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その2
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ばたばた足音を立てながら、鏡の間に飛び込んだわたしを出迎えたのはヨウルだ。
「おいおい、ルカ、走ったらルベール様に叱られるんじゃないのか」
苦笑し、彼は首にメジャーをかけた。
わたしは膝に手をつき、荒い息をする。コルセットを締めるタイプのドレスだったら、気絶してるんじゃないだろうか。
「そのルベールから逃げてきたの!」
「またなんで」
「言いたくない」
出された問題に回答したら、急にぐいぐいきて「あなたが成長する姿を見るのが、いつの間にか楽しみになっているなんて」とかなんとか言って、顎をくいっとやられりゃそりゃ逃げる。連日のイケメン波状攻撃に、強制的にちょっとだけ異性に慣れたとはいえ、見たらぎょっとするくらいきれいな顔立ちの男が、不意に顔を覗きこんできたら。
恥ずかしくて死ぬよ! 顔真っ赤になって、唇わなわなするよ! 頭くらくらしちゃうよ!
問題に正解できるのは当然なのだ。だってもう、百周目だもの、今回で。いい加減、答えも覚えるよね。毎日のルベールのお教室用に三百題以上しょうもないトンチ問題が用意されてるとはいえ(用意したのは木戸だ)、百周目だよ、百周目。同じ問題を何度出されたと思いますか。つまり、その気になれば不正解を出して、ルベールに呆れられることだってできたわけだが。
そうしなかった理由はひとつ。今回のイベントをこなさないと来週のお食事会で、ライバル女子の妨害にあったときルベールが庇ってくれない。そうなると、今後の展開が変わってきちゃうから、いやいや正解を言ったのだ。当たって嬉しくないなんてあるんだなあ、クイズでも。
ため息をついて、どっかりソファに座る。ああ、頬が熱い! 変な汗が手とか背中に滲み出てる。わたしは、手でぱたぱた顔を仰いだ。
「ルカ様」
お茶を持ってきてくれた世話係のユナが顔をしかめたので、慌てて背筋を伸ばす。
ユナには毎日、態度の悪さを叱られる。すまし顔で可愛い子だけど、実はめちゃくちゃ言葉がきつい。普段はあんまりしゃべらないから、きっとみんなそうは思わないんだろうなあ。
「さて、じゃあ今日は調整をしてしまいましょう」
ユナの手前、よそ行きの敬語になったヨウルが、立ち上がった。ちょっとぎこちない動きで、部屋の奥のトルソに着せたドレスの横に立つ。負傷の後遺症のせいで、彼は走れないんだそうだ。
「もう形になってきたんだね、すごくきれい」
「お褒めいただき光栄です」
うやうやしく一礼された。気障な動きが全然似合ってない。笑っちゃう。それでさっきの頭がくらくらするような興奮が、少し落ち着いた。
彼が今調整してくれているのは、来週の食事会に着るためのドレスだ。新緑の光沢ある生地にはネップが入っていて、絶壁なわたしの胸を気持ちふっくら見せてくれるような胸元にボリュームのあるデザインになっている。
「うーん、やっぱり肩とか腕を出すの、ちょっと恥ずかしい」
着せてもらい、微調整されながらそう言うと、ヨウルは笑った。ちなみにユナはさっきお茶のおかわりを取りに出ていったから不在。アシスタントのお針子さんも、奥に引っ込んでなにかしてるから、ここにいるのは私とヨウルだけ。
「そういうのは堂々としてりゃいんだよ、きれいな肌だし。アベル陛下もきっと釘付けになるぜ、肌と服のコントラスト、すごくいいから。ま、気になるなら、手袋も作るが、どうする」
砕けた口調に戻ったヨウルは、試しにと、たまたま持っていたらしい長手袋を貸してくれた。肩は出たままだけど、腕はほとんど隠れる。引き締め効果でもあるのか、ちょっと細く見えるような?
「これいいなー。やっぱり手袋あるといいんだけど」
「わかった。サービスしておくよ、お得意さんだし」
「ありがとう」
「これもサービス。共布で作ったんだ」
「わー、かわいい! ありがとう!」
ヨウルが差し出したのは、小振りのコサージュだった。後ろにピンが縫い付けられていて、髪にも服にも付けられる仕様。華美じゃないから、扱いやすそう。
「なんのなんの。次もまたご贔屓に」
からっと笑い、彼は作業に戻る。
――これなんだよなあ。
他のキャラたちは、最初っから私のことを(いや、正確に言えば巫女のことを)ぐいぐい口説きにかかってくるんだけど、ヨウルはそういうことしてこない。お兄ちゃんみたいな距離感。わたしはそっちのほうが安心していられるからいい。でも、そのせいで人気がないのかもなあ。
この距離感のおかげで、わたしは彼となら変に赤面したり、しゃっちょこばらずに接せるのだ。
「どうした?」
わたしの視線に気付き、ヨウルは顔をあげた。
「ううん、別になんでもないよ」
「俺が男前すぎて、見惚れたか!」
「まさか。アベル陛下とかルーク殿下とか毎日見てて、それはない」
「だよなー」
笑って、彼は作業を再開させた。
わたしは鏡を見て、自分の髪にさっきもらったコサージュをつけた。顔周りが一気に華やぐ。
「似合ってるよ」
「……ありがとう」
すごく嬉しそうな顔をして、ヨウルが言った。わたしは顔が赤くなりそうになって、慌てて気をそらした。
× × × × ×
一周目、アベルとラブラブになり、一発ヤッて、世界を救う。
二周目、ルークとラブラブになり、一発ヤッて、世界を救う。
三週目、フレッドとラブラブになって、一発ヤッて、(以下略)
ヨウル以外のキャラと個別エンドを全種クリアしたとき、わたしは嫌なことに気付いてしまった。
たぶん、百周しないと、トゥルーエンド(通称バッドエンド)に到達しないのだ。なぜなら私がふざけて変数をいじったから。
取り出したるは、乙女の秘密手帳。
この世界にルームウェアでやってきた、わたしの唯一の持ち物だ。でも、これ、現実世界で自分のものだった記憶はない。というか、わたしが好んで買うデザインじゃない。ローズピンクの布張りの表紙で、小口は金付けされていて、小さなかわいい鍵が付いている。乙女感満載なアイテム。
アベルと試してみてわかったんだけど、わたしが触れると難なく開く鍵は、他の人が触れると閉まってしまう。中に書いてある文字も、わたしは普通に読めるけれど、他の人には読めなかった。つまり日本語。
そして書いてあるのは、こんなこと。
★☆★☆
なまえ:ルカ
ジョブ:巫女
スキル:女神の加護(状態異常無効)
所持品:
秘密の手帳 1
アベルの手紙 1
ルークの写真 1
フレッドのくれたかんざし 1
マンドラゴラ 2
ネクロノミコン 1
女神の涙1/100 99
現在の状況:
仕立て屋さんと仲良くなれそう。
がんばって!
変数管理:
アベル好感度 12
ルーク好感度 14
(中略)
ヨウル好感度 31
女神の涙アベル 1
女神の涙ルーク 1
女神の涙フレッド 1
女神の涙パトリック 1
女神の涙ルベール 1
女神の涙ヨウル 0
トゥルーエンドフラグ 0
★☆★☆
うん、実際に管理していたフラグとはちょっと名称とか違ってるけど、デバッグ中によく見たあれだ。
日課のようにこの手帳をチェックしていて、フレッドとの個別エンドを迎えたあたりでおかしいぞと思った。
本来の設計では各キャラの個別エンディングをクリアするともらえる『女神の涙1/6個』が、全部集まると『女神の涙』一個になり、トゥルーエンドに到達する。でも、各キャラの個別ルートをクリアした時にもらえたのは『女神の涙1/100個』。百個集めてようやく完全体『女神の涙』ができることになっとる。
そして、『女神の涙』は個数だけじゃなくて、種類もあって。各キャラから一個ずつ回収――つまり個別ルートをクリアしないと、完成形にならない。
頭抱えたね。つまるところ、トゥルーエンドを迎えるためにわたしは、百回個別ルートをクリアしなきゃならないってことだ。しかも全種類。
これを地獄と言わずなんと言う!
なにせ、冒頭に戻るたびにいろんなものがリセットされて、毎回毎回、わたしは鳥肌モノのイケメンに甘い言葉をかけられ続けるのだ。なんの修行だ。ショック療法的やり方で、わたしの男性への苦手意識を克服させるつもりなのか。
それだけじゃない。なぜか処女に戻っているのだ。単純に行為が痛い。もう、何度ヤッても痛いなんて、酷い。シナリオでは朝チュンなのに、なんでしっかりやらなきゃならないんだ。割愛していいでしょうが! 体感時間で半年間もイケメンから総攻撃食らって、挙句の果てにそれって、拷問以外の何でも無い。
幸せ? そりゃあ、ある意味、幸せ。それは認める。わたしみたいな喪女に、驚くほどみんな尽くしてくれる。こんなの、現実世界じゃありえない。人生で一番輝いてると思う、今。
しかしながら、手に手を取って魔王封印の報せを聞いて、これから幸せになろうと見つめ合ったタイミングで、タイトルコールよろしく目の前が真っ白になる瞬間の寂しさったらない。
『真に魔王を打ち破る日まで、仮初の平和が取り戻された』
なんて、思わせぶりなモノローグが流れ。
次に目が覚めたら、召喚の儀式が終わったところで、アベルに介抱されてる。エンディングに辿り着くまで、わたしに優しくしてくれたキャラクターも、そのことすっかり忘れて、初対面の挨拶からに戻ってるのだ。本気で笑って泣いて没頭したストーリーが、やり直し。……また最初からやり直しても、同じところで泣いて同じところで笑っちゃう自分のちょろさがにくい。
変数をいたずらなんかした、わたしの自業自得とわかっていても辛い。画面越しになら多少客観的に見れるのに、VR真っ青のリアリティで眼前に突き出されたら、そりゃ覚めてられないもの。あーあ、こんなことなら、変ないたずらするんじゃなかった。
うん、何度も繰り返すうちに、もう一つ、気付いたのだ、わたし。
サファトニクが言ってた、世界を狂わせた悪しき魂って、わたしのことじゃん。
わたしが変なループを作っちゃったから、魔王は封印されても蘇る。本来だったら、最短六回で済んだループが百回って。たしかに呪いだわ。わたしがトゥルーエンドに到達するまで、ずっとこれの繰り返し。魔王が目覚めて、世界が混乱する。そこに召喚されるわたし。
本気で自業自得すぎる。
いや、ほんと、ごめん。土下座するから、元の世界戻ったら死ぬ気でバックアップデータ探すから許してと女神に泣きつきたくても、彼女とは部屋で会って以来、顔を合わせてない。
泣く泣く、痛くて恥ずかしい思いを繰り返し、ようやく百周目。これで最後だ。ヨウルルートの『女神の涙』を回収したら、トゥルーエンドに突入して、現実世界に帰れる、はず。
百回クリアが条件だと気付いたときに、推しのヨウルルートは最後にしようと決め、今まで一度も進んでなかった。だって、他のキャラでも泣いたり笑ったりでぐったりだったのに。繰り返しててもそうだったのに、推しと、とか。とくに、悲しいシーンなんか、もう無理に決まってる。心臓潰れるかも。
それに、私、ヨウルルートのシナリオを途中から把握してないのだ。
体験版配布時にアンケートで振るわなかった彼のルートは、ちょっとテコ入れしようという話になり、各キャラのルートでターニングポイントにもなる食事会イベント以降のストーリーを変更することになった。
変更後のストーリーが仕上がったのは、あの飲み会の日の一月前。わたしは忙しくて、全部に目を通してない。さぎょイプにも不参加で、そのときの議事録メモも積んでた。
こんなことなら、せめてシナリオだけでもさっさと一読しておくんだった……!
来週の食事会以降のイベントから、全然わかんない。
うーん、これで失敗してお色気むんむん変態気味の、パトリックヤンデレルートに突入したらやだな……。
一応、『めがうた』にも個別エンドやトゥルーエンド以外に、何パターンかのエンディングは用意されている。平たく言えば本当の意味でのバッドエンドだ。パトリックの色気に負けて籠絡させられて自滅したり、ライバル女子の妨害で命を落としたり。今の所そういう致命的なやつは回避してきている。それもすべて、自分でそのルートを把握しているからであって、ヨウルのルートは未知数で怖い。
まあ、それでも、どうせ『女神の涙のかけら1/100個』が回収できなくて、また冒頭からやり直しになるだけといえば、それまで。クリアまでの道のりがちょっと遠回りになるだけ。たぶん。吉野が変なもの追加してなければ。してないよね、吉野。
私の運命は、ストーリーの大筋に沿っているみたい。多少好き勝手しても、予定調和的にイベントに向かって物事が収束していく。
各キャラクターも同じみたいで、重要なイベントや大筋にそった行動をとるけど、遊びの部分では各人、設定資料にもなかった個性を発揮する。
実はアベルが読書好きで、休みの時間は図書室にこもっているとか。ルークが絵を書くのが趣味だとか。
さすがにそんな細かいシナリオまで吉野は書けなかった。なのに、ぎこちないルーチンではなく、各キャラはまるで生きてるみたいに生活して、そこにいたるまでの人生がある。だから毎回、泣いちゃったリ笑っちゃったりするんだ。彼らのわたしが知らない側面を見せられて。
さてヨウルは、どんな顔を見せてくれるんだろう。期待しながらも、わたしは気を引き締める。とにかく、ヨウルと仲良くなることに全神経を集中させなきゃ。めざせ個別エンディング。
× × × × ×
ヨウルは、仕事が早い。
ドレスに慣れず、裾踏んづけて転んだり、変な歩き方になってるわたしを見て、叱ったりはしない。歩きやすいように、中に着るパニエの形を変えてくれたり、靴も足に合わせて調整してくれたりする。その作業をしてるときは、いつもの気安い感じじゃなくて、真剣な職人の顔になる。
「ばーさん方でも楽に着られるドレスって、作ったら売れると思わない?」
でも口調は冗談まじりで、ちゃちゃっとお直ししてくれる。
昔剣を握っていたという無骨な手が、わたしの体を服の上からあちこち触れてくるのは、緊張する。
アベルやルークたちと比べりゃ、そりゃあ華はないけれど。彼だって、きれいな顔立ちだと思う。まわりの顔面偏差値が異常値叩き出してるだけで、ヨウルももし現実にいたら、思わず振り返るくらいの格好よさなのだ。
他のメンバーがお人形のような顔立ちだとすると、彼はちょっと愛嬌があるって感じかな。近くで見た頬に、わずかにそばかすの痕みたいなのが見えたりとか。笑ったとき、にかっとして少年っぽいところとか。
彼は明るくておおらかでも、仕事は真面目だ。適当でいいよ、なんて言ったら「俺の作品に適当なんてない」って言って、惜しみなく手を加えてくれる。そうして出来上がったロイヤルブルーのドレスは、わたしのお気に入りだ。
ヨウルのうちは代々仕立て屋だったらしい。ただ、彼は家業は兄に任せ、軍に入った。昔からの夢だったんだって、兵隊さん。魔族と戦って、国を守るのが。
それが初陣で、味方の誤射に巻き込まれ怪我をし、あっさり退役。実家に戻って修行して、十年。もともと幼い頃にいろいろ仕込まれていたこともあり、今は父と兄とともに、王室御用達でやってるのだという。
ちなみに、彼が献上した真紅のガウンがアベルの目にとまって、彼は私の服を作る担当になったのだ。
アベルのイベントでそのガウンを着てるところを見たけど、あれはすごかった。いかにも王様! って感じだった。王冠がよくあう。
そんなヨウルは、時々昔の話をしてくれる。たとえばこうして、繊細なレースが縫い付けられた襟元に、「こんなステッチどう」って言いながら、金色の糸でちくちく刺繍したりしつつ。
「まーとにかく手が遅くてさあ、俺は。兄貴や弟の二倍くらい時間かかって、ようやく作業が終わるんだよ。親父に呆れられまくって、ため息つかれて、焦って仕上がりがしょぼくなって、余計に凹んで。それが嫌で嫌でさあ。そんなことより俺は魔族と戦って、国を守るんだーなんて言って飛び出してって、あえなく撃沈したわけ」
ステッチは、手が遅いって言われたとは思えないほど速く正確に進み、あっというまに襟ぐりにぐるりと、小枝のような鳥の足跡のような模様ができあがった。等幅でできるって、すごい。経験と訓練に裏打ちされた作業だと思う。わたしなんて、玉結びだってろくすっぽできやしない。
彼は続いて、ビーズの入った箱を取り出し、「散らしたらきれいじゃねえ」と言って、ひとつひとつランダムに、レースの上に縫い付けていく。金色のビーズは、透明で、光にきらきら透ける。星屑みたい。わたしはつい、魅入ってしまう。
「じゃあ、今この仕事は、不本意? すごく素敵なのに」
「はじめはなー。あんまり好きじゃなかったよ。体動かすの好きだからさ、じっとしてると発狂しそうだった。でもさ、出来上がったのを渡したときの相手の顔見てると、なんかそれでもいっかって」
「わぁ、きれい……」
月並みな言葉しか出ない。光を透かして、レースの影が床に落ちる。それはわずかな風に揺れ、波の様だった。
「よし、じゃあ着てみてくれ」
ヨウルの言葉で、お針子さんたちが出てきて、わたしの着替えを手伝ってくれた。
着てみてびっくり。馬子にも衣装って、このこと。
新緑のドレスと、私の茶色の目が意外とあう。シルバーグレーのレースの襟のおかげで胸元も寂しくない。なにより芸術品みたいに、ひとつひとつの仕上がりが美しい。肌触りもいい。
「すごい! なんかわたしちょっときれいじゃない?!」
わたしがつい興奮して言うと、ヨウルは肩をすくめた。
「俺の腕がいいからね」
「ほんとだね! すごい、すごいよ。ヨウルにドレス仕立ててもらえて嬉しい」
「よかったよ。よく似合ってる。きれいだ」
彼はコサージュを――この前くれたやつより大ぶりで、真ん中には大きなパールがついているやつ――を胸元に留めてくれた。鎖骨に、彼の指が触れたような気がする。
それより、至近距離から彼の顔を見てしまったわたしは、また顔が熱くなって、そっちのほうが大問題で。実際に指が触れたかどうかまで、しっかり自覚できなかった。このところ、耐性できたと思ってたのに。心臓がきゅうっとなった。
だって、ヨウルはすごく幸せそうに笑っていたから。
「おいおい、ルカ、走ったらルベール様に叱られるんじゃないのか」
苦笑し、彼は首にメジャーをかけた。
わたしは膝に手をつき、荒い息をする。コルセットを締めるタイプのドレスだったら、気絶してるんじゃないだろうか。
「そのルベールから逃げてきたの!」
「またなんで」
「言いたくない」
出された問題に回答したら、急にぐいぐいきて「あなたが成長する姿を見るのが、いつの間にか楽しみになっているなんて」とかなんとか言って、顎をくいっとやられりゃそりゃ逃げる。連日のイケメン波状攻撃に、強制的にちょっとだけ異性に慣れたとはいえ、見たらぎょっとするくらいきれいな顔立ちの男が、不意に顔を覗きこんできたら。
恥ずかしくて死ぬよ! 顔真っ赤になって、唇わなわなするよ! 頭くらくらしちゃうよ!
問題に正解できるのは当然なのだ。だってもう、百周目だもの、今回で。いい加減、答えも覚えるよね。毎日のルベールのお教室用に三百題以上しょうもないトンチ問題が用意されてるとはいえ(用意したのは木戸だ)、百周目だよ、百周目。同じ問題を何度出されたと思いますか。つまり、その気になれば不正解を出して、ルベールに呆れられることだってできたわけだが。
そうしなかった理由はひとつ。今回のイベントをこなさないと来週のお食事会で、ライバル女子の妨害にあったときルベールが庇ってくれない。そうなると、今後の展開が変わってきちゃうから、いやいや正解を言ったのだ。当たって嬉しくないなんてあるんだなあ、クイズでも。
ため息をついて、どっかりソファに座る。ああ、頬が熱い! 変な汗が手とか背中に滲み出てる。わたしは、手でぱたぱた顔を仰いだ。
「ルカ様」
お茶を持ってきてくれた世話係のユナが顔をしかめたので、慌てて背筋を伸ばす。
ユナには毎日、態度の悪さを叱られる。すまし顔で可愛い子だけど、実はめちゃくちゃ言葉がきつい。普段はあんまりしゃべらないから、きっとみんなそうは思わないんだろうなあ。
「さて、じゃあ今日は調整をしてしまいましょう」
ユナの手前、よそ行きの敬語になったヨウルが、立ち上がった。ちょっとぎこちない動きで、部屋の奥のトルソに着せたドレスの横に立つ。負傷の後遺症のせいで、彼は走れないんだそうだ。
「もう形になってきたんだね、すごくきれい」
「お褒めいただき光栄です」
うやうやしく一礼された。気障な動きが全然似合ってない。笑っちゃう。それでさっきの頭がくらくらするような興奮が、少し落ち着いた。
彼が今調整してくれているのは、来週の食事会に着るためのドレスだ。新緑の光沢ある生地にはネップが入っていて、絶壁なわたしの胸を気持ちふっくら見せてくれるような胸元にボリュームのあるデザインになっている。
「うーん、やっぱり肩とか腕を出すの、ちょっと恥ずかしい」
着せてもらい、微調整されながらそう言うと、ヨウルは笑った。ちなみにユナはさっきお茶のおかわりを取りに出ていったから不在。アシスタントのお針子さんも、奥に引っ込んでなにかしてるから、ここにいるのは私とヨウルだけ。
「そういうのは堂々としてりゃいんだよ、きれいな肌だし。アベル陛下もきっと釘付けになるぜ、肌と服のコントラスト、すごくいいから。ま、気になるなら、手袋も作るが、どうする」
砕けた口調に戻ったヨウルは、試しにと、たまたま持っていたらしい長手袋を貸してくれた。肩は出たままだけど、腕はほとんど隠れる。引き締め効果でもあるのか、ちょっと細く見えるような?
「これいいなー。やっぱり手袋あるといいんだけど」
「わかった。サービスしておくよ、お得意さんだし」
「ありがとう」
「これもサービス。共布で作ったんだ」
「わー、かわいい! ありがとう!」
ヨウルが差し出したのは、小振りのコサージュだった。後ろにピンが縫い付けられていて、髪にも服にも付けられる仕様。華美じゃないから、扱いやすそう。
「なんのなんの。次もまたご贔屓に」
からっと笑い、彼は作業に戻る。
――これなんだよなあ。
他のキャラたちは、最初っから私のことを(いや、正確に言えば巫女のことを)ぐいぐい口説きにかかってくるんだけど、ヨウルはそういうことしてこない。お兄ちゃんみたいな距離感。わたしはそっちのほうが安心していられるからいい。でも、そのせいで人気がないのかもなあ。
この距離感のおかげで、わたしは彼となら変に赤面したり、しゃっちょこばらずに接せるのだ。
「どうした?」
わたしの視線に気付き、ヨウルは顔をあげた。
「ううん、別になんでもないよ」
「俺が男前すぎて、見惚れたか!」
「まさか。アベル陛下とかルーク殿下とか毎日見てて、それはない」
「だよなー」
笑って、彼は作業を再開させた。
わたしは鏡を見て、自分の髪にさっきもらったコサージュをつけた。顔周りが一気に華やぐ。
「似合ってるよ」
「……ありがとう」
すごく嬉しそうな顔をして、ヨウルが言った。わたしは顔が赤くなりそうになって、慌てて気をそらした。
× × × × ×
一周目、アベルとラブラブになり、一発ヤッて、世界を救う。
二周目、ルークとラブラブになり、一発ヤッて、世界を救う。
三週目、フレッドとラブラブになって、一発ヤッて、(以下略)
ヨウル以外のキャラと個別エンドを全種クリアしたとき、わたしは嫌なことに気付いてしまった。
たぶん、百周しないと、トゥルーエンド(通称バッドエンド)に到達しないのだ。なぜなら私がふざけて変数をいじったから。
取り出したるは、乙女の秘密手帳。
この世界にルームウェアでやってきた、わたしの唯一の持ち物だ。でも、これ、現実世界で自分のものだった記憶はない。というか、わたしが好んで買うデザインじゃない。ローズピンクの布張りの表紙で、小口は金付けされていて、小さなかわいい鍵が付いている。乙女感満載なアイテム。
アベルと試してみてわかったんだけど、わたしが触れると難なく開く鍵は、他の人が触れると閉まってしまう。中に書いてある文字も、わたしは普通に読めるけれど、他の人には読めなかった。つまり日本語。
そして書いてあるのは、こんなこと。
★☆★☆
なまえ:ルカ
ジョブ:巫女
スキル:女神の加護(状態異常無効)
所持品:
秘密の手帳 1
アベルの手紙 1
ルークの写真 1
フレッドのくれたかんざし 1
マンドラゴラ 2
ネクロノミコン 1
女神の涙1/100 99
現在の状況:
仕立て屋さんと仲良くなれそう。
がんばって!
変数管理:
アベル好感度 12
ルーク好感度 14
(中略)
ヨウル好感度 31
女神の涙アベル 1
女神の涙ルーク 1
女神の涙フレッド 1
女神の涙パトリック 1
女神の涙ルベール 1
女神の涙ヨウル 0
トゥルーエンドフラグ 0
★☆★☆
うん、実際に管理していたフラグとはちょっと名称とか違ってるけど、デバッグ中によく見たあれだ。
日課のようにこの手帳をチェックしていて、フレッドとの個別エンドを迎えたあたりでおかしいぞと思った。
本来の設計では各キャラの個別エンディングをクリアするともらえる『女神の涙1/6個』が、全部集まると『女神の涙』一個になり、トゥルーエンドに到達する。でも、各キャラの個別ルートをクリアした時にもらえたのは『女神の涙1/100個』。百個集めてようやく完全体『女神の涙』ができることになっとる。
そして、『女神の涙』は個数だけじゃなくて、種類もあって。各キャラから一個ずつ回収――つまり個別ルートをクリアしないと、完成形にならない。
頭抱えたね。つまるところ、トゥルーエンドを迎えるためにわたしは、百回個別ルートをクリアしなきゃならないってことだ。しかも全種類。
これを地獄と言わずなんと言う!
なにせ、冒頭に戻るたびにいろんなものがリセットされて、毎回毎回、わたしは鳥肌モノのイケメンに甘い言葉をかけられ続けるのだ。なんの修行だ。ショック療法的やり方で、わたしの男性への苦手意識を克服させるつもりなのか。
それだけじゃない。なぜか処女に戻っているのだ。単純に行為が痛い。もう、何度ヤッても痛いなんて、酷い。シナリオでは朝チュンなのに、なんでしっかりやらなきゃならないんだ。割愛していいでしょうが! 体感時間で半年間もイケメンから総攻撃食らって、挙句の果てにそれって、拷問以外の何でも無い。
幸せ? そりゃあ、ある意味、幸せ。それは認める。わたしみたいな喪女に、驚くほどみんな尽くしてくれる。こんなの、現実世界じゃありえない。人生で一番輝いてると思う、今。
しかしながら、手に手を取って魔王封印の報せを聞いて、これから幸せになろうと見つめ合ったタイミングで、タイトルコールよろしく目の前が真っ白になる瞬間の寂しさったらない。
『真に魔王を打ち破る日まで、仮初の平和が取り戻された』
なんて、思わせぶりなモノローグが流れ。
次に目が覚めたら、召喚の儀式が終わったところで、アベルに介抱されてる。エンディングに辿り着くまで、わたしに優しくしてくれたキャラクターも、そのことすっかり忘れて、初対面の挨拶からに戻ってるのだ。本気で笑って泣いて没頭したストーリーが、やり直し。……また最初からやり直しても、同じところで泣いて同じところで笑っちゃう自分のちょろさがにくい。
変数をいたずらなんかした、わたしの自業自得とわかっていても辛い。画面越しになら多少客観的に見れるのに、VR真っ青のリアリティで眼前に突き出されたら、そりゃ覚めてられないもの。あーあ、こんなことなら、変ないたずらするんじゃなかった。
うん、何度も繰り返すうちに、もう一つ、気付いたのだ、わたし。
サファトニクが言ってた、世界を狂わせた悪しき魂って、わたしのことじゃん。
わたしが変なループを作っちゃったから、魔王は封印されても蘇る。本来だったら、最短六回で済んだループが百回って。たしかに呪いだわ。わたしがトゥルーエンドに到達するまで、ずっとこれの繰り返し。魔王が目覚めて、世界が混乱する。そこに召喚されるわたし。
本気で自業自得すぎる。
いや、ほんと、ごめん。土下座するから、元の世界戻ったら死ぬ気でバックアップデータ探すから許してと女神に泣きつきたくても、彼女とは部屋で会って以来、顔を合わせてない。
泣く泣く、痛くて恥ずかしい思いを繰り返し、ようやく百周目。これで最後だ。ヨウルルートの『女神の涙』を回収したら、トゥルーエンドに突入して、現実世界に帰れる、はず。
百回クリアが条件だと気付いたときに、推しのヨウルルートは最後にしようと決め、今まで一度も進んでなかった。だって、他のキャラでも泣いたり笑ったりでぐったりだったのに。繰り返しててもそうだったのに、推しと、とか。とくに、悲しいシーンなんか、もう無理に決まってる。心臓潰れるかも。
それに、私、ヨウルルートのシナリオを途中から把握してないのだ。
体験版配布時にアンケートで振るわなかった彼のルートは、ちょっとテコ入れしようという話になり、各キャラのルートでターニングポイントにもなる食事会イベント以降のストーリーを変更することになった。
変更後のストーリーが仕上がったのは、あの飲み会の日の一月前。わたしは忙しくて、全部に目を通してない。さぎょイプにも不参加で、そのときの議事録メモも積んでた。
こんなことなら、せめてシナリオだけでもさっさと一読しておくんだった……!
来週の食事会以降のイベントから、全然わかんない。
うーん、これで失敗してお色気むんむん変態気味の、パトリックヤンデレルートに突入したらやだな……。
一応、『めがうた』にも個別エンドやトゥルーエンド以外に、何パターンかのエンディングは用意されている。平たく言えば本当の意味でのバッドエンドだ。パトリックの色気に負けて籠絡させられて自滅したり、ライバル女子の妨害で命を落としたり。今の所そういう致命的なやつは回避してきている。それもすべて、自分でそのルートを把握しているからであって、ヨウルのルートは未知数で怖い。
まあ、それでも、どうせ『女神の涙のかけら1/100個』が回収できなくて、また冒頭からやり直しになるだけといえば、それまで。クリアまでの道のりがちょっと遠回りになるだけ。たぶん。吉野が変なもの追加してなければ。してないよね、吉野。
私の運命は、ストーリーの大筋に沿っているみたい。多少好き勝手しても、予定調和的にイベントに向かって物事が収束していく。
各キャラクターも同じみたいで、重要なイベントや大筋にそった行動をとるけど、遊びの部分では各人、設定資料にもなかった個性を発揮する。
実はアベルが読書好きで、休みの時間は図書室にこもっているとか。ルークが絵を書くのが趣味だとか。
さすがにそんな細かいシナリオまで吉野は書けなかった。なのに、ぎこちないルーチンではなく、各キャラはまるで生きてるみたいに生活して、そこにいたるまでの人生がある。だから毎回、泣いちゃったリ笑っちゃったりするんだ。彼らのわたしが知らない側面を見せられて。
さてヨウルは、どんな顔を見せてくれるんだろう。期待しながらも、わたしは気を引き締める。とにかく、ヨウルと仲良くなることに全神経を集中させなきゃ。めざせ個別エンディング。
× × × × ×
ヨウルは、仕事が早い。
ドレスに慣れず、裾踏んづけて転んだり、変な歩き方になってるわたしを見て、叱ったりはしない。歩きやすいように、中に着るパニエの形を変えてくれたり、靴も足に合わせて調整してくれたりする。その作業をしてるときは、いつもの気安い感じじゃなくて、真剣な職人の顔になる。
「ばーさん方でも楽に着られるドレスって、作ったら売れると思わない?」
でも口調は冗談まじりで、ちゃちゃっとお直ししてくれる。
昔剣を握っていたという無骨な手が、わたしの体を服の上からあちこち触れてくるのは、緊張する。
アベルやルークたちと比べりゃ、そりゃあ華はないけれど。彼だって、きれいな顔立ちだと思う。まわりの顔面偏差値が異常値叩き出してるだけで、ヨウルももし現実にいたら、思わず振り返るくらいの格好よさなのだ。
他のメンバーがお人形のような顔立ちだとすると、彼はちょっと愛嬌があるって感じかな。近くで見た頬に、わずかにそばかすの痕みたいなのが見えたりとか。笑ったとき、にかっとして少年っぽいところとか。
彼は明るくておおらかでも、仕事は真面目だ。適当でいいよ、なんて言ったら「俺の作品に適当なんてない」って言って、惜しみなく手を加えてくれる。そうして出来上がったロイヤルブルーのドレスは、わたしのお気に入りだ。
ヨウルのうちは代々仕立て屋だったらしい。ただ、彼は家業は兄に任せ、軍に入った。昔からの夢だったんだって、兵隊さん。魔族と戦って、国を守るのが。
それが初陣で、味方の誤射に巻き込まれ怪我をし、あっさり退役。実家に戻って修行して、十年。もともと幼い頃にいろいろ仕込まれていたこともあり、今は父と兄とともに、王室御用達でやってるのだという。
ちなみに、彼が献上した真紅のガウンがアベルの目にとまって、彼は私の服を作る担当になったのだ。
アベルのイベントでそのガウンを着てるところを見たけど、あれはすごかった。いかにも王様! って感じだった。王冠がよくあう。
そんなヨウルは、時々昔の話をしてくれる。たとえばこうして、繊細なレースが縫い付けられた襟元に、「こんなステッチどう」って言いながら、金色の糸でちくちく刺繍したりしつつ。
「まーとにかく手が遅くてさあ、俺は。兄貴や弟の二倍くらい時間かかって、ようやく作業が終わるんだよ。親父に呆れられまくって、ため息つかれて、焦って仕上がりがしょぼくなって、余計に凹んで。それが嫌で嫌でさあ。そんなことより俺は魔族と戦って、国を守るんだーなんて言って飛び出してって、あえなく撃沈したわけ」
ステッチは、手が遅いって言われたとは思えないほど速く正確に進み、あっというまに襟ぐりにぐるりと、小枝のような鳥の足跡のような模様ができあがった。等幅でできるって、すごい。経験と訓練に裏打ちされた作業だと思う。わたしなんて、玉結びだってろくすっぽできやしない。
彼は続いて、ビーズの入った箱を取り出し、「散らしたらきれいじゃねえ」と言って、ひとつひとつランダムに、レースの上に縫い付けていく。金色のビーズは、透明で、光にきらきら透ける。星屑みたい。わたしはつい、魅入ってしまう。
「じゃあ、今この仕事は、不本意? すごく素敵なのに」
「はじめはなー。あんまり好きじゃなかったよ。体動かすの好きだからさ、じっとしてると発狂しそうだった。でもさ、出来上がったのを渡したときの相手の顔見てると、なんかそれでもいっかって」
「わぁ、きれい……」
月並みな言葉しか出ない。光を透かして、レースの影が床に落ちる。それはわずかな風に揺れ、波の様だった。
「よし、じゃあ着てみてくれ」
ヨウルの言葉で、お針子さんたちが出てきて、わたしの着替えを手伝ってくれた。
着てみてびっくり。馬子にも衣装って、このこと。
新緑のドレスと、私の茶色の目が意外とあう。シルバーグレーのレースの襟のおかげで胸元も寂しくない。なにより芸術品みたいに、ひとつひとつの仕上がりが美しい。肌触りもいい。
「すごい! なんかわたしちょっときれいじゃない?!」
わたしがつい興奮して言うと、ヨウルは肩をすくめた。
「俺の腕がいいからね」
「ほんとだね! すごい、すごいよ。ヨウルにドレス仕立ててもらえて嬉しい」
「よかったよ。よく似合ってる。きれいだ」
彼はコサージュを――この前くれたやつより大ぶりで、真ん中には大きなパールがついているやつ――を胸元に留めてくれた。鎖骨に、彼の指が触れたような気がする。
それより、至近距離から彼の顔を見てしまったわたしは、また顔が熱くなって、そっちのほうが大問題で。実際に指が触れたかどうかまで、しっかり自覚できなかった。このところ、耐性できたと思ってたのに。心臓がきゅうっとなった。
だって、ヨウルはすごく幸せそうに笑っていたから。
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