139 / 197
第七章 災厲の魔女
第54話 白衣の魔女と悩める少年
しおりを挟む
エレンがクリスティーに抱く敬意は、もはや妄信的とすらいってもいい。
対してベネットへの態度は、一貫して刺々しい。
魔女を狩る審問官の見習いという立場上、少女から警戒されるのは仕方がないが……あからさまな敵意は、さすがに傷つく。
そんな居心地の悪さもあって、裏口に避難していたのだ。
エレンの後を追い、建て付けの悪い扉を開く。診療所は、清潔ではあるが古びた印象だ。
待合には、くたびれたソファーが置かれ、白い壁紙は、ところどころ破れている。
午前中は患者で溢れていたが、今はひっそりとしていた。
待合を見回すがエレンの姿はない。
伝言を済ませて、そそくさと二階へ上がってしまったのだろう。
上は私室となっていて、ソフィアが眠っているはずである。
地下の地獄から共に脱出した少女は、ここに着いた途端、緊張の糸が切れたように眠りに落ちた。
無理もない、と思う。
気丈に振る舞ってはいたが、地下での出来事は、六歳の少女には過酷すぎた。
そしてソフィア個人が抱える事情もまた、重い。
祖父である枢機卿エウラリオの凶行を、いかにして止めるか……課題は山積である。
小さく嘆息すると、ベネットは奥の部屋へと足を向けた。
一階は、こじんまりとした待合と診察室がひとつだけだ。
案内がなくとも、迷いようがない。
扉をノックすると、どうぞ、と返事があった。
診察室へと入る。中は、机と簡易ベッドがあるだけの、簡素なものだ。
診療録に万年筆を走らせていたのは、百合の花を思わせる気品を纏い、目鼻立ちのはっきりとした美人である。
ダークブロンドの長髪は、上品にシニヨンで纏められていた。
「午前の診察が長引いたの。待たせて悪かったわね」
クリスティーは顔をあげ、詫びる。
午前の診察といいつつ、時刻は三時を過ぎている。
「いや……」
少々困惑しながら、ベネットは首を振った。
不敵で、狡猾で、冷酷。
それが、ベネットが抱く魔女のイメージだ。
貧民街にある唯一の診療所で、分け隔てなく手を差し伸べる医師──それは、想像していた魔女像とは、随分とかけ離れている。
「エレンはどうしたのかしら?」
ベネットがひとりであることに気づいて、クリスティーは首をかしげた。
肩をすくめた少年の顔を見て事情を察し、苦笑が返される。
「悪く思わないで。根は良い子なのよ」
無言のまま、ベネットは頷いた。
エレンが善良な娘であることに、異論を挟むつもりはない。
事実、地下牢から馬車で逃走した際に命を救われた。
ただし、謝辞は伝えていない。
頭を下げようものなら「先生のご指示でしたので。そうでなければ、見捨てていました」などと、冷淡極まる返事をされるに違いない。
ベネットは軽く頭を振った。
陰鬱な想像を追い払うと、本題へ頭を切り替える。
「それで、私を呼んだ用件は?」
「座ってくださる?」
促されて、ベネットは患者用の丸椅子に腰掛けた。
女医を前にして……診察を受けるようで、どこか落ち着かない気持ちになる。
縁なしのメガネをかけたクリスティーは、知性の宿った眼差しを向けた。
「話したかったのは、これからのことよ。あなたの考えを聞きたくて」
これから、どう動くべきか。
診療所に着いてから、ベネットはずっと思案していた。
教会は、二つの派閥に割れている。
教会法を軽んじ、不死を求める枢機卿派と、それに異を唱える教皇派だ。
両派は長きにわたり、暗闘を繰り返してきた。
だが、眠り姫とも揶揄される、教皇ミスル・ミレイが深い眠りにある今……圧倒的優勢にあるのは、枢機卿派である。
教会と聖都を実質的に支配するのは、彼らなのだ。
この不利を覆す手立てはあるのか──
「──まずは、アルヴィン師と合流しようと思う」
「悪くない考えね。その後は?」
微笑みを浮かべ、クリスティーは問う。
ベネットは身を乗り出した。声に力がこもった。
「教皇派と共に決起して、会主ステファーナを討つ」
「その後は?」
「その後は……」
問い返されて、ベネットは返答に窮した。
思いもしない問いかけだった。
会主さえ討てば、教会はあるべき姿に戻る。
エウラリオや処刑人を拘束し、教会法により裁く。
それで、終わりではないのか……?
「あの人の弟子だからって、期待しすぎたかしら? それじゃ、及第点はあげられないわよ」
クリスティーの声は穏やかだが、評価は手厳しい。
ベネットは困惑した。
「……他に、敵がいるとでも?」
「そうね。会主を倒してハッピーエンドになるほど、話は単純じゃないわね」
そう言うと、碧い双眸に真剣な色がたたえられた。
「大陸の破滅は──すぐ近くまで来ているのよ」
「破滅……?」
穏やかならざる単語が飛び出して、ベネットは表情を変えた。
クリスティーはそれ以上答えず、紅唇に人差し指を当てる。
「──?」
その意味を、ベネットは瞬時に理解した。
音を立てずに、立ち上がる。
扉の、向こう側である。
廊下に、息を押し殺した気配が感じられた。
エレンではない。彼女なら、殺気など放つまい。
ベネットは拳銃を手にする。
気配を殺し、扉の脇に立つ。
クリスティーに目で合図すると、頷きが返される。
ノブに手をかけ──
直後、けたましい破壊音が鼓膜を震わせた。
窓硝子を突き破り、二つの影が診察室へと飛び込んでくる。
虚を突かれ振り返ったベネットに、短剣の閃きが襲いかかった。
対してベネットへの態度は、一貫して刺々しい。
魔女を狩る審問官の見習いという立場上、少女から警戒されるのは仕方がないが……あからさまな敵意は、さすがに傷つく。
そんな居心地の悪さもあって、裏口に避難していたのだ。
エレンの後を追い、建て付けの悪い扉を開く。診療所は、清潔ではあるが古びた印象だ。
待合には、くたびれたソファーが置かれ、白い壁紙は、ところどころ破れている。
午前中は患者で溢れていたが、今はひっそりとしていた。
待合を見回すがエレンの姿はない。
伝言を済ませて、そそくさと二階へ上がってしまったのだろう。
上は私室となっていて、ソフィアが眠っているはずである。
地下の地獄から共に脱出した少女は、ここに着いた途端、緊張の糸が切れたように眠りに落ちた。
無理もない、と思う。
気丈に振る舞ってはいたが、地下での出来事は、六歳の少女には過酷すぎた。
そしてソフィア個人が抱える事情もまた、重い。
祖父である枢機卿エウラリオの凶行を、いかにして止めるか……課題は山積である。
小さく嘆息すると、ベネットは奥の部屋へと足を向けた。
一階は、こじんまりとした待合と診察室がひとつだけだ。
案内がなくとも、迷いようがない。
扉をノックすると、どうぞ、と返事があった。
診察室へと入る。中は、机と簡易ベッドがあるだけの、簡素なものだ。
診療録に万年筆を走らせていたのは、百合の花を思わせる気品を纏い、目鼻立ちのはっきりとした美人である。
ダークブロンドの長髪は、上品にシニヨンで纏められていた。
「午前の診察が長引いたの。待たせて悪かったわね」
クリスティーは顔をあげ、詫びる。
午前の診察といいつつ、時刻は三時を過ぎている。
「いや……」
少々困惑しながら、ベネットは首を振った。
不敵で、狡猾で、冷酷。
それが、ベネットが抱く魔女のイメージだ。
貧民街にある唯一の診療所で、分け隔てなく手を差し伸べる医師──それは、想像していた魔女像とは、随分とかけ離れている。
「エレンはどうしたのかしら?」
ベネットがひとりであることに気づいて、クリスティーは首をかしげた。
肩をすくめた少年の顔を見て事情を察し、苦笑が返される。
「悪く思わないで。根は良い子なのよ」
無言のまま、ベネットは頷いた。
エレンが善良な娘であることに、異論を挟むつもりはない。
事実、地下牢から馬車で逃走した際に命を救われた。
ただし、謝辞は伝えていない。
頭を下げようものなら「先生のご指示でしたので。そうでなければ、見捨てていました」などと、冷淡極まる返事をされるに違いない。
ベネットは軽く頭を振った。
陰鬱な想像を追い払うと、本題へ頭を切り替える。
「それで、私を呼んだ用件は?」
「座ってくださる?」
促されて、ベネットは患者用の丸椅子に腰掛けた。
女医を前にして……診察を受けるようで、どこか落ち着かない気持ちになる。
縁なしのメガネをかけたクリスティーは、知性の宿った眼差しを向けた。
「話したかったのは、これからのことよ。あなたの考えを聞きたくて」
これから、どう動くべきか。
診療所に着いてから、ベネットはずっと思案していた。
教会は、二つの派閥に割れている。
教会法を軽んじ、不死を求める枢機卿派と、それに異を唱える教皇派だ。
両派は長きにわたり、暗闘を繰り返してきた。
だが、眠り姫とも揶揄される、教皇ミスル・ミレイが深い眠りにある今……圧倒的優勢にあるのは、枢機卿派である。
教会と聖都を実質的に支配するのは、彼らなのだ。
この不利を覆す手立てはあるのか──
「──まずは、アルヴィン師と合流しようと思う」
「悪くない考えね。その後は?」
微笑みを浮かべ、クリスティーは問う。
ベネットは身を乗り出した。声に力がこもった。
「教皇派と共に決起して、会主ステファーナを討つ」
「その後は?」
「その後は……」
問い返されて、ベネットは返答に窮した。
思いもしない問いかけだった。
会主さえ討てば、教会はあるべき姿に戻る。
エウラリオや処刑人を拘束し、教会法により裁く。
それで、終わりではないのか……?
「あの人の弟子だからって、期待しすぎたかしら? それじゃ、及第点はあげられないわよ」
クリスティーの声は穏やかだが、評価は手厳しい。
ベネットは困惑した。
「……他に、敵がいるとでも?」
「そうね。会主を倒してハッピーエンドになるほど、話は単純じゃないわね」
そう言うと、碧い双眸に真剣な色がたたえられた。
「大陸の破滅は──すぐ近くまで来ているのよ」
「破滅……?」
穏やかならざる単語が飛び出して、ベネットは表情を変えた。
クリスティーはそれ以上答えず、紅唇に人差し指を当てる。
「──?」
その意味を、ベネットは瞬時に理解した。
音を立てずに、立ち上がる。
扉の、向こう側である。
廊下に、息を押し殺した気配が感じられた。
エレンではない。彼女なら、殺気など放つまい。
ベネットは拳銃を手にする。
気配を殺し、扉の脇に立つ。
クリスティーに目で合図すると、頷きが返される。
ノブに手をかけ──
直後、けたましい破壊音が鼓膜を震わせた。
窓硝子を突き破り、二つの影が診察室へと飛び込んでくる。
虚を突かれ振り返ったベネットに、短剣の閃きが襲いかかった。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる