白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第六章 迷宮の魔女

第44話 死へと至る扉

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 空気は淀み、不快にまとわりつく。
 身体は、鉛のように重い。

 アルヴィンの眼前には、らせん状に巻いた廊下が伸びていた。
 銀のプレートがついた黒い扉が、両側に配されている。
 そして──少し離れた場所に人影を見出して、心臓の鼓動が跳ねた。

「──フェリシア! エマ!」

 声に、銀髪の女が顔を上げた。アルヴィンに気づき、手を振る。

「アルヴィンっ!」

 懸命に、二人へと走り寄る。
 酸欠に冒された身体はフラつき、気持ちばかりが先走る。
 ようやく再会を果たして、アルヴィンは安堵の息を漏らした。

 フェリシアと三つ編みの少女に、怪我はないようだ。
 だが、顔色はすぐれず、呼吸も荒い。フェリシアの快活な顔立ちには、影が差している。

「……探したんだよ! 無事で良かった」
「心配をかけてすまない。僕のミスだ」

 元より、離ればなれになった原因は、自分の判断の甘さにある。 
 アルヴィンは二人に詫びる。

「キミの責任じゃないよ。それより、どうやって、ここに……?」
「白き魔女に会った」
「白き……魔女?」

 怪訝な表情をフェリシアは浮かべた。
 彼女は、白き魔女を知らない。当然、といえば当然の反応である。 
 アルヴィンは、事情をかいつまんで話す。

「僕が以前から追っていた魔女だ。いや、本物ではなかったんだが……この扉をくぐれば、再会できると教えてくれたんだ」 
「魔女がかい……?」

 戸惑ったように、フェリシアは聞き返す。 
 その隣で、少女がスッと目を細めたことに、アルヴィンは気づかない。
 急ぎ確認すべきことがあった。

「──フェリシア、オルガナの記憶は?」

 幸いにも、禁書アズラリエルは彼女の腕の中にある。
 それは、世界の記憶が記された書だ。 
 だがフェリシアは、力なく首を振った。

「まだなんだ。もう少しかかる──でも猶予は、なさそうだね……」
「そうか……」

 アズラリエルに記されたオルガナの記憶こそが、迷宮から脱するための鍵だ。
 アルヴィンの声は、落胆で沈んだ。  

 息苦しさは増し、直ぐ近くにまで迫った、死の足音が感じ取れる。

 額に、冷たい脂汗がにじんだ。
 ふと脳裏に──魔女の言葉が甦った。

「白き魔女は……6174番の扉が外に通じていると言った」
「6174番……? でも、この中から……どうやって?」

 フェリシアは言いながら、果てしなく続く廊下へと目を滑らせた。疑念は、もっともだ。 
 残された時間は少ない。
 途方もない数の扉から一枚を見つけ出すなど、もはや不可能である。

 外へと繋がる扉の番号が分かったところで、生還が約束されるわけではない。
 状況は、絶望的だ。
 これで終わりなのか……

 ──いや、諦めるな!

 アルヴィンは心中で、自分を叱咤した。
 考えることを止めれば、全てが終わってしまう。 
 肩で荒い息をしながら、記憶の糸を懸命に手繰り寄せる。

 この迷宮に入って最初にくぐった扉は、1992番だった。
 それは8622番へ変化し、さらに6354番となった。

 ──無作為に、変化するのか……? いや、法則があるはずだ……何だ……何だ、考えろ、アルヴィン!

「6174……6174……」

 汗が頬を伝い、床に落ちる。

「まさか……」

 ハッとして、アルヴィンは顔を上げた。

「アルヴィン……?」
「カプレカー……これは、カプレカー定数だ!」

 苦しげな呼吸と共に、吐き出す。

「そ、それって……?」
「整数の桁を並び替えて、最大に並び替えた数字から、最少に並び替えた数字の差が、次の部屋番号になるんだ!」

 アルヴィンは一息で言い切り──遅れて、呆気にとられたフェリシアの顔に気づく。

「……最初の扉は、1992だった。最大にした9921から最少にした1299との差が、次の部屋番号……8622になる」
「でも……それが分かったからって、何になるんだい……?」

 彼女の指摘は、もっともかもしれない。
 確かに、次の部屋の番号を知る法則を明らかにしたところで、今更何になるというのか──
 だがアルヴィンの声は、力強さを増した。

「これは、特殊な定数なんだ。……どんな数字でも、計算を繰り返せば──必ず、6174になる」
「だとしたら……」
「どれか一枚、なんじゃない。全ての扉が、外に繋がっているんだ!」

 それが迷宮の、隠された法則だった。
 1111の倍数以外の四桁の整数なら、どれを選んでも、最終的に6174へと至る。 

 無数の扉の中から、出口に繋がる一枚を探す必要など、なかった。 
 同じ扉を使い、出入りを繰り返すだけで良かったのだ。

 法則は解けた。
 後は、時間との勝負だ──
 酸欠にあえぎながら、最も手近にある、5355番の扉に近づく。

 目がかすむ。
 次第に強くなる頭痛に耐えながら、アルヴィンは扉を開けた。
 移動すると、番号は1988番に変化した。

 身体が重い……
 限界は、すぐそこにきていた。 
 泥の中をもがくように、さらに移動する。
 次は──8082番だ。

「くっ……」

 あと何回、扉を移動すれば良いのか……?
 もし途中で、日の出を迎えてしまったら……?
 そもそもカプレカー定数など思い違いで、存在していなかったら……?

 三人はここで、窒息死するしかない。

 いくら息を吸っても、苦しさは和らがない。
 焦りが、呼吸苦を悪化させる。

 息が──

 フェリシアが失神し、崩れ落ちた。
 咄嗟にアルヴィンは抱きかかえ──支えきれない。
 二人は倒れ込むようにして、次の部屋へと入った。

 すがる思いで、プレートを見る。
 刻まれている数字は──8532番だ。

 身体の力が抜け、アルヴィンは床にひれ伏した。

 ──これ以上は、進めない……

 フェリシアは意識を失い、進むこともままならない。
 限界だった。
 その時だ。 

 小さな手が、アルヴィンの頬を打った。

「……っ!?」

 遠のいた意識が、痛みと共に引き戻される。
 アルヴィンを、静かに見下ろしていたのは──エマだ。

 ──まだだっ!!

 よろよろと手を伸ばし、アルヴィンは扉を押し開ける。
 もはや立ち上がる力もない。
 フェリシアを引きずるようにして、次の部屋へと這う。

 あえぎながら見上げた扉には──金色のプレートがついていた。
 刻印された数字は、6174番……だ。

 ──6174……!

 アルヴィンは最後の力を振り絞ってノブに取りついた。
 扉が、開いた。

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