呪いは極上の恋の味

薊野ざわり

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後編

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 獣の唸りのような低い風鳴りが聞こえるたび、かごの中でマリヤは身をすくませた。ミハエルの靴音が反響する。松明の明りを頼りに進んでいくと、分かれ道があった。
 大して迷った様子無く、ミハエルは右へ向う。しばらく進むと、一筋の光が見えた。
「わあ……」
 マリヤは感嘆の声をあげた。

 月光だった。洞窟の天井に小さな穴が開き、空に浮いた満月の白い姿が窺える。そこから差し込む光が、天への階のように見えるのだ。
 光は地面で煌く透明な石に降り注いでいる。

「あれが月水晶だな。よし、採集する」
 他の水晶と違って、透明な柱の中にきらきらと動く光の粒子が見えた。閉じ込められた月光が、水晶の中で乱反射しているのだ。
「なるほど、これは珍しいな」
 宝石など見飽きているだろうミハエルでさえも唸る。水晶を袋に大事にしまいこんで、彼は辺りをうかがった。

 成長しきっていない月水晶がそこここに顔を出している。何十年かすると、立派な柱になるのだろうか。それはきっと壮観だろう。
「またここへ来たいものだな」
「ええっ。ど、どうしてですかあ! おかしなことを言わないでくださいよう」
 その言葉にまたばちんと虫かごを叩かれた。訳が分からず、マリヤはよろよろ身を起こす。
「次に来るときはせめて、まともな人型のお前を供にすることにしよう」
「私、こんなところで死にたくないです」
 マリヤの頭の中には最早、美しい月水晶などなく、洞窟に棲むという大蛇の脅威しかないのだった。
 頭上で、眉間にしわを寄せたミハエルが何故か重々しいため息をついたので、彼女は小首を傾げた。


☆★☆★☆★☆


 帰り道、異変に気づいたのはマリヤだった。
 姿だけではなく、嗅覚や視覚も鼠並みになったのかもしれない。嫌な臭いをかぎとって、マリヤは叫んだ。
「……坊ちゃま!」
 彼女はかごにしがみついた。ミハエルが素早く剣把に手をかける。

 二人が出てきた穴の横、並列している左の分かれ道に、四つの赤い輝きがあった。

「ち、せっかくここまで来たというのに!」

 剣を抜き放ち、ミハエルが飛び退る。
 松明を突き出すと、揺れる明りのなかに、舌をせわしなく動かす大蛇がいた。白い表皮はぬるりと光り、赤い双眸が凶悪な光を放っている。しかもこの大蛇――。
「双頭か! 魔女め、大事な情報を忘れたな」
 ミハエルが半身になって剣を構えた。二つ首の大蛇は、反応するように鎌首をもたげる。
 ミハエルの肩から襷がけにされた虫かごのなかで、マリヤは震えていた。

「め、珍しい蛇ですね、頭が二つだなんて」
「良かったな、珍しい体験ができた」
「ちっともよくありません! きゃああ!」
 二つの首が交差して降ってくる。
 後ろに跳んで避けた後、ミハエルの右腕が翻った。大蛇の右側の頭に、一閃が走る。しかし、表皮は岩のように硬く、魔女のまじないがかかった剣ですら、かきんと弾かれた。
 ミハエルの顔が引きつる。
「効かぬではないか!」
「あわわあわ」

 瞬時に脱兎と化した青年の背で、紐でつられた虫かごががたがた揺れる。揉みくちゃにされて、マリヤは情けない悲鳴を上げるしかない。
 蛇が洞窟全体を振動させて追いかけてくる。

「ひいい! ぼ、坊ちゃま! 死ぬ前に一つ聞かせてください! どうして一角獣なんて狙ったんですかああ!」
「死ぬとか、不吉なこと言うな! 死んでも教えてやらん!」
「あー! やっぱりこのまま死ぬんだあ!」
「死なないし、お前は人間に戻るっての! この馬鹿鼠女!」
「もとはといえば、坊ちゃまが一角獣なんて仕留めちゃうからいけないんですよう!」

 叫びながらも、ミハエルは走っていた。
 出口が見える。マリヤの入ったかごを大蛇の牙がかすっていく。
「きゃあああ!」
 あまりの恐怖に、マリヤの視界は暗くなった。


☆★☆★☆★☆



「おい、マリヤ。おいってば」

 何かとがったもので腹をつつかれ、マリヤは目覚めた。見ると、ミハエルが小枝でかごの外からマリヤの腹をつついている。

 どうやら、ちょっと気絶していたらしい。

 振り返ると、恐ろしい光景が広がっていた。
 後を追ってきた蛇が、巨大な体を出入り口に生えた天然の石柱にぶつけ、雄叫びを上げている。長い首を伸ばしてのたうつが、外へは出てこられないようだ。

「た、助かりましたあ」
「命からがらとはこのことだな」
「もう洞窟はこりごりです」
「ああ。……水晶も手に入れたし、急いで戻るぞ」


☆★☆★☆★☆


 魔女の家につくと、魔女は先ほどと変わらぬ態度で二人を出迎えた。
 マリヤを虫かごから取り出して、魔女がミハエルに向かって笑む。
「いい度胸してるよ。約束どおり、呪いを解いてやろう。アン、おいで」
 アンが、すっと魔女の前に跪いた。彼女の額に、爪の長い魔女の手が触れる。魔女の指先が淡く発光し、その赤い唇が、呪文を唱えようと開いたときだった。
「あの……やっぱり、私このままでいいです」
 ミハエルの眦がつりあがる。
「お前、まだそんなことを!」
「だって、坊ちゃま。私がこんな姿になったのは私の勝手です。自分で納得しているから、それでいいんです。坊ちゃまを危険な目に合わせてお金まで払わせてまでもとの姿に戻りたいとは思わないんです」

 自覚していないが、マリヤもミハエルに劣らず頑固である。頑として譲ろうとしなかった。

「どうする、お坊ちゃま。私は基本的に術を受ける側の意思を尊重するんだけれど」
 それはつまり、マリヤが首を縦に振らない限り、魔女は動かないという宣言だった。

 ミハエルがぐっと顔をしかめた。
「マリヤ、お前なんでそんなに聞き訳がないんだ? どうしたら元に戻るっていうんだ」
「坊ちゃまこそ、どうして私なんかをそんなに構うんですか?」
 マリヤの黒い瞳と青年の翡翠の瞳が見つめあう。

「私、知ってます。坊ちゃまが一角獣の角を手に入れようとした理由。……お母ちゃんのこと、助けようとしてくださったんですよね」

 ミハエルの目が見開かれる。鼠姿のマリヤはぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございました。でも、私は……、お母ちゃんだけじゃなくて坊ちゃままで死んじゃうかと思って、本当に、恐かったんです」

 俯いたマリヤの目から、ぽろぽろ涙が零れ落ちて、魔女の掌に小さな水溜りを作った。

「だから今日は、本当に嫌だったんです。洞窟に行くのも、全部。坊ちゃまに何かあったらどうしようって。なんとか無事に帰ってこられたけれど……」
「だったらそれでいいだろうが! お前はもとの姿に戻って」
「嫌です。私がいると坊ちゃまはまた何か無茶をするでしょう。だから私をここに置いてください、魔女さん」
「何を言い出すんだお前!」

「私は別にいいけれどー?」
 いきりたつミハエルを尻目に、魔女はマリヤの頭を指先でなでてくる。
「こんな聞き分けの無い男のところより、私のところのが住みやすいってもんだろ」
「ふ、ふざけるな! マリヤ、俺は……!」

 言い募ろうとするが、鼠姿のマリヤを見て、ミハエルはぐっと言葉に詰まった。
 生理的嫌悪感には抗えないようで首筋が粟立っている。
 魔女が肩をすくめた。

「やれやれだわ。仕方が無いから、ほら」
 その一言だけだった。ぼわんと白い煙が立ち込めると、魔女の掌の上の鼠は、鼠らしい鳴き声を上げて彼女の肩に走っていった。

 気がつくと、マリヤは床に座り込んでいた。両手を見ると、鼠のつるりとした手ではない。ちゃんとした人間の両手である。

 彼女はきょとんとミハエルと魔女を見上げた。
「えっ? おま、今、水晶……」
「あ、これ? 別に使わなくても解呪くらい出来るけど、それが何か」
 顔面を真赤に染めたミハエルだったが、頭をがしがし掻くと怒鳴るのをやめてマリヤの前に跪いた。

「……その地味な顔を見るのは久しぶりだ」
「いきなり、ひどいですよう」
「ほら立て。帰るぞ」
「帰りません」

 ため息をついて、ミハエルは懐から白い石の様なものをとりだした。紐の部分を、マリヤの首から提げてやる。
「これって……一角獣の角?」

 ミハエルの顔は、これ以上ないほど赤かった。ずいっと突き出された彼の手を、マリヤは反射的にとってしまっていた。
「お坊ちゃん、ちゃんと言葉にしないとわからんことだってあるんだよ」

 魔女がせせら笑うのに「うるさい!」と怒鳴り返して、ミハエルは傾いだ扉を蹴り開けて外へ出た。引っ張られたマリヤは脚をもつれさせながらついていく。
 魔女がにんまり手を振った。


☆★☆★☆★☆


「いいか。この角は、お前とお前の母親の為のものだ。だからお前はこれを付けて、一生俺の傍にいるんだ。俺が命をかけてとってきてやったんだぞ、名誉に思えよ!」
「名誉にはおもいますけど、別に今でも傍にいるじゃないですかあ、坊ちゃま」
「お前、絶望的に鈍いな!」
「ぜ、絶望って……」
「とにかく、お前はもう二度と鼠にならなくていいし、お前の母がいなくてもうちにいていいし、……理由なんかなくても俺の傍にいていいんだよ!」

 顔を真っ赤にしたミハエルが怒鳴った。
 声に驚いた鳥達がぎゃあぎゃあと騒いだ。
「ほんとうですか? 意地悪で後になって『嘘だった』なんておっしゃいませんか?」
 ミハエルが、額を押さえて長大息をつく。その口元には、苦笑。

「言うか、馬鹿。さあ、帰るぞ。きっと母上はかんかんだ」
「うう、奥様になんてお詫びすれば……」

 二人を乗せた馬は、嘶くと、夜道をのんびり歩き出した。
 満月の綺麗な夜空が、広がっていた。
 

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