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しおりを挟むマジョリーナは真顔になった。居ずまいを正して椅子の背中に頬杖をつき、真剣に話す体勢に入る。
「まさか本気なの?」
「私は遊べるほど賢くも器用でもないの、マジョリーナ」
「そうねえ……おねえさまだものねえ」
妹は美しい娘であるので、何度か恋の経験がある。いずれも社交の一環として短期間の挨拶の訪問にやってきた貴族の令息が相手で、長くても一冬の間だけだった。使用人たちのよい噂話の議題、父母の礼儀正しい監視の元、せいぜいキス止まりの淡い恋はそれでもマジョリーナにますます自信を与え、リュディアに尊敬の念を抱かせた。
「家を継ぐ長女だから、おねえさまってば何も恋愛経験がないもんね。ジョリーの方が詳しいくらいだわ。困ったわね。やり方を教えてもおねえさまなんかが上手くできると思えないし、ドレスは着たきり雀だし……」
「ほっといてよう」
リュディアは膝を立ててそこに顔を埋めた。これは普段着だ。普段着のドレスではない、夜会用のドレスはマジョリーが譲ってくれたあの一着きり。リュディアは突然、どんどん恥ずかしくなってきた。
だってアレクは別れ際にこう言ったのだ、
「次はまた、夜会で。声をかけるよ」
と。リュディアはすでに同じドレスで二度、彼に会っている。仮にも令嬢がこの一枚きりを大切に着まわしているんですなんて、悟られたら悲しいことだ。
「ねえジョリー。あなたのドレス、もう何枚か使わせてくれない?」
「無理よ。最近の流行って襟ぐりが広いの。ほとんど肩まで出して、腰までぴっちりと身体のラインが出るように仕立ててあるの。おかあさまがローズに言って、ちょっとだけ手直しさせたの。流行の形っぽくなるようにね。だから、もうおねえさまじゃ入らないわ」
ぐうの音も出ずリュディアは沈黙した。カヴリラ伯爵家に財政的余裕は、ない。大公の命だからこそ、無理やりのように都にやってきたけれど、たぶん次の旅に出る機会はリュディアにはないだろう。
アレクに会えるのも、この冬の間のことだけかも、しれない。
考えれば考えるほど、リュディアは悲しくなった。彼女はアレクの傍にいたかったし、それだけでよかった。これは本当の気持ちだ。けれど、できるなら綺麗だと思われたいし、今日みたいに笑ってほしいし、愛してほしい。これも本当だ。
アレクはどこか、危うい。今日だって南方訛りの男たちの喧嘩に嬉々としてつっこんでいこうとした。リュディアの存在を思い出してやめたけれど、あれは一人なら仲裁という名目で乱闘したかったのだろう。
彼はこのままいけば早死にしてしまうのだろう、ということをリュディアはなんとなく知っている。目が、にわとりのくせに野良犬と喧嘩して死んだ鳥小屋のおんどりと同じだもの。心が、生き急いでいるのだもの。何かもっとすごい成果を成し遂げないと生きていられないと焦っている。手に入れられるものがほしくて足掻いている。
リュディアは彼を引き留めたかった。こっちに。冬には雪がきらめいて、春になれば花々が顔を出し、短い輝く夏と収穫の秋、北方大公国ロズアラドに属するすべての美しさがある方に。
「……あたしからおかあさまに頼んであげよっか? おねえさまにもドレスを買ってあげてって」
動かなくなったリュディアの姿に恐れをなしたのか、マジョリーナはつま先で姉のつま先をつつき、神妙に言った。
「ううん。大丈夫。私から……聞いてみる」
「聞いてくれるかなあ?」
「頑張ってみる」
リュディアはアレクのために、彼の傍にいられるためならなんでも頑張るつもりだ。だから、自力でまず一歩を踏み出そうとしたのだった。
さて、夕食後、ドレスを仕立ててください、と言われた母は大げさに吹き出し、
「なあに? 他の綺麗なご令嬢を見ていたら自分でも綺麗な服が似合うと思っちゃったのー? おおリュディア、お前はなんて馬鹿な子なんだろうねえ!」
と楽しそうに笑い転げた。そういえば、何故かは分からないが昔から母はずっとこういう感じだった。だからリュディアは布商人がカヴリラにやってきたときは決して母の部屋に近づかないようにしていたのだった。忘れてた。
「お前は色も黒いし髪の毛が変な色だし面もまずいし声もがさがさ。めんどりにおんどりのトサカをかぶせたところで時を告げるようにはならないのよ! そもそもお前はあたくしがあげたマジョリーナのドレスがあるじゃないの。可哀そうな妹のドレスでは不服だとでもいうおつもりかい!」
しょんぼり。リュディアは項垂れ、もう少しで母の足元に蹲るところだった。
ぱっと割り込んだのはマジョリーナだった。
「いいじゃないのおかあさま。あたし、着たきりのおねえさまの隣に並ぶのヤだもん」
「それは……おおジョリー」
母は両手でマジョリーナの頬を包み、悲し気に目を伏せる。
「でもお前のおねえさまは綺麗にしても見栄えしないのよ、不思議なことにね」
「コンラッドの爺様に娘の一方にしか服を買えんのかと嫌味を言われたぞ」
暖炉の前でどこ吹く風とばかりに手紙を広げていた父が、さすがに思うところあったのかぼそっと言った。母の怒りの矛先は夫に変わった。
金切り声で叫び始めた母と紙に顔を突っ込んだ父を眺め、姉妹は寝室に逃げ出したのだった。
結論から言えばリュディアには一着の新しいドレスが、マジョリーナには三着の新しいドレスが与えられることになった。仕立て屋はまだまだ目が回るほど忙しいらしく、それでもなんとか予約ができた。
貴婦人のドレスは生地は絹を使い、宝石ビーズを縫い込み、装飾品も上はティアラから下は靴飾りに至るまで揃えて誂え……という具合だから、平民であれば一年は暮らせる値段である。オーダーメイドは大貴族の妻や令嬢しか手が出せず、カヴリラ伯爵家の姉妹が選んだのは既製品にいくつか飾りをつけたりしたセミオーダーのものだったけれど、リュディアは嬉しかった。
舞踏会のギリギリ最終日には、アレクに新しい服を着た自分を見せられるだろう。夢を見すぎない現実的なところでは、それが落としどころだった。彼との関係がどうなるにしろ、新品のドレスを着た自分が最後の思い出になるなら……。
仕立て屋から帰った後、リュディアはマジョリーナに頼んで母を連れ出してもらった。そしてこっそり座り込んだ父の腕に手を置いて、
「ありがとうございました、お父様」
「ン」
と頬にキスを贈った。母は長女が父と仲良くすると、媚を売ったと怒って手が付けられなくなる。何故かはわからない。娘が父を愛して何を悪いのか。娘から父へのキスは娼婦のそれとは違うはずだ。だがカヴリラ伯爵家の頂点に立っているのは母だった。誰も母には逆らえなかった。
確かに父は時折理不尽にリュディアを鞭打ったけれど、言動のすべてを監視してあげつらう母に比べればはるかにマシだった。
「お前、マジョリーナに優しくしてやって、偉い子だ」
「うふふ」
父は不器用にリュディアの赤黒い髪を撫でた。父にだって長女への愛はあるのだ、たぶん、母にも。
「俺が悪い。何もかも。すまんな」
「大丈夫ですよ。私はお母様もお父様も好きですから」
「うん……」
父は黙り込み、そろそろ母と妹が戻ってくる。リュディアは父から離れて寝室に飛び込み、仕立て屋の予約カードを見つめた。頬が緩むのを止められなかった。
その日の夜会ではアレクに会うことはできなかった。そして貴族たちが待ち望んでいたことが発表された。
五日後の昼、大公家が所有するリリン西方の森にて狩猟が開催される。男たちは言わずがもな、女たちも特別に集まってよい。そしてその狩猟で先人に立つのが、新大公アレクシオンその人であると。
きっと劇的に演出されたお披露目になるのだろう。
「いよいよね……」
するりと近寄ってきたマジョリーナが、ぎゅっと痛いくらいにリュディアの腕を掴んだ。妹のまなざしは熱く食い入るよう。壇上の発表係の侍従を見つめるその目を見て、リュディアは案外、妹の野望は本気なのかもしれないと思った。
「大公様は、どんな人でしょうね」
「どんな人でもいいわ。あたし、ぜったい花嫁になりたい。やっぱり二番手で妥協するのはイヤ。守られたい」
姉だけに聞こえる細い声で妹は囁く。内心の熱をあえて押し込めようとでもいうような硬さで。妹のそんな様子を、リュディアは初めて見た。彼女の腕にマジョリーナの細い爪が突き刺さる。妹はもう一度、姉を見上げて言った。
「あたし、強い男に守られて心安らかに暮らすためならどんな敵にも立ち向かうわ」
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