R18 咎人は死なずの騎士姫に恋をした

薊野ざわり

文字の大きさ
48 / 122

#46 ハイリー 自覚と侮辱

しおりを挟む
 いつになってもクラウシフは戻ってこない。お茶を何杯も飲んだせいか催してしまって、給仕のメイドに断って応接室を出た。

 戻る途中、早足で歩くバルデラン翁とすれ違った。慌てた様子で、リネンを抱えているのが気になった。老いて痩せてしまった彼からそれを受け取る。お客様にそんなこと、などと遠慮してみせる昔なじみの老人に「いいから。待つのにも飽きたんだ」と自分勝手な理由を押し付け、無理矢理手伝うことにした。

 道すがら聞いたことには、クラウシフは医師となにか話し込んでいてまだ戻れないのだという。やっぱり忙しいのだろう。

 案内されたのはアンデルの部屋だ。
 着替えをさせている途中で、うっかり水差しをひっくり返して、彼の掛布から寝巻きまでびしょびしょにしてしまったらしい。高熱があるというのに災難だな。
 開けづらそうにしていたドアを押さえてあげて、ここまで持ってきたリネンを渡すと、バルデランはにこりとした。
 
「ありがとうございます、ハイリーお嬢様。お一人で応接間まで戻れますか?」
「もちろん。勝手にくつろがせてもらっているから、私のことは気にしないで」

 その場を後にしようとした私の背に、声がかかった。

「ハイリー……来てくれたんだ」

 つい、部屋の中を見てしまった。窓から差し込む柔らかな午後の陽光のなか、下男に体を拭かれている途中のアンデルと目があった。ベッドに上半身を起こし、こっちをじっと見つめている。
 心配になるほど痩せた体は、熱のせいか紅潮している。腕を怪我しているので着替えが難航しているようだ。新しい寝間着に腕を通そうと下男が頑張っている。

「ええ、来たよアンデル。悪かったな、休んでいるところ。しっかり眠って、早く元気になるんだよ。では、私は」
「帰ってしまうの……?」

 消え入りそうな声に、足がまた止まってしまった。その場で逡巡する。幼馴染といえども、成人間近の異性の部屋に容易に踏み込むわけにもいかない。
 バルデラン翁がささやいた。アンデルには聞こえぬように。

「差し出がましいことを申しますが、今は気持ちも体も弱っておりますから、励ましのお言葉を頂戴できれば……」

 下男が任務を果たし、濡れてしまった服を抱えてそそくさと部屋を出ていった。
 入れ違いに、私は何年ぶりかもわからないアンデルの私室に足を踏み入れた。バルデランが深々腰を折って、ドアを開けて去っていく。

 廊下やホールの壁を塗り替えた時、ここの窓枠を取り替えたりしなかったのだろうか。だいぶ錆びついてガタがきているように見えるが。壁はきれいに塗り直されているのに。

 ――見てハイリー、お母さまが図鑑を買ってくださったの!
 
 幼いアンデルが顔を輝かせ私に見せびらかした分厚い図鑑は、本棚の最下段に並べられていた。何度も読み返したのだろう、背がぼろぼろになっている。他にも、彼の好奇心の変遷を教えるように、たくさんの図鑑や辞典、専門書などが本棚を埋め尽くしている。そこに収まりきらなかったものは床に直に置かれたりして、秩序があるようなないような、……汚くはないが整頓されているともいいがたい部屋である。

 配置が変わった使い込まれた机の上には、実験道具らしきものが、やはり雑然となっている。アンデルにしかわからない規則性があるのかもしれない。

 その机上に懐かしいものを見つけた。銀のトレーに一本だけそっと置かれている金色の羽根。泥を吸って汚れてしまった羽根には、いまもきちんと青いリボンが結ばれていて、埃が積もった様子もない。まだ持っていてくれたのか。

 ベッドの横の椅子に腰を降ろした。
 ぐったり枕に頭を預けていたアンデルが、ふと目を開けた。焦点が危うい。呼吸も苦しげで、見ていてこちらまで苦しくなってしまう。ろくに風邪を引いたこともないくせに。

「アンデル、辛そうだね、なにかしてほしいことがあったら言って」
「……うん……」

 ナイトテーブルの上の器に張られた水に、置かれていた布を浸して絞り、汗が浮いた額を拭う。
 こめかみの汗を拭く私の手に、彼の熱い頬が擦り寄せられた。手の甲にはそっと手のひらを添えられて、その部分が熱くなる。彼の体温が移ったように。

 動揺を悟られないよう、その手を退かして、作業を黙々と続けた。

 頬に張り付く黒髪を反対側の手で払う。昔はコシがなくひたすらに柔らかい感触だった髪は、水分を含んでいるからか少し硬くなったようだ。

 髪を梳かれるのが気持ちいいのか、アンデルの表情が和らぐ。

 この髪を撫でてあげるのが好きだった。彼が可愛くて仕方がなかった。ずっとそのままだと思っていた。そのままでいてほしかった。だって彼が大人になってしまったら、きっと、……もう私に手紙なんか書いてはくれない。

 ――幼い子どものままでいてほしい、姉のように慕ってほしいなんて。クラウシフが言ったとおりなのか? 私は傲慢で、残酷な人間なのか。

 きっとそうなのだろう。酷い話だ。姉のように、だなんて思っておきながら、もし本当にそうだったら、寂しいなんて。
 


 アンデルが穏やかな寝息を立て始めたのを見計らったように、クラウシフが開いてるドアをノックした。それをきっかけに、応接間に移動した。お茶は断ったのだが、代わりにレモン水を出された。手を付けないのも用意してくれたメイドに申し訳ないので、一口だけいただく。

「さっきの件。単刀直入にいわせてもらう。君の希望には添えない」
「それは、お前のギフトのことがあるからか?」

 単刀直入に言われたのは私の方か。

「……そうだ」
「ハイリー。それについては問題ない。こういう言い方もどうかと思うがな、俺には子どもが三人もいる。全員男児だ。次男のアンデルが必ずしも子を設ける必要はない」
「気遣いの言葉と受け取っておく。だがそれだけではない。私は今の仕事が気に入っている。腹が立つことも多いが、それでも死に場所にしてもいいと思うくらいにはな。だからそもそも誰とも結婚する気はないんだ」
「男の軍人は妻を街に残してるんだから、お前がそうしたっていいだろうに。アンデルのことは憎からず思っているんだろう?」
「それを君に話す必要が? いくら君が彼の兄だからって、干渉が過ぎるのでは」
「では、俺の妻になる気は? ……はは、お断り、か。残念だな」

 ぱたぱたと前髪からレモン水のしずくをこぼしながら、クラウシフは肩をすくめた。
 
「あまり私を馬鹿にするな。くだらない冗談を言ったら、次は剣の切っ先をくれてやる」
「俺は至って真剣だし、馬鹿にしたつもりはないんだが。
 ――バルデラン、ハイリーに車を手配してやれ、帰るそうだ」
「結構だ」
 
 お前にだけは、傲慢で残酷だなんて言われる筋合いはない。
 久々に、腹の底が凍るような怒りを覚えながら、私はシェンケルの屋敷を後にした。振り返りたくないと思いながらも、決心が鈍って足が止まる。

 アンデルの髪の感触が、まだ手のうちに残っている。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

結婚式に結婚相手の不貞が発覚した花嫁は、義父になるはずだった公爵当主と結ばれる

狭山雪菜
恋愛
アリス・マーフィーは、社交界デビューの時にベネット公爵家から結婚の打診を受けた。 しかし、結婚相手は女にだらしないと有名な次期当主で……… こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載してます。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

処理中です...