呪いは極上の恋の味

薊野ざわり

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中編

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 鬱蒼とした森は昼間でも薄暗い。カンテラを翳して道を確かめながら、ミハエルが馬の手綱を慎重に引いた。

「坊ちゃまあ、お屋敷を抜け出すなんて、奥様が心配なさいますよう」
「森の魔女なんかに会いに行くだなんて言ったら、父上も母上も許すはずがないだろう」
「それつまり、行ってはいけないっていうことでは。それに魔女に会って、どうするんですか誰か呪うんですか?」
「阿呆! お前の呪いを解くんだ、お前の!」
 馬の首につけた虫かごを爪先で小突かれ、中のマリヤはひっくり返った。

「いらぬ世話をかけさせおって。これだからお前は周りの連中に馬鹿にされるんだ。俺の乳兄妹なんだ、もっと堂々としていろ」
「乳兄妹なんて言っても、お母ちゃんも死んでますし、今はただの穀つぶしなわけで……。お屋敷に置いて頂けているだけで御の字ですよう。ですから坊ちゃま、帰りましょう。鼠になっていたほうがご飯少なくてすむから、迷惑かかりませんでしょう」
「そういう問題じゃない! よりによってなんで俺が一番嫌いな鼠なんだ! これじゃあお前の顔を見に行くたびに悪夢を見るわ!」
「大丈夫ですよう。もうじき坊ちゃまも御結婚なさる年齢でしょう。そしたら私なんか構っている暇もなくなりますから。あいた!」
 またかごをがつんとやられて、マリヤは転がった。ミハエルはむっつりと手綱を引く。

 紫色の不気味な葉を茂らせた大樹を右に折れると俄かに開けた場所に出た。草地の真ん中に、ぽつんと小さなぼろ家がある。
 三角屋根や木の壁は補修の痕だらけで、扉は斜めだ。だが煙突から煙がたなびいている。
 中にはたしかに人がいるらしい。
 マリヤには覚えのある場所でもあった。

「ここか」
 下馬したミハエルが、虫かごを持って家の扉を叩くと細かい木屑がぱらぱら落ちた。
「誰かおらぬか。尋ねたいことがある!」
 返事はない。青年の眉間にしわが増えた。
「ああっ坊ちゃま、短気はいけませんよう」
「うるさい! ええい、いるのはわかっているのだ、さっさと出てこぬか!」
 マリヤの忠告を無視して、貴公子は拳で扉を叩いた。すると、扉はぐらりと傾いで、派手な埃を舞い上げて、屋内に倒れこんだ。

 もうもうと立ち込める埃に、マリヤたちは咳き込む。
 やがて晴れてきた煙幕の向こうに、黒尽の女が一人、気だるげに椅子に腰掛けて本を読んでいた。年の頃なら三十前後。赤い口紅を引いた、妙に扇情的な顔だちの女だ。真黒なローブを着ている。

「無作法者のおとないは御遠慮願いたいね」
「ならばすぐに出てくればよいではないか」

 女は本をぱたんとたたんで立ち上がった。唇は笑みの形になっている。
「こっちの都合ってもんを考えないのはいかにも都人だねえ。それで、何の用」
「こいつを元に戻せ」
 ずいと突き出されたかごの中でマリヤがこてっと転がる。眼を細めた魔女は手を叩いた。
「あら、いつかのお嬢ちゃん。てことは、こちらは例のハイナッド家の跡取り息子ね。なるほど、男前じゃない。ああでも、この娘を元に戻すのはだめ」
「金はある。言い値を出そう」
 ミハエルが懐から取り出した皮袋を卓上に置いた。じゃらっと金属が擦れ合う音がする。
「気前のいいこと。でもね、いくら金を詰まれても駄目なものは駄目なんだよ」
 ずいと魔女は指を突き出して、
「契約は完了しちまった。この娘の姿はもう別の奴のものなんだよ。出ておいて、アン」

 堆く本が積まれた棚の前の空間に突然、紫の炎が吹き上がった。中からワンピースを纏った少女が忽然と現れる。その手には盆に載せられた紅茶のカップがあった。
 アンと呼ばれた少女は、穏やかな笑みのまま青年に紅茶を差し出した。それは、寸分違わぬ、マリヤの笑顔だった。

「私の顔ってこんなだったんですねえ。なんだか変な気分です。鏡で見るのとは違うわあ」
 また虫かごを引っぱたかれマリヤは口をつぐんだ。ミハエルは受け取ったカップを優雅に口に運んで紅茶を飲み干す。
「何があればその姿を返してもらえる」
「だから、駄目だって言ってるだろう」
「駄目と言っただけで無理とは言ってない」
「ぼ、坊ちゃまあ……」
 睨みあう二人の下で、かごのなかのマリヤは身を小さくする。迫力についていけない。

 笑い出したのは魔女の方だった。
「その通り。できなくはない。でもやる気が無い。儀式に材料が必要なんだ。私はその材料を集めに行く気はないのさ、危険だもの」
 ミハエルもにやりとした。
「ふん、そんなもの俺がいくらでも集めてきてやる。そしたら儀式をすると約束しろ」
「また、大きく出たねえ。いいさ、やろうか。代金ももらうよ。でもできるかな? 必要な月水晶は、この先の洞窟にあるけれど、洞窟には巨大蛇が住み着いているからね」
「蛇が怖くてハイナッドの後嗣が務まるか」
「鼠は駄目で蛇は平気なんです? いた!」

 虫かごを抱えると、青年は立ち上がる。彼に魔女が、小振りの剣を差し出した。革製の鞘をはらうと、青みを帯びた刀身が現れる。
「餞別。呪いをかけたから切れ味は最高だよ」

 柔らかな笑顔でアンが手を振る。
 頭上のミハエルが一瞬、切なげな顔をした。
 マリヤには、なぜ彼がそんな顔をするのかわからなかった。
「行ってくる。おい、娘。それまでマリヤの姿を預けておいてやる」
 びしりと指を指されたアンは、笑顔のまま、
「チュー」
 嬉しそうに返事をした。
「アンがお嬢ちゃんになったんだ、お嬢ちゃんがアンになって不思議じゃないだろ」
 意地悪く笑む魔女に背を向け、青年は口を押さえた。鼠が淹れたお茶を飲んでしまったことを後悔しているようだ。
「坊ちゃまあ、顔が真っ青ですよう。やめときましょうよう」
「お前は黙っていろ!」
 ずかずかと大股で歩くミハエルを、マリヤは心配して見つめるほかなかった。


☆★☆★☆★☆


(なんでこんなことになったんだろうなあ)

 揺れる虫かごの中でマリヤは考える。今や日も暮れ、森の中は本物の闇が凝固している。
 あちこちで獣の動く音が聞こえては、彼女は身を震わせていた。

 ミハエルはカンテラから松明に持ち替え、獣が嫌がる臭いの油を燃やしつつ進んでいる。
 その顔はいつも以上に厳しくて、うかつに話しかけられない。だからマリヤは一人で答えの出ない思考の迷路に迷い込んでいた。

 ミハエルが倒れたとき、彼女は真っ先に本を開いた。文献によれば、一角獣の角を手に入れた者は同時に呪いを受けるとあった。角の恩恵は煎じて飲めば万能薬となり、削りだして身に着ければ万難を避けるお守りになるという。だが呪いも強力で一角獣を殺すと、三日三晩のうちに狩人も必ず死ぬという。
 人々はミハエルが呪いを信じずに『幻獣を仕留めた』という名声を求めたのだと噂する。

 マリヤは、もちろん彼がそんな人物ではないと知っていた。彼には、きっと一角獣の角が必要だったのだ。でなければ、わざわざ危険な古代遺跡の奥まで踏み込みはしない。

 ミハエルが倒れた翌日、母が息を引き取った。マリヤは泣いた。同時に戦慄した。もう一人の大事な人が、自分の数少ない友人までもが、死んでしまうかもしれない。そのことを考えると、むしろマリヤ自身が死んでしまいそうな気分になった。だからマリヤは無我夢中で、一人森の奥に住まう魔女の元まで行ったのだ。

『代償はお前の姿。それでもいいんだな』
 問う魔女の言葉に、迷い無く頷いて、小瓶を胸に抱えて馬で駆けた。助けたかったのだ。

 ――やはり、洞窟なんかに行きたくない。

 彼に危険な目にあって欲しくなかった。
「坊ちゃまあ……」
「着いたぞ」
 呼びかける声を掻き消して、ミハエルが馬から降り立った。虫かごの網につかまって、マリヤも眼前の洞窟を見上げる。

 真っ暗だ。しかも深そう。生ぬるい風が奥から吹いてきている。身震いして、彼女は虫かごの中で身を小さくした。

「やっぱり止めましょうよ坊ちゃまあ。また坊ちゃまが怪我でもなさったら、旦那様や奥様に合わせる顔がございませんよう」
 必死に訴えると、また虫かごをばちんとやられた。もんどりうつ。
「俺のためにお前は呪いを受けて、それで俺が怪我をするのは嫌だというのか」
「そうです。大事な御子息が怪我したら、ご両親が心配なさいますよう」

 またばちんとやられるかと思ったが、身構えていても衝撃は来なかった。
 恐る恐る上を見ると、翡翠色の目がじっとマリヤを見下ろしている。暗がりだからはっきりは見えないが、なんだか苦しそうな顔をしていた。

 もしかして、まだ体調が万全でないのでは。

 マリヤが問いかける前に、ミハエルが口を開いた。
「娘がそんな姿になって、死んだ母は浮かばれるか。それに、誰も心配しないだなんて決め付けるな。自分を否定するような物言いをするから、周りから軽んじられるんだ」
 いつもの有無を言わせぬ調子ではなく、静かに説かれて、思わずマリヤは頷いていた。
「行くぞ。蛇の餌にならないよう気をつけろ」
「この中じゃどうしようもありませんよう」
 瞬時にいつもの強引な調子に戻って、ミハエルが洞窟内に踏み込んだ。

 マリヤは自分の胸に手を当てた。つるりとした指で胸に触れても硬い毛の感触しかないけれど、たしかにほんわりと温もりがあった。

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