけの死線をくぐり抜けて、誰にも怪我らしい怪我はない。 
 追跡の苛烈さを思えば、奇跡という他ない。
 とは言え──馬車は、惨憺たる有様だ。

 客車のガラスで、無傷なものは一枚もない。限界を超えた走行の連続で、車輪は外れかかっている。
 これ以上、馬車で逃走するのは難しいだろう……

「心配はいらない。安全に脱出できるように、協力者が手配してくれているわ」
 
 クリスティーの口ぶりは、全てが予定通りであるかのようだ。
 処刑人の魔手から、逃れられる。
 ベネットは安堵し……いや、思い直したように首を振った。
 まだ、やるべき事が残っていた。

「私は、聖都を去らない」 

 決意を込めて、そう口にする。
 そして短剣を抜くと、クリスティーの鼻先に向けた。

「凶音の魔女、地下牢から救い出してくれたことに、礼を言う」
「感謝を表現するにしては、随分と個性的な方法ね?」

 刃を突きつけられて、クリスティーに動揺の色はない。

「やめなさい」

 魔女はベネットの目を真っ直ぐに見据えると、厳とした声を発した。 
 だがそれは──少年に向けたものではない。

 ビクリと肩を震わせたのは、馬車の脇に立ったエレンである。
 栗色の髪の少女は、ジャケットの中へ伸ばした手を止めた。

「無事に逃げおおせた後、駆逐してもいいと言ったものね。いいわ、約束ですもの。駆逐なさい」 
「先生! 駄目です!」 

 両腕を広げて見せたクリスティーに、エレンが悲鳴を上げた。

「ベネットさま、この方を傷つけてはいけません」

 ソフィアの小さな手が、背中に触れる。
 ベネットは──短剣を引かない。
 微笑みを絶やさない魔女を、油断なく睨みつけた。

「──凶音の魔女」
「クリスティーよ」
「……クリスティー……ひとつ訊く。アルヴィン師は、あなたと内通して教会を裏切った──事実か」
「最初は敵、次は取引相手、今は仲間かしら? 私は母を救うため、彼は復讐のために手を組んだわ」

 クリスティーはダークブロンドの髪をかき上げながら、答える。
 少年の瞳が、動揺で揺れた。

「復讐? アルヴィン師が……誰に?」
「それは個人の事情というものだから、私からは話さない」
「教会なのか」
「知りたければ、本人に訊くことね。でもね、聖人君子ぶった教会の指導者たちが、地下で何をしていたのか、あなたは見たはずね?」

 地下での、おぞましい光景が脳裏に蘇り──悲痛な思いがこみ上げた。
 教会は、正義だ。
 そう信じてきた…… 

「さあ、話は終わり。ぼやぼやしていたら、また追っ手が来るわ。早くしてくださる?」
「──分かった」

 ベネットは、重々しく息を吐き出した。
 鋭く踏み込み、短剣を一閃させる。

「先生!」  
「ベネットさま!」

 悲鳴が上がった。
 同時に甲高い金属音が響き、何かが地面に突き刺さった。
 それは──クリスティーの首ではない。

 クロスボウの矢だ。

 物陰に潜んだ処刑人が放った一矢を、ベネットが弾いたのだ。
 すぐさまエレンがジャケットに忍ばせた拳銃を抜き、応射する。

「ほんと、油断も隙もない連中ね」

 崩れ落ちた処刑人を一瞥して、クリスティーは心底呆れた声をあげた。
 死に直面したというのに、その顔は、どこまでも涼しげだ。
 ベネットが彼女を守る──そう確信していたかのように見える。

 ──最初から、見透かされていたのか。
 観念したように嘆息すると、短剣を下ろした。

「──教会は、間違っている」

 ベネットは、視線を地面に落とした。
 そして、声を絞り出す。

「でも私は……非力だ。ひとりでは、立ち向かえない。力を貸して欲しい」
「あらあら。教会を正すために、魔女と手を組むっていうの?」

 白く優美な手を頬に添えると、クリスティーはわざとらしく、困ったような表情を浮かべた。

「彼はどう思うかしら? 大事な弟子を巻き込んだと知ったら、私が叱られちゃうかも」
「……アルヴィン師には、私から話す。それに、手を組んでも、審問官の矜恃を捨てるわけじゃない。おかしな真似をすれば、すぐに駆逐するつもりだ」
「良い心がけね。じゃあ、手を貸してあげる。全ての決着をつけましょう」

 言って、クリスティーは微笑んだ。

「──決着?」
「もうじきアルヴィンが戻ってくるわ。聖櫃への、しるべを持ってね。その時が、私たちと教会の、決着の始まりよ」

 クリスティーはそう言うと、聖都の街並みへと視線を転じた。
 風が吹き、霧が流れて行く。
 遠くの空がうっすらと、白み始めた。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆




「──役立たずがっ!」

 怒声が地下に反響した。
 処刑人の顔を殴りつけたリベリオの怒りは、収まらない。うずくまった男の腹を、さらに蹴りつける。

「ネズミを取り逃がしただと? どの面を下げて帰ってきた!?」

 震え上がった部下たちを前にして、リベリオは顔を赤黒く染め上げる。
 差し向けた追っ手は、彼らの専売特許であるはずの暴力によって、ことごとく返り討ちにされてしまった。
 処刑人の面子は、丸つぶれである。

「グングニルを持ってこい!」

 リベリオの声には、不穏な響きがある。

「審問官リベリオ、あれは会主のお許しがなければ──」

 一歩進み出てた処刑人の諫言は、不自然に中断された。
 額を、撃ち抜かれたのだ。

「さっさと、持ってこい!!」

 硝煙を上げる拳銃を手にして、リベリオは咆哮する。
 蜘蛛の子を散らしたように、男らは走り出した。

 地下の中央に、赤く混濁した、毒々しい液体を満たした穴がある。
 そこから、幾本もの鎖で繋がれた、棒状の何かが浮かび上がった。 
 それは──赤い槍だ。

 リベリオは、笑った。

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