虐げられ魅了乙女は孤独な大公と恋をする

重田いの

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 アレクシオンの父、大公フェリュードは賢君だったが身体が弱かった。それでもなお、己の権勢と国のため国境紛争に何度も足を運んだ。戦場の不潔さは父の身体を蝕み、病を呼んだ。

 父が身罷ると母エレーナはさっそくと言わんばかりの勢いで美男を見繕った。

 エレーナが病死するまでの五年間。アレクシオンが七歳から十二歳になるまでの間。ロズアラドは母の愛人とその一族及びご友人方に食い荒らされた。

 大貴族たちは当然、怒った。侯爵家の娘である母后の愛人ごとき新参者が好き勝手に国を蹂躙するとは。その甘露は我らのためにあるというのに!

 そして旗印として担ぎ上げられたのがアルクル、アレクシオンの大好きな叔父だった。当時のアルクルは物静かな文弱の男で、優しさや気弱さ、優柔不断で知られていた。

 アレクシオンはアルクルを恨んでいない。むしろ子供を顧みないエレーナの代わりに物語を読み聞かせてくれ、一緒に虫取りをしてくれ、木登りの仕方を教えてくれた彼のことが大好きだった。

 叔父の首を掻き切ったとき、アレクシオンの心の一部もまた死んだ。
「叔父上、俺はあんたの愛した国のために生きるよ」
 曇ったガラス窓を拭き、満月を眺めて彼はひとりごちる。

 母の愛人だった男の胸を槍で貫いてやったときの記憶は、いまだにアレクシオンの人生の中で燦然と輝く。あの手応え、歓喜、血飛沫、信じられないという顔をする間抜けな美男の死に様。あのとき彼は確かに、幼少期のあらゆる不条理に決別したのだ。不幸にされた幼い自分の仇を取ってやったと言っていい。それは大切な、愉快な記憶だった。

 しかし今はどうだろう。少し前まではその血生臭い記憶が君臨していた彼の心の中に変化が起こり、まったく別の思い出が占拠していた。いったいどうしてだろう、アレクシオンはリュディアのことが忘れられなかった。彼女に会うとすべてが頭の中から消えてしまう。母に殴られたことも美男のアホ面も、叔父の血と末期の叫びも。

 アレクシオンと彼女はまだ出会って一か月も経っていなかった。なのにどうしてか忘れられず、愛さずにはいられない。神々が祝福してくれたとしか、彼には考えられなかった。

 彼は今日の昼日中、堂々と仕事を抜け出して城下に降り、リュディアと密会した。夕方、彼女の両親に怪しまれない早い時間のうちに分かれたというのに、もうリュディアに会いたかった。

 たった数時間の逢瀬では足りなかった。その数時間で彼女は彼が国を愛していることを思い出させ、喧嘩に乱入することを思いとどまらせた。これまで彼をそんなふうにした人間はこれまでいなかった。アレクシオン自身でさえ、乱闘に身を投じようとする自分を止めることなどできなかったのに、リュディアのことを思えば自然と足は止まったのだった。

 アレクシオンは目を閉じ、リュディアの顔と声、歩き方や髪が風になびく様子、スカートが足首で揺れるさま、ものを見るとき少し首をかしげて目を細めるところを思い描いた……。
 扉が開き、恋する青年は消えた。報告書片手に窓辺に座るのは若き大公がいた。
 神官長マカリオスは目を見開いたままツカツカと窓辺に歩み寄る。挨拶もなしに、一息に、

「あの娘の魔法は魅了魔法です。陛下、あなたは魅了にかけられて正気を失っておられます。おお――なんたることだ! なんたること!」

 と言った。アレクシオンは面白そうに太った男を見つめた。
「記録図を手に入れたのか? 罪だぞ、マカリオス。俺がそれを聞いたからにはお前を罰さねばならん」

「そんなことはどうでもよろしい! あとでいくらでも罰をお受けします」
 貴族に伝わる血統魔法の内容は秘匿され、その記録図は大神殿の奥深くに隠されている。どの一族がどんな魔法を使うのかを記録し整理し伝えていくのが、神殿の重要な役割の一つだった。

 一般魔法なら五大要素のいずれかから派生する効果だと推測できるが、血統魔法はそうではない。危なすぎる。ゆえに貴族たちは慎み深く血統魔法の効果や発動条件を押し黙り、一生のうち何度も使うことはない。

 アレクシオン、つまり大公家の血統魔法である五感の機能増幅と強化された身体能力は随時発動かつ戦闘に利用できるため内外に知られているが、それも公然の秘密として不用意に噂されることもないのだった。

 マカリオスはフウッと深く息をつき、悩み続けた難問をようやく解決できた数学者のように首を横に振る。

「カヴリラ伯爵家は代々魅了によって兵士を鼓舞し扇動し、戦場での勝利を重ねてきた一族だったと言います。ええ、調べはつきましたぞ、何もかも。あの娘は陛下を誘惑し、貧乏から脱出しようとしております。今わかってよかった、はああ」

 さあ、とマカリオスはアレクシオンに向き直ると手を差し出した。

「今すぐ解呪をかけますゆえ、失礼いたしますぞ」
「好きにするがいい。が、無駄だと思うぞ」
 と言いながらアレクシオンは内心、
(こうも慌てると周りが見えなくなるので俺のような厄介者を押し付けられたのだなあ)
 と考えていたりもする。

 マカリオスは汗を拭きもせず呪文を唱え始めた。彼の真心が自分の心に流れ込んでくる。心に働きかける魔法とはこういうものだ。アレクシオンはそれを甘んじて受け入れた。温かな魔力は温泉のお湯のようにまろやかだった。

 リュディアに何かされたのではないか――という可能性を、アレクシオンは考えなかったわけではない。人が変わったようになるほどの感情を持て余し戸惑ったのは彼も同じである。そして当然、とっくの昔に信頼のおける魔法使いに呪いや心理操作魔法の検査をしてもらっていた。

 結果はシロだった。リュディアはアレクシオンに何もしていなかった。

 それを確認して初めて、彼は心置きなく恋に酔った。それを自分に許すほどリュディアが好きだったし、そうなった自分自身が面白かったのだ。

 マカリオスは呆然と顔を上げた。徐々に魔力の放つ燐光が収まり、部屋の中は気づまりな沈黙と太った男の呆然とした息遣いに取って代わられる。

「気が済んだか、マカリオス?」
「陛下……。そ、そんな。そんなはずは」
「そうだよな。俺もそう思う。まったく、俺はどうしちまったんだろうな?」

 彼はけらけら笑いながら身軽に窓辺から立ち上がり、長椅子にマカリオスを誘導する。後見人のでっぷりした腕の肉が落ち始めていることに気づいた。彼はそろそろ老齢に差し掛かろうとしている。

「なあマカリオス。少し休めよ」
「陛下、おお陛下。なんたることだ、それでは令嬢はあなたに何もしていなかったと?」
「そういうことになるな」
「わ、私は無実の娘御になんという冤罪をかけたのだ」
 彼はぷるぷる震え、クッションの山に沈み込んでしまった。本気で己の行いを悔いているのだ。別に公衆の面前で糾弾したわけでもあるまいに。

 マカリオスの太鼓腹には神の教えとたくさんのよいことしか詰まっていない。逆に、どうしてそんな心を持って今日まで生きてこられたのだと言いたくなる。間諜たちが彼を心から慕い、身を守ったからこそだった。そしてその間諜というのも元々は捨て子や行き倒れたところをマカリオスに救われた者たちで、彼のために働けること自体が幸福だと信じる者ばかりなのである。

 マカリオスは真心だけで生きることができる稀有な人間だった。

 アレクシオンはかつて、彼のようになりたかった。清らかなだけでは生きられないことを誰より深く知っていたから、余計に。

「お前はリュディアに何も言ってないし、やってもないんだろ? 間諜に見張らせただけで。なら実質、彼女には何もしてないということだ。気に病むな」

 太った男はぜいぜい肩で息をする。アレクシオンはその禿頭にいっそ気楽な声をかけた。

「ああ、そうそう。狩りをしようと思う」
「陛下?」
「大規模な狩猟会を開く。城外の禁足の森で行う。ちょうど湖も凍って、獲物の追い詰め甲斐がありそうだ」

「いつでございますか?」
 アレクシオンは薄い笑みを浮かべた。
「案内人の手配ができ次第即刻」
「それは……花嫁となられる娘御との顔合わせが先でございましょう」

「娘たちは馬車で運んで森の外に並ばせる。狩りの様子を見せてやって、俺が気に入らない娘には体調不良を口実に立ち去る権利をやろう」

「急に何を言い出されますか。まさか……まさか、すべての貴族令嬢を招集なさると? そ、そうか。カヴリラ伯爵令嬢をお呼びになるためにそんなことをするのですな?」
 アレクシオンは哄笑した。マカリオスは頭を抱えてしまった。

 新大公のやりようにしてはあまりに見世物じみたやりようである。だが野心を持つ貴族の親たちは是が非でも参加するだろう。不参加者はよほどの老人か子供だけになる。新大公に叛意ありとは誰もみなされたくないだろうから。

「あなたは宮廷のしきたりのすべてを変えてしまうおつもりなのですな。まさか本気で、大貴族の父親が介入してこない大公妃を立てるおつもりだとは……」

「聞いたな? 父親たちに伝えろ。娘を着飾らせて連れてくるがいい、と。俺の顔を最初に見ることができるのは、寒風吹きすさぶ雪原の森のほとりで血生臭い催しを見ても泣きださない剛毅な貴婦人だけだ」

 アレクシオンは息まいた、傍目からはそう見えたのだろう。ざわり、と屋根裏や使用人の小部屋やはたまた床下から、立ち昇る悪意がある。マカリオスの間諜たちだ。主を守るためひそかに同行しているのだ。

 アレクシオンの魔力はどんなに隠れた人間も探し当て、周囲と違う動きをする者がいればまるで拡大鏡のように注目して見せる。大広間から抜け出したリュディアを見つけたときのように。

 随時発動の周囲警戒と、それに対する人知を超えた反応速度。それがロズアラド大公家の血統魔法であり、幼いアレクシオンを暗殺から守り切った彼固有の魔法だった。

 そう――だから、本当であれば、リュディアを疑って検査を受ける必要などなかったのだ。

 彼女のようにすっとろい小娘がアレクシオンの隙を見て魔法をかけるなんて芸当、できるはずもなかったのだから。それでも彼はそうした。彼女は自分を嵌めようとしていないと、この気持ちは本当に自分の心の中から沸いて出たものだと信じたかった。

 リュディアは母エレーナとは違うのだと、知って安心したかったのだ。

 マカリオスはふらふらと立ち上がり、間諜たちに向けて手を挙げた。すっと周囲の気配が消えた、かに思えるほど希薄になった。
「そのようにいたしましょう。私は陛下、あなたの忠実なしもべでありますれば」
「ありがとう、マカリオス。下がっていいぞ」

 足を引きずって神官長が退出してしまうと、アレクシオンは何の気配もしなくなった部屋でぽつんと零す。

「ああいう間諜が俺も欲しいんだが。譲っちゃくれないんだよなあ」
 そして首を一振り、真面目に気を取り直して政務に戻った。

 アレクシオンは無意識のうちに他人を道具としてみなす。その枠から外れて彼の心に踏み込んできたのは父母と、ニコラと、そしてリュディアだけだ。

 冷酷な大公の腹の内に渦巻く邪悪な蛇の存在を、まだ大貴族たちは知らない。

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