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その9(ルクス視点)

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 シュシュとはじめて話したのは、施術所起ち上げのパートナーを探しているときだった。

 実は、はじめは俺も別の施術所に雇われで入所するつもりだったのだが、いろいろな施術所を見学したり話を聞いているうちに、自分で開設したいと思うようになった。

 施術所に見学に行くたびに目につく「所長や先輩へのおべっか」の強制にうんざりしたのだ。たしかに、独立するまで経験値を貯めるのに面倒をみてもらう立場だが、自分より下手くそなやつに、必要以上にヘコヘコしたくない。そういう自分に気付いて、きっと誰かの元で働くのは難しいだろうと考えた結果、実績のないうちはきついだろうが、どこかで自分の事務所を開いてしまったほうがいいと考えた。

 しかし、ひとりで施術所を開設するには王都の物件は高価だ。学校が融資してくれる金額も、物件の頭金で消えてしまう。悩んだ俺は、誰かもうひとり誘って共同経営者になってもらうことを思いついた。
 
 できれば、面倒くさくないやつがいい。
 同じ学年の学生はその時点でかなりが就職先を決めていたので、顔の広い教授に同じようなことを考えているやつを数人紹介してもらった。
 そのなかに、シュシュがいた。同じ村の出身なので、存在だけは知っていた。ろくに話したこともなかったが、それでもよかった。

 はっきりいって、声をかけたとき彼女の人となりにはさほど興味がなかった。ちゃんと仕事をして、施術所の発展に協力してくれればそれでいいと考えていたのだ。
 もちろん最低限のことは確認した。シュシュがどうして雇われ生体刻印師にならなかったか。刻印のデザインをやりたかったのだそうだ。たしかに、雇われになったら、自分で刻印のデザインを考えて施術、なんてことはさせてもらえないだろう。今あるスタンダードなものを、できるだけ短時間で効率よく。そう言われる。
 本当は、服飾関係に進みたかったけど、家計がそれを許さなかったんだよねえ、と彼女は語った。ちょっぴり残念そうに。

 話してみてわかった。シュシュは大雑把な女だ。……いい言い方をすれば、気取らない、か。
 大雑把すぎて不安にさせられることも多々あったが、結果的にそこがよかったのかもしれない。開設のための打ち合わせも、大抵、俺の意見を通してくれた。

 同じように実家が大家族で貧乏ということもあり、端から親の援助を期待してないところもよかった。彼女の前に話を持ちかけた相手は、足りない部分を知恵で補うよりも、互いの親に金を出してもらおうと考えていて、もっと良い設備を、もっといい立地を、と話が噛み合わなくなってご破算になったのだ。シュシュは俺たちの身の丈にあった計画に同意してくれた。

 一級生体刻印師の俺のほうが将来的な収入は多く見込める。だから、俺が代表となり多めに融資を受けることにした。
 そんなこんなで大きくはないが、希望通りの設備の施術所が開設でき、俺達は共同経営者となった。

 喜んだのも束の間、すぐに厳しい資金繰りに頭を悩ませることになった。技術に自信はあった。しかしながら実績と集客力がなかったのだ。

 もし、よいデザインの刻印ができれば施術所の売りになる。そう考えた俺は、シュシュに刻印のデザインを依頼した。休憩時間にこそこそ、スケッチブックにデザイン画を描いてるのを盗み見ていたから。
 有償で頼んだのだが、シュシュはそれを辞退して、代わりに在庫のインクの色を増やしたがった。インクはナマモノだから、どこの施術所も在庫を抱えたがらない。絞った色数で済ませるのが常識だ。珍しい色はそのぶん、単価が高い。しかし、熱心にシュシュに口説かれて俺はそれを許可した。
 
 シュシュのデザインは、予想以上にウケた。細かいこと気にしないタイプのくせに、彼女のデザインは繊細だ。それをうまく彫る技量も必要だから、他所には真似できないうちの強みになった。取り扱いインクの色の豊富さも、女性にウケたようだ。

 それは俺ひとりだったらきっと切り捨てていた需要だった。開設二年で、遠方から患者が来るようになったのは、シュシュの努力のおかげだとも思う。

 仕事は真面目だし、丁寧だし、熱意もある。もしかすると自分はかなりよい相手と共同経営者になれたのかもしれない。
 そんな風に巡り合わせの幸運を噛みしめるようになったのは、開設から一年ほどしてからだろうか。
 
 新しいデザインの話をしていると、シュシュは目をきらきらさせて、楽しそうに身を乗り出す。普段はおちゃらけているから、はじめそうされたときは驚いたが――いつの間にかそれが好ましくなっていた。時間を忘れてふたりで明け方まで話し込むこともしばしば。
 食いっぱぐれないようにと選んだだけの仕事に夢中になる日がくるなんて。

 俺が気持ちを自覚したとき、シュシュには別の相手がいた。彼女の男の趣味は悪い。一度、施術所の前で待ち合わせしているところに出くわしたが態度の悪さに閉口した。シュシュが話しかけてるのに上の空。あのあとすぐに別れたようだから、気持ちが離れていたのかもしれないが、あそこまで露骨にするならきちんとけじめをつけるのが筋なんじゃないのか。
 
 あけっぴろげなシュシュは、別れてすぐにそれを俺に報告してきた。そのとき、柄にもなく落ち込んだ様子だったので、彼女の気持ちが落ち着いた頃に提案することにした。……少し関係を変えてみないか、と。
 それで様子を見ていたら、副業を始めた彼女は忙しくなって、プライベートな話をする時間がほとんどなくなってしまった。
 朝から晩まで働かなければならないほど家計が逼迫してるなんて知らなかった。疲れた顔でぐったり休み時間にスケッチブックを眺めているのを見ては、むかっ腹が立った。

 ――副業を始める前に、一言俺に相談すればもっといい方法があったかもしれないのに、馬鹿なのか。というか相談くらいしろよ。男にフラれたことよりそっちのが重要じゃねえのか。
 
 それから副業のことを俺が口うるさく言うからか、シュシュはあまり自分のことを話さなくなり、結局、彼女に俺は気持ちを伝えぬまま、時間ばかりが過ぎてしまった。

 今思えば、様子見なんかせず自分の気持ちを伝えておけばよかった。そうしたら、シュシュは変な仕事を始める前に、俺に相談を持ちかけたかもしれないのに。
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