大事なものを盗られました。~魔術のない国の隠れ魔術師、剣士とともに旅に出る~

薊野ざわり

文字の大きさ
32 / 40
血族たちの元へ

<32>コランダー精肉店

しおりを挟む
 天気がよいので、街は出歩いている人の数が多い。道を行き交う人たちを横目に見ながら、シャンテナとクルトを乗せた辻馬車は、街の中心に向かっていた。

 馬車の後ろを、馬に乗った男ふたりが、付かず離れずの距離で追いかけてきている。傍目には、その辺りにいる街の人にしか見えないが、彼らはカークが手配してくれた護衛だ。

 目抜き通りへ抜けるための太い道を曲がろうとしたときだった。ごおん、ごおんと耳を聾する音が降り注いだ。重い金属を打ち付ける音だ。あまりの音の大きさに、シャンテナは手で耳を塞いだ。

「ああ、礼拝が始まるんですよ」

 慣れた様子で答えるクルトは、耳を押さえることもなく、説明してくれる。

「メルソの教会の集合の鐘は、もっと周囲に配慮していたけど」
「すぐそこに、大聖堂があるんです。国で最も大きな。ほら、あそこ」

 クルトが指をさしたほうには、尖塔を何本も立てた中央に、長方形の箱のような建造物があった。箱は、たくさんの柱に支えられており、その奥で大きな観音開きのドアが全開になっている。模範的なエウス教の教会堂の造りだった。
 ただ、その規模はメルソにあるそれとは比べ物にならない。
 聖堂に吸い込まれるように集まる人の数も恐ろしく多く、道は彼らで大渋滞だった。
 エウス教のシンボルであるエウス神が描かれた旗が、すべての尖塔の頭に立てられ、風になびいていた。
 エウス神は、目隠しされた牛頭の男神で、右手に剣を、左手に教本を持っている。目隠しされている理由は『神は、目に頼らず正義を見切る』ということらしいが、シャンテナの父などは、酒を飲むと皮肉って「正義か」と鼻で笑ったものだった。

 聖堂に入っていく人たちの、蟻の行進のような行列を、シャンテナとクルトは無言で見送った。
 普段は、もちろん、ふたりとも礼拝に参加する。だが、それはここにいる人々のように、進んでの参加ではない。あくまでも、自分たちの身を守るための偽装だ。

 目抜き通りに出ると、ようやく行列は途切れて、活気溢れる街並みが待っていた。
 ふたりを乗せた馬車は、しばらくゆっくりと通りを走っていたが、やがて一軒の店の前で止まった。
 看板には、『コランダー精肉店』と記されている。

「あれ? 精肉店……?」
「ここであってるの?」
「住所は、ここです、ほんとに。ここにミュテシー家の末裔がいるはず」

 クルトが何度も、王太子から受け取った覚え書きを確認する。
 その間も、コランダー精肉店を、主婦らしき女性たちがぞろぞろ出たり入ったりしている。この店はそれなりに繁盛しているようだ。

「とりあえず、話を聞いてみましょうよ」

 馬車から降りて、ふたりは店に入った。
 店内は、半円を描いたガラスの陳列棚があり、そこに赤々とした肉が並べられていた。棚の前にはエプロンを付けたり三角巾を頭に被った女性客たちが並び、それぞれ目当ての肉の目利きをしている。
 ガラスの棚の向こうに売り子が三人いて、みな快活そうな中年の女性だった。

 シャンテナは、ガラスの棚に写った自分の姿を見て、ほっとした。カークが見繕ってくれたという、麻の質素な服は、ちょうどこの店の雰囲気にあっている。ここ数日、与えられるままにドレスを着ていたが、やはり慣れなかった。この服は着心地もいいし、襟が詰まっているので、包帯も見えない。足下も、歩きやすい編み上げのブーツである。とても気楽だ。
 
「わー、これでシチュー作ってほしいなあ」

 誰に向かって言っているのかわからないクルトの言葉は、聞き流しておいた。彼は軍の制服ではなく、白いシャツに枯れ草色のパンツという、やはり目立たない格好をしていた。剣を腰に差しているが、市民の中にもそういう人間は一定割合いるので、さほど周囲の目を引くことはないだろう。

「いらっしゃい! 奥さん、なににする? 今日は豚がおすすめだよ!」

 右端の、一番恰幅のいい売り子が、愛想よく声をかけてきた。
 クルトが前に出て、封筒を差し出す。

「すみません、ご主人オーナーを呼んでいただけますか。こちらを」

 中指と人差し指に挟むようにして封筒を受け取った売り子は、太い眉毛を片方跳ね上げて、いぶかしげに彼を眺めた後、裏に引っ込んだ。
 しばらくして。

「お客様、こちらへどうぞ」

 裏から、下働きと思われる若い娘が出てきて、ふたりを売り場の奥へと誘った。
 売り場の奥には、肉の加工部屋があり、さらにその奥は応接室があった。
 通された応接間の内装は、年季がはいっているものの、きちんと手入れされている。
 よく磨かれた、飴色に光る卓と、飾り棚、そして革張りの長椅子。
 当然だが、水晶庭師であることを示すようなものは一切ない。
 先ほどの娘が、卓上に紅茶を並べていく。すすめられてソファに並んで座ってそれを眺めていると、ドアが叩かれた。

 入室したのは、先ほどの恰幅の良い売り子だった。前掛けで手を拭きながら、彼女はどっかりと、ふたりの前に腰掛けた。

「あたしがここの主人のエリンシアだよ。あんたらなんだい、王太子殿下の紹介状なんか持ってきて。うちになにかあるって言うのかい」

 どら声に迫力がある。彼女が魔術の徒だとは、あまり想像できなかった。いかにも、おかみさんという言葉がぴったりだからだ。

「私は、シャンテナ・タッセケイル。エヴァンス家の末裔です」
「エヴァンス? 聞いたことないねえ」

 女は肩を竦める。
 シャンテナは、思わず隣に座ったクルトを見た。彼は、落ち着いて、うなずいてみせた。

「こちらに、見覚えはありませんか」

 荷物の中から、布に包んでいた銀の針を取り出した。そして、一緒に、欠けた翡翠の首飾りも。
 首飾りは、持ち出さずに、王太子に預けておいたほうがよかったような気もするが、なにかの時のためにと、王太子から持たされたのだ。

 たしかに、事情を知らない者からすれば、壊れた翡翠の首飾りでしかないが、中身はあの国璽なのだ。持ち歩きには非常に緊張した。家宝だと思っていただけの時とは、重みが違う。

 エリンシアはじっと、銀の針と欠けた首飾りに視線を注いでいたが、首を振った。

「さあねえ。見覚えはないね。うちはしがない肉屋だよ。王太子殿下の何かの勘違いではないのかね」

 にべもなく言う。たしか、自分が会えば話をしてくれるという手はずになっていなかったか?
 シャンテナは眉間に力がこもりそうになるのを、意識して止めた。
 
「だいたいね、迷惑なんだよ。言っちゃなんだけれどね、こんな一番の稼ぎ時に来られても。このところ毎日だよ。王太子殿下には、下々の都合なんて関係ないのかもしれないけれどね」

 ふん、と鼻を鳴らす。エリンシアは懐から、紹介状の封筒を出して、卓上に放った。

「さて、帰ってくれるかね。用件はそれだけだろ」

 シャンテナは、内心、舌打ちした。どうやら、エリンシアはしつこいベルグを撒くために、話を聞くといったのだろう。それに、この様子からすると、彼女はそもそも王族側も信用していない。
 これじゃ、話を聞くどころではない。

 クルトが徐に口を開いた。

「エリンシアさん、失礼ですが、親指、どうなさいましたか」

 シャンテナはエリンシアの手を見て、息を呑む。
 顔ばかり見ていて、気付かなかった。女の両手には、親指がなかった。根元から、すぱりと。傷口は盛り上がり、淡紅色をしている。生まれつきではないだろう。
 
「……さあね。エウス神の罰があたったのさ」

 忌々しげに吐き捨てて、エリンシアは両手を前掛けの下に隠した。
 親指が欠損している状態では、彫金の仕事なんてできない。むしろ、あらゆる生活に関わる動作が不便になるだろう。
 クルトと同じだ。異端を疑われた人間は、拷問を受けることもあったという。

 ためらったが、シャンテナは口を開いた。

「……私も、罰にあたりました」

 エリンシアは、興味なさそうに、ふうん、とうなずいた。

「メルソという田舎で、しがない彫金師をしているのですが、命より大事な先祖代々の工具を、摂政閣下に没収されました。おまけに命まで狙われて」

 この始末です、と、シャンテナは服の胸元をはだけされた。まだ治りきっていない傷に、包帯が巻かれている。
 エリンシアは、じっとその様子を見ている。

「私は別に、王太子殿下に従うつもりはありません。そもそも、王族の方々のおかげで、うちは片田舎に隠れ住まないといけなくなりましたから。だけど、大事な工具を取り戻すために、今だけ、手伝うって決めたんです」

 隣のクルトから少し非難めいた視線を感じたが、彼女は話し続けた。

「迷惑被っているのは、私も同じです。この人がうちに来たときなんて、王太子殿下の直筆の脅迫状を持参していましたからね」
「やりかねないねえ……」

 遠い目をする中年女を見て、クルトがため息をついた。
 沈黙の後、エリンシアは短くため息をついて、立ち上がった。

「ちょっと待ってなさいな」

 そういって部屋を出て行ってしまう。
 だが、今度はすぐに戻ってきた。

「死んだ亭主が、あんたみたいなのが来たら渡すように言ってたのよ。あたしは見てもよくわからなかった。指ちょん切られてまで守る価値があったかもね」

 差し出されたのはハンカチだった。きれいに畳まれた、白い綿の。何の変哲もなく、男性でも女性でも使えるようなもの。
 シャンテナはそれを受け取り、大事に懐に抱えた。
 
「ありがとう」
「あんたも、あんまり深入りして、あたしみたいにならないことだね。親しい人間が死ぬのは、結構堪えるよ」

 たくましい肩を竦め、エリンシアが言う。その顔は、――少し寂しそうだった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

慈愛と復讐の間

レクフル
ファンタジー
 とある国に二人の赤子が生まれた。  一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。  慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。  これは古より語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。  だが慈愛の女神の生まれ変わりとして生を亨けた娘が、別の赤子と取り換えられてしまった。 大切に育てられる筈の慈愛の女神の生まれ変わりの娘は、母親から虐げられながらも懸命に生きようとしていた。  そんな中、森で出会った迷い人の王子と娘は、互いにそれと知らずに想い合い、数奇な運命を歩んで行くこととなる。  そして、変わりに育てられた赤子は大切に育てられていたが、その暴虐ぶりは日をまして酷くなっていく。  慈愛に満ちた娘と復讐に駆られた娘に翻弄されながら、王子はあの日出会った想い人を探し続ける。  想い合う二人の運命は絡み合うことができるのか。その存在に気づくことができるのか……

幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について

いぬがみとうま🐾
ファンタジー
「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。 実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。 ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。 誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。 「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」 彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。 現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。 それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

処理中です...