白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第八章 白き魔女

第107話 その日は、きっと遠くない

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 秋の空気は乾燥していて、空の蒼さはいつになく深さを増す。
 柔らかな陽光がステンドグラスに差し込むと、輝きが宝石のような形をもって、七色に燦爛した。聖堂に神々しい光が満ちた。

 聖都アルビオの大聖堂で、婚姻のミサは盛大に執り行われた。
 パイプオルガンの音色とともに、荘厳な聖歌が響く。
 司式司祭に先導され、新郎新婦はゆっくりと祭壇へ進む。ベネットは、礼拝用の長椅子に着席した参列者を、ちらりと見やった。

 多くは、審問官の同僚だ。あの日共に戦った、仲間たちの顔もある。
 そして二人分の空席に気づき、表情が曇った。
 いや……景気の悪い顔などしていられない。沈みかかった気持ちを、慌てて切り替える。

 と。
 前列で、場違いな歓声があがった。
 司祭が眉をひそめ、非難がましい視線を投げやる。乙女のように瞳を輝かせて、黄色い声をあげているのは、双子である。
 熱い視線を花嫁へ──ではなく、銀髪の美青年へと注いでいた。

 ベネットは直接の面識はないが……禁書アズラリエル研究の第一人者であり、教皇の相談役でもある、フェリックス博士ではないだろうか。
 人の形をしたハリケーンに左右から挟まれて、動じた様子もなく、涼やかに足を組んでいる。たいした胆力である。
 確か、多忙な教皇ウルベルトの名代として、名簿に名前があったはずだ。

 そこから少し離れた席に、ニコニコと笑うメアリーの姿が見えた。
 足元で、貫禄のある老猫が毛繕いをしている。
 大陸屈指の難関校であるオルガナに裏口入学した赤毛の少女が、自力で卒業してみせたのは、控えめにいっても驚きだった。

 もっとも、それには十二年を要したわけだが……卒業の価値に変わりはない。
 数々の前人未踏の記録を──教官らからすれば悪夢を──残した彼女は、一年間の見習い期間を終えるや、オルガナへ呼び戻された。そして学院長に抜擢されたのが、今春のことだ。

 オルガナ史上、比肩する者のない劣等生がトップに立つ。
 新学院長の活躍については、隣に座るお目付け役の顔を見れば、だいたい想像がつく。
 腕を組んだヴィクトルの顔は、不機嫌の三文字を顔に貼りつけた仏頂面である。

 これからオルガナにも、新しい風が吹くに違いない。
 ベネットは変化を予感し、笑った。




 ──宴は、まだ続いている。

「……一滴の酒も呑んでいないのに、どうしてあんなに盛り上がれるんだ……」

 うんざりしたように天井を仰ぎ、盛大に嘆息する。 
 ミサのあと、宴を催したわけだが……時刻はもう、夜半に近い。

 新婦はずいぶん前に、屋敷に帰らせた。一向に終わらない宴に辟易して、ベネットも抜け出してきたのだ。
 ひとり、聖堂の廊下を歩く。
 夜風に当たりたかった。考える時間が欲しかった。

 いくら慶事とはいえ……皆、ハメを外しすぎだ。ヴィクトルが祝いだと、大声で歌い出したときには、さすがに閉口した。
 祝福はしてくれる気持ちは嬉しいのだが……

「──失礼!」

 角を曲がったところで、ベネットは声をあげた。
 出会い頭に、少女とぶつかったのだ。

 どうも上の空になっていたらしい。子供の気配に気づかないとは、審問官失格である。
 六歳くらいだろうか。自嘲しながら、尻餅をついた少女に手を貸す。

「怪我は──」

 問うよりも早く、少女は起き上がると、ペコリと頭を下げた。ダークブロンドの髪を揺らし、そのまま何も言わず走り去ってしまう。 

「ちょっ……君!」

 怪我はないようだが……瞬く間に小さくなった後ろ姿を見送りながら、首をかしげる。
 この先にあるのは、新郎新婦の控え室だけのはずだ。
 こんな夜半に……しかも子供がひとりで、何をしていたのか。

 訝しみながら部屋に戻る。
 中は、特段変わった様子はない。荒らされた気配もない。安堵してソファーに腰を下ろし……ベネットは身じろぎした。

 テーブルに、見覚えのない花束とメッセージカードがある。
 ベネットは何かを直感した。震える手でカードを開き──次の瞬間、廊下へと飛び出していた。

「──待ってください!」

 声は虚しく残響する。少女の姿は、どこにもない。
 ベネットは、素早く思考を巡らせた。

 まだ、そう遠くには行っていない。そして、人気のない方へ向かったはずだ。
 そう結論づけると、宴会場とは逆方向へ走る。

 大聖堂の外には、トネリコの木が植えられた、だだっ広い芝生の広場がある。ヒヤリとした風が頬に触れる。
 息を切らしながら走り出たベネットは、薄闇の中に目を凝らし──鼓動が跳ねた。

 青白い月明かりの下に、少女の背中が見えた。ダークブロンドの髪をした佳人と、黒髪の青年が出迎えている……
 そのどちらも、ベネットはよく知っていた。 

 少女が一目散に走り寄り、青年に抱きついた。

「……アルヴィン師…………っ!」

 声が震えた。
 見間違えようなどない。雰囲気は以前より成熟した感があるが……いや、当然だ。あれから、十年が経ったのだ。

 女が白く優美な指先を虚空に走らせ、軌跡を描いた。刹那、三人の足元に水が生み出された。
 厚い水のヴェールが周囲を渦巻き、瞬く間に親子を覆い隠す。
 今を逃せば、二度と会う機会を失う──焦りが足をもつれさせ、ベネットは転倒した。

 口に入った泥を吐き捨て、持てる肺活量のすべてを声に変えた。

「アルヴィン師! ──待ってくださいっ!!!」

 必死の叫びは……届く。
 黒髪の青年が、ベネットに気づく。
 三人を包み込んだ水塊が、泡が弾けたように消えた。

「ベネット……!」

 呟きが漏れ、二人の視線が交錯した。
 しばしの沈黙のあと、アルヴィンは驚きと、照れくささが混じった笑みを浮かべた。
 懐かしむような目で、教え子を見つめる。

「……ベネット、立派になったな。いや、君は最初から立派だった」
「よしてください! 私は……どうしようもない、未熟者でした」

 不意に目頭が熱くなる。妙な気遣いをみせる師に、涙ぐみながらベネットも笑った。
 アルヴィンは娘を地面に下すと、教え子へと歩み寄った。

 手を貸し、立ちあがらせる。そして、言葉を選ぶようにして静かに詫びた。

「すまない、ちゃんと祝福をしたかったんだが……僕の立場で君に会うと、迷惑がかかると思ってね」
「それは違います! 謝らなくてはいけないのは、私の方です!」

 ベネットは声を大きくする。
 それは、紛れもない本心だ。師を追わず、アルビオに残ったことを、ずっと後悔していたのだ。
 十年ぶりの再会が、思いを溢れさせた。

「お願いです! 私も戦います。一緒に連れて行ってください!!」
「ベネット……婚姻の日に花嫁を放りだして、どうするんだ?」 

 冷静さを欠いた前のめりな訴えに、アルヴィンは思わず苦笑する。

「君を連れて行ったら、僕がくびり殺されてしまうよ」 
「ですがっ……!」
「君の思いは嬉しい。だが、もっと大切なことを頼みたい」
「頼み……?」

 思いもしない言葉に、ベネットは師の顔を、まじまじと見る。
 眼差しに信頼を、声に決意をこめ、アルヴィンは告げた。

「そうだ。僕は教会の外から、世界を変えようと思う。君は、教会の中から変えて欲しい。君にしか託せない願いだ。僕をまだ師と思っていてくれるのなら、頼まれてくれないか?」
「……」

 ベネットは沈黙し、唇を噛みしめた。
 十年前とは違う。ソフィアや、審問官としての職責を投げ出し、師について行くことはできない。
 それは、痛いくらい分かっている……

「分かり……ました」

 ベネットは、声を絞り出した。 
 教会を変える。それが聖都で果たすべき、新たな使命なのだ。
 
「アルヴィン師……約束します。教会を、必ず変えてみせます」
「ありがとう。だが、何かあったら呼んでくれ。いつでも駆けつける」

 教え子の肩を、アルヴィンは強く抱く。

「心配は無用です。私を、誰の弟子だと思っているのですか?」

 ベネットは冗談っぽい口調をつくった。
 それは、精一杯の強がりであったかもしれない。だが、迷いはない。
 
 無言で、二人は握手を交わす。
 アルヴィンは踵を返すと、妻子の元へと戻る。

 再び水が渦巻いた。別れの時がきた。
 水が覆い隠す間際、アルヴィンは叫んだ。

「──また会おう、ベネット。次は堂々と。人も魔女も、関係のない世界で」

 直後、水塊ごと三人の姿は消える。
 広場にはベネットがひとり残され、闇と静寂が戻る。

 まるで、夢を見ていたかのようだ……
 ベネットは呆然としながら、ふっと笑った。
 開いた掌に、ロザリオが残されていた。師のものだろう。強く握りしめ、思いをはせる。

 人と魔女の融和とは──夢物語だろうか? 

 いや、決して不可能ではない。あの日の困難を乗り越えたのだ。必ずやり遂げられるはずだ。
 夜空を仰ぎ、ベネットは少し冷たい風の中、つぶやいた。

「また会いましょう、アルヴィン師。その日は、きっと遠くない……」




(了)
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