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第一章 晩春

北の国まで

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 タクシーはその性質上、どうしてもトラブルに巻き込まれることが多い。客とトラブルになることもあるだろうし、事故にあうこともあるだろう。重大事件が起きたとき、警察側が予め協力を要請することもある。

 そのためか、データの提供依頼への対応は素早かった。必要があれば、当日車両を運転していた運転手に話を聞いても良いという、非常に協力的な申し出も受けた。

 私が岡田さんに報告をあげているうちに、神前さんはもらった車載カメラのデータを確認したらしい。
 午後三時十五分に東京駅のタクシー乗り場に到着した車は、三時十八分、被害者をピックアップした。
 自宅付近の、目印になるコンビニエンスストアに到着し、そこで現金で支払いを済ませ、被害者は去っていった。そのコンビニエンスストアから、被害者宅までは、徒歩三分。まわりはほぼ住宅だけだ。
 映像の打刻では、午後四時十二分。

 神前さんは被害者がタクシーの前から去っていくその姿をキャプチャして、岡田さんにメッセージを添えて送信した。
 当日の被害者の服装もわかれば、聞き込みも捗るだろうという配慮らしい。

 × × × × ×

「川辺家に捜索に入りたい」

 そう緊急で招集された会議で切り出したのは、東目黒署の警部補・愛野さんだった。
 私と神前さんは、午前と同じようにオンラインでの参加だ。二人で並んでモニターを眺めていて、急なその爆弾の投下に、顔を見合わせた。神前さんのきょとんとした顔が珍しい。いや、注目すべき点はそこじゃなくて。

「今日、提出された報告によると、被害者は自宅近くのコンビニまでタクシーで移動している。その後、隣家の右田梨沙子と道で挨拶をかわして自宅に帰った。が、川辺家には帰宅してないと家族は言っている。被害者の荷物もなく、当日唯一帰宅していた孫の笑馬も顔をあわせていないという」
 愛野さんは続けた。

 被害者はたしかに一度帰宅しているようだから、帰宅後になにかあったのかもしれない。だから防犯カメラの映像を見せてほしいと、川辺家に依頼した。対応した被害者の息子の公春は、それを許諾しながらも、カメラの調子が悪くてデータが飛んでいると説明した。

 ……たしかに、川辺家に帰宅した後の川辺美穂の足取りが、急に不明瞭になっている。
 孫の笑馬が、川辺美穂と顔を合わせていないのだとしたら、再び彼女は外出した可能性もあった。そしてその先で事が起きた。
 でも、出先で倒れたりしたら、誰かがさすがに助けを呼ぶはずだ。そういう話は今のところ聞き込みでも上がってない。

 帰宅後、川辺美穂がどう動いたのかはっきりさせるために、カメラ映像の確認と聞き込み目的に、明日川辺家に赴く。その際は、川辺家の人間に細心の注意をはらってほしい。不都合な証拠の隠匿の可能性もあるからだ。

「そういうわけで、できれば分析係から人員を割いてほしいのだが」

 映像データが破損しているのであれば、復旧を試みる価値はある。
 愛野さんが希望すると、モニターに映った岡田さんが「検討して連絡する」と返答していた。

 × × × × ×

「名寄に、ですか?」

 午後七時十分頃。岡田さんと砂押さんと、そしてもちろん神前さんと四人で会議ブースに陣取って、顔を突き合わせていた。

 私が提出した資料にもとづいて、名寄のバラ園に例の黄色いバラを確認してもらったところ、何箇所か花が枝ごと切り取られていることがわかった。これ自体は窃盗事件として、地元の警察が捜査するんだそうだが、東名寄警察署の刑事さんたちは、先日起きた放火殺人事件の捜査で忙しく、すぐに対応できないと困っているという。
 早期の対応をするために、カメラの分析ツールも持っている我々のうち誰かが、そちらに向かうということが、偉い人同士の話し合いで決まったらしい。

 全国出張って、あるのか……!

 しかも北海道。昔、旅行で四月に札幌に行ったら、根雪ががっつり残っていてすごく寒かった。流石に五月ともなればそんなこともないだろう――ないよね?

「今回は俺が行こうと思う。岡田さんにはフレキシブルに対応してもらうために、こちらに残ってもらって。神前はともかく、新人の三小田にいきなり出張してやってこいってのはな」

 そう言い出したのは、角刈りの砂押さんだ。
 下っ端の私達が飛ばされるんじゃないんだ。ちょっと驚いた。

「なんだ三小田、行きたかったか? 北海道」

 砂押さんが、日焼けした黒い顔をにやっとさせた。私は慌てて顔を横に振った。

「いえいえ滅相もない。砂押さんの判断に従います」
「明日朝一番に飛行機に乗る。しばらくレスポンスが悪くなるが、よろしく頼む」
「砂押くん、くれぐれも気をつけてくれ」

 岡田さんがそう言って、今度は神前さんに向き直った。

「神前、明日だが、俺は午前中会議が入っているんだ。被害者宅への同行は、お前たちに任せる」

 神前さんがしっかり頷いた。

「何か他からもサポート要請があったら、神前が判断しろ」
「了解しました」

 神前さんの顔が引き締まった。元々、ぴりっとしているが、さらにだ。やる気が漲っている感じがする。
 久慈山さんが言っていた通り、仕事を干されていたんなら嬉しいのだろう。
 せめて足を引っ張らないようにしよう。余計なことすでにしちゃった後だけど、あとは静かにしておくことを誓う。

 × × × × ×

 明日朝、ちょっと早めに家まで神前さんが車で迎えに来てくれることになった。被害者宅は駅から離れているので、徒歩では厳しいとのこと。

 お互いの連絡先は、支給されている端末に登録されているからすでに知っていたが、迎えに来てもらうために今度は住所を彼に教えた。

 これで変なことできなくなった……! 寝坊したり、ズル休みしたら家まで来て引きずり出されるかも。

「三小田、お前、この後時間あるか」

 帰り支度をしていると神前さんに声をかけられた。

「ありますよ。なんですか? また飲みにでも行きます?」
「違う。そう毎晩飲み歩いていられるか。目黒のバラ園の周辺映像の分析するから見学するかって聞いてるんだよ」
「あ! 見たいです! 見せてください!」

 荷物をデスク上に放り出して、私は椅子ごと神前さんの隣に移動した。

 わくわくして待っていると、神前さんが昼間と同じく映像をモニターにも出してくれる。
 カメラは、バラ園の外周の塀、駐車場、それから入場口付近のもの。
 バラ園の塀は三メートルほどの高さがある。それでもよじ登って悪さをしようとする者もいなくはないので、要所要所にカメラが仕掛けられていた。
 犯人が現れた時間が午後十一時二十分あたりならば、その前の映像を見ればなにかわかるかもしれない。

 カメラによっては、路上駐車している車や、園に沿って走っている道を通る車も映っている。
 バラ園の駐車場は、二百台が収容できるようになっている。そこに入れ替わり立ち代り、様々な種類の車が駐車される。
 プログラムによって、ナンバープレートの分析が可能だった車体には、持ち主の情報が紐付けられていた。映像の角度などの問題で判明しなかったものはそのままになっているが。

 まずは閉園時間後に、不審な車両や人物が映っていないか確認することにして、神前さんは映像を再生し始めた。
 閉園時間直後はまだ人が多く、ごちゃごちゃとしていて、追いかけるのに苦労する。
 十数人が一気に駐車場に散ることすらある。
 園を出てきた人たちをすべて追跡するのは難しい。入園するときから追いかけるなら、クレジット情報からIDの特定もできなくはないが。そんなことをしたら、当日入場者の動向にあわせて、何百通りもの追跡をしなければならなくなる。そこまではしていられない。

 彼は九台のカメラ映像を同時に展開した。
 深呼吸を数度。
 ログがウインドウに流れ出す。その動きはどんどん加速して、あっという間に目で追えなくなった。ちかちかした光が点滅しているようにも見えた。彼の意識が意味を理解するより速く、その奥に消える文字や数字たち。

 ――男性、青いパーカー、首から百合の紋章のチャームのネックレス。チャームのメーカー、不要、パス。スニーカーのメーカー、不要、パス。ボストンバッグ、メーカー名不要、パス。あの大きさに遺体は入らない。

 ――女性、ワンピース姿、ファストファッションブランド、不要、パス。検索対象から除外、そもそも遺体を運べない小柄さ、小学生くらいの女子だ。

 ――女性、杖、検索対象除外。

 秒速にして三十件ほどの、関連項目を自動検索してくるシステムに、一件一件、追加検索の要不要を返す。
 返すのは、耳の上のコネクタの先の脳内インプラント。その生体部品は、本人がそれを意識したという認識が到達するより速く、電気的な信号でもって、プログラムに値を返していく。

 ――国産車、黒のセダン、二〇四二年式、運転手は男性、同乗者二名、同乗者拡大。手前の男性を確認、推定身長百八十センチほど、除外。奥の同乗者確認のため、別映像からリンク、確認。高齢女性のため条件不一致、追加検索不要。ナンバー追跡不要、検索除外。

 通常は三倍速、あるいはそれ以上で映像を再生し、随時、等速もしくはスロー再生する。
 私は文字列をところどころ拾ってみた。そうしているうちにも、画面外にどんどんログは蓄積されていて、私が操作を終えるとすぐにログの波が押し寄せてくる。

 ジェットコースターに乗っているような気分だろう。
 わっと一気にいろいろな情報が頭に押し寄せてくる。ちょっとでも気になる部分があると、関連項目を含むデータベースから、キーワードが連結されて掘り起こされる。有用かどうかを判断し、深く掘り進むか戻るかを判断する。高速な、連想ゲームのように。

 ちなみに、同時に処理できる件数が増えれば当然、ASSISの判定もよくなる。時間あたりの処理量で処理速度を計測するためだ。
 神前さんはどっちかというと、同時処理可能項目が多いタイプに見えた。検定を受けるとその辺の詳細も教えてもらえる。私自身はどっちもど平均で、むしろ笑った。ある意味スタンダードだ。

 × × × × ×

 その後、たっぷり一時間、彼は作業を続けた。残念ながら確認できた部分では犯人らしき人物は見つからなかった。
 まだ塀についていたカメラの映像確認は残っているが、それは明後日以降に持ち越すことになった。

「適度に休憩しないと。あとから反動来ますよ」
「そのくらいで具合悪くなるほど、貧弱じゃねえよ」

 肩をぐるぐる回して、彼はそう反論した。まあその太い腕を見ればそうかなと思いますが。

 拡張手術で無理矢理に広げた思考の枠は、体に負担をかける。車の運転と同じで、元々の人の能力を超える道具が、心身への負担がゼロで済むわけがない。
 処理能力が高くなればなるほど、人体へのストレスが大きいという調査結果が発表されたのはもう数年前のことだ。
 中には精神疾患や肉体の一部の機能不全を誘発するという報告もある。
 たかが統計と馬鹿にしないほうがいい。何かあってからじゃ遅いのだから。

「まだ若いからって無理しちゃだめですよ、神前さん」
「くどいな。お前、俺の親かなにかか。自分の体調管理くらい自分でできる」

 うるさそうに言って、彼は帰り支度を始めた。
 私も立ち上がって伸びをした。ずっと画面にかじりついていたから、肩がバキバキになっている。ただ座ってるだけでこれだけ疲れるのに、拡張手術なんてしたらもっと疲れるんじゃないのかな。

 神前さんと並んで廊下に出た。

「ありがとうございました。なかなか見れるものじゃなかったんで、嬉しいです」
「それで? 参考になったのか」
「それはもう。一番参考になったのは、引っ張ってくるデータベースの選定ですね」

 彼の判断基準を知ることができたのは、とても大きなことだ。まあ、わかったところで、すぐに作業に活かせるかというと、そんなことはない。でも、この後長く仕事をしていけば、きっと役に立つ。頑張れ私のシナプス。

 彼はちらっと自分の腕時計を見た。

「なあ三小田、お前、夕飯――」
「三小田さんじゃないですか」

 神前さんが何か言うのに被せ、それよりも大きな声が後ろから私の名前を呼んだ。私たちは立ち止まり、振り返った。

「あれ、山本さん? どうしたんですか、こんな時間に」

 随分前に、同期の何人かと連れ立ってオフィスから出ていくのを見た気がする。
 山本さんは笑顔のまま私達のところに歩いてきて、神前さんに会釈した。

「ああ、さっきまで道場で剣道の稽古をしてたんですけど、デスクに忘れ物を取りに戻ったんです。そうだ、三小田さん、お夕飯まだでしたら、どうですか?」

 そして彼はちらっと顔を上に向けて――神前さんはやや山本さんより背が高い――、満面の笑みを作った。

「もしよろしければ、神前主任も一緒に」
「俺はいい。お疲れ様でした」
「あ、ちょっと神前さん!」

 さっき何か言いかけていた。夕飯って言った気がする。というか、歩くの速い。
 結局、神前さんは振り返らなかった。

「うーん、あんまり好かれてないみたいですね、僕は」
「……どうでしょうね。あれは多分、遠慮しちゃったんだと思いますよ」

 残念な気持ちが膨らんでいく。昨日は領家さんの言葉がきっかけだったとしても、今日はたぶん、彼の意思で声をかけようとしてくれたんだと思う。
 せっかく仲良くなる機会だったのに。

「さて、お店や料理のご希望はありますか?」

 なぜか食欲がなくなってしまった。億劫になったと言ったほうが正確だろう。

「ごめんなさい、もう遅いので今日は帰ろうと思います。明日の朝早いんです、直行で。懲りずにまた誘ってくださいね」

 頭を下げて上げるとき、ちらっと山本さんの顔が見えた。すごくきつい目をしていた気がしたけど、見間違いか。
 彼は笑顔で頭を掻いた。

「そうですよね、すみません。配慮が足りず。せっかくなので、駅までご一緒しても?」

 どちらからともなく歩きだす。
 時間は遅いが、まだ仕事をしている人たちはそれなりにいて、それは設計係も一緒のようだった。オフィスの前を通ると、沢山人が残っていた。

「それにしても、すごいですね三小田さん。もう事件の担当になれるなんて」
「いや、担当って言ったって、本当に補助的な作業しかしてませんよ。私は特に。相変わらず作業も遅いですしね」

 神前さんの作業スピードはすごかった。あれだけの処理能力があれば、私も自信持ってやっていけるのに。

「やっぱり、指導員の差って大きいんでしょうかね」
 誰が山本さんの指導係だっけ。思い出せないや。
「でも山本さんはお仕事覚えるの早いじゃないですか!」
 私がそう言うと、彼は苦笑した。
「それとこれとは別ですよ。やっぱり指導員が上司に気に入られてないと、事件回してもらえないんじゃないですか、僕ら新人は」
「そんなことないんじゃないですか? 今回はたまたまですよ」
「ほら、神前さんが転属で済んだのって、課長や領家さんがすごく彼を引っ張ったからだって聞くじゃないですか」
「え、そうなんですか」
「だから、神前さんについていけば間違いないですよ。いいなあ、三小田さん」

 ……この人、あれだ。回りくどい言い方で人を貶めるの好きなタイプの人。

 いいじゃない、人と比較しなくたって自分はいい会社に一度就職して、ASSISはAランクで容姿も悪くないんだし。前の彼女の写真を何故か見せてくれたけど、美人だったし。私や神前さんみたいな、どこか微妙な評価の二人にいちいち噛みつかなくても。

 私は頭も良くないし、器量もまあ微妙なクオリティで。へらへらしてるし、言いたいこと言ってもいいって思われることが多いらしい。今まで何度もそういうことがあった。もう慣れた。
 しかしそれは強みでもあって、図々しく考えれば、馬鹿やってもたいてい許されるってことでもある。
 だって馬鹿が馬鹿な発言してるのを本気で怒ったら、自分も同レベルだって認めたようなもの。だから私が嫌味言っても、嫌味だってとられないことが多い。そんなこと考える頭がないって思われてるんだろう。それでいいや、もう。
 急に乱暴な気持ちが湧いてきた。

「あはは、いいでしょ。山本さんもせっかくだから、領家さんのお気に入りになっちゃえばいいんですよ! そのくらい、山本さんなら簡単にできますって! 先輩が仕事取ってくるの待つ必要なんてないない、山本さんが取りに行けばいいんですよ」

 笑顔でばしばし彼の腕を叩く。
 まんざらでもない顔をして、彼は「どうですかねえ」と今更謙遜したふりをする。
 こういう手合に真面目にぶつかると、馬鹿をみる。適当に流しておくに限る。

 あーあ。今日一日、いいこともあったのに、最後の最後にケチ付いた気分。
 家帰ってビールでも飲もう。そうしよう。嫌なことはさっさと忘れよう。
 なんなら明日は自分から神前さんを食事に誘ってみよう。

 改札で山本さんと別れて、私は決意を固めた。
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