白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第七章 災厲の魔女

第52話 美少年と強欲男 2

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 互いの剣先が触れたのは、一瞬だ。
 機先を制したのは、エウラリオである。

 ウルベルトに剣の心得があるなど、聞いたこともない。
 足運びは緩慢で、素人然とした構えからしても、虚勢であろう。 
 だとすれば一刀のもと、首を刎ねるだけだ。

 これ以上、ペラペラと軽い舌を回転させる男と、同じ空気を吸うのは我慢ならない。
 自分を侮辱したことを、懺悔させる機会を失う──それだけが、心残りである。
 決着は、一合でつく。

 エウラリオの長剣が、銀色の弧を描く。
 斜め下から襲い来る痛烈な一撃を、躱す手立てなどない。
 絶叫と血しぶきが、朝日に向けて高くはねあげられた。

 ──いや、その寸前だ。

 ウルベルトが、素早く手首をひるがえした。
 挑発に乗る前にエウラリオは、狡猾な罠に嵌まったことに気づくべきだった。

 少年の顔を、黒煙が襲った。
 ウルベルトが左手に隠し持った、黒砂を投げつけたのである。 

「くっ!!」

 反射的に顔を庇ったエウラリオへ向け、短剣が投じられる。 
 だが、それは決定打とはなり得ない。
 少年が剣を振るい、難なく弾かれた短剣は、カン! と音を立てて橋上を転がった。

 小手先でエウラリオを討つことはできない。無論ウルベルトも、甘い目論見は抱いてはいない。
 足を、止められさえすればいい。

 次に見せたウルベルトの動きは、居合わせた全員の予想を裏切った。
 脱豚──いや、脱兎のごとく、俊敏に身をひるがえす。横たわるアルヴィンへ駆け寄り、担ぎ上げた。 
 そして、欄干の上に立ったのだ。

 まんまと小狡い手に嵌められ、エウラリオは屈辱で震えた。
 顔を押さえた指の隙間から、双眸を燃え上がらせる。

「待て、ウルベルト! 卑怯者っ!」
「生憎と、俺は卑怯が大好きでな。褒め言葉として受け取っておこう」

 ウルベルトは不敵に笑うと、欄干を蹴った。
 アルヴィンもろとも、川へ身を投じる。

「何を考えているっ!?」

 追いつめられ、自暴自棄になったのか。
 欄干へ駆け寄り、エウラリオは橋下に視線を投げ下ろした。

 既に水中に没したのだろう。背教者たちの姿を、エメラルド色の川面に見出すことはできない。
 そこで、ふと違和感を覚える。

 二人が飛び込んだ時、水しぶきはあがらなかった。
 それはつまり──

「ペテン師めっ!」

 エウラリオは一点を睨みつけ、吠えた。
 ウルベルトとアルヴィンの姿は──船上にあった。

 背の低い、平べったい形をした運搬船が、視線の先で大きく揺れていた。 
 クラウド川は、人や物を運ぶ運河としても機能する。
 したたか、と言うべきだろう。船が橋の下を通過するタイミングを狙い、身を投じたのだ。


 やれやれと、ウルベルトは甲板上で身体を起こす。
 命のやり取りをする最中に、船の動きにも気を配る──常人なら、尻込みしそうな芸当である。
 それをやってのける辺り、この男もただ者ではない。大した胆力だ。

「何だ、あんたらはっ!?」

 操舵室から飛び出してきたのは、船長だろう。
 無断乗船の二人組に気づき、目を白黒させる。 
 男のうち、ひとりは瀕死の重傷で、明らかに訳ありだ。

 パン! パン! と乾いた発砲音が連続し、船の周囲に水柱が立った。
 橋上に白い仮面の一団を認めて、船長はおののいた。

「面倒はごめんだ! 降りてくれ!」

 それは当然の要求であろうが、そうですか、と降りる訳にもいかない。 
 ここは川のど真ん中なのである。

 答える代わり、ウルベルトは船長に革袋を投げつける。
 それは甲板に落ち、澄んだ音を奏でた。緩んだ口から金貨が顔をのぞかせて、男は喫驚した。

「だ、旦那、これは……!?」
「この船は買い取る! 文句はないなっ!?」

 ヤケ気味に、ウルベルトは叫ぶ。
 それは一枚が、家と同価値で取引される、稀少金貨である。革袋の中には、少なくとも十枚はある。大損である。

 無論、文句などあろうはずがない。
 船長は首を、上下に激しく振る。 

 新たな船主は、橋上の処刑人に目を転じた。
 橋は遠ざかりつつあった。もはや銃弾は届くまい。

「マヌケどもめ、悔しかったらお前らも船で追いかけてみろ!」

 散財の恨みも込めて、ウルベルトはあざけりの声を浴びせる。
 エウラリオの愕然とした顔を思い出し、してやったりと腹を揺らす。
 だが……勝利の余韻は、そう長くは続かない。

「──旦那っ!」

 船長が、河畔を指さした。
 怒号をあげながら、処刑人らが係留してある舟に乗り込み始めていた。

「まずいぞ、意外と素直な連中だ」
「ど、どうするんですかい!?」
「全速力で逃げろ! 追いつかれたら、命はないぞ!」

 慌てて、船長は操舵室へと駆け込む。
 命を失えば、金貨など何の意味もない。地上の名誉と金は、天国には持ち込めないのだ。
 こうして舞台をクラウド川に移して、大人の鬼ごっこの第二幕があがった。

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