幻想疾患

清懺歌

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 ぶくぶく。ぶくぶくぶく。

 瞼を開くと、私は海の中にいた。
 不意に顔を上げると、太陽の光に反射して水面がキラキラと光っている。こぽっ・・・というバブル音だけが私の耳朶を叩いた。
 
 肺が少し苦しいけれど、息が出来ないことは無い。

 だってここは大好きな夢の中だから。

 私の背中を何かがこんっと小突く。それはぬいぐるみの可愛らしいピンクのイルカ。イルカの他にもウインナーに似たタコや、ビニール袋で出来たイカたちが私を迎えてくれる。
「さぁ、お屋敷へ参りましょう」
 ピンクのイルカが口を動かしながら言った。
「ここにもお屋敷があるんだね」
「勿論ですとも。みんな夢唯様をお待ちしております。さぁ、わたくしめの背中にお乗り下さい」

 紳士的なピンクのイルカの上に乗り、私はお屋敷へ向かう。
「今日は何があるの?」
 ピンクのイルカの隣を泳ぐウインナー型のタコとビニール袋のイカに問いかける。
「今日はイソギンチャクたちの舞があるよ」
「違うゾ。今日はイワシたちのイリュージョンダ」
「イカは嘘つきだな。今日はイソギンチャクの舞だ」
「いいヤ、イワシたちのイリュージョンダ!」
 私の目の前で喧嘩を始めるタコとイカ。イルカが宥めようとするも、彼らの喧嘩はヒートアップ。
 終いにタコはただの茹でたウインナーに。ビニール袋だったイカは萎んでスルメへと変化してしまった。
「わぁ!」
 ウインナーとスルメがこちらへ向かってくる。彼らの腕は突然大きくなり、イルカの背中に乗っていた私を突き飛ばした。
 イルカは気付いていないのか、そのまま進んでいく。

 待って、待ってよ!

 私を置いていかないで!






「……す。……に……おれていて……」
 誰かの声。多分、女の人。聞き覚えがあるような気がしたけど、どうしてだか思い出せない。
「だい……すか。聞こえ……か」
 今度は男の人。あぁ、そんなに揺さぶらないでよ。
 私はお屋敷へ行かないといけないのに。イルカを呼び戻さないといけないのに。

「大丈夫ですか覚崎さん!」
 ハッキリと聞こえた担任の先生の声。
 目をぱちくりとさせた夢唯は現実世界へ引き戻された。
「先生、覚崎さんが目を覚ました!」
 担任は夢唯の家へ電話しようとしていた保健室の先生にそう叫ぶ。淡い水色のカーテンから保健室の先生が顔を出すと、目覚めた夢唯の姿を見てほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。覚崎さん大丈夫?どこか具合が悪かったの?」
 夢唯は首を横に振る。
「……そう。一応熱だけ測って見ましょうか。親御さん家にいるかな?」
「……いません。共働きです」
「じゃあ、携帯の電話番号とか分かる?」
 夢唯は再び首を振った。
「分かったわ。じゃあこれ体温計。終わったら教えてね」
 保健室の先生から白くて冷たいデジタル体温計を受け取ると、先生たちはカーテンの外へ行き、夢唯一人が取り残される。制服の一番上のボタンを外し、与えられたデジタル体温計を脇に挟んだ。
 保健室の天井を見つめながら、夢唯は体温計の音がなるのを待つ。その時、外にいる先生たちの声が聞こえてきた。
「このことは他の教科の先生方にも伝えておきます。熱があった場合はしばらく保健室で休ませて……」
 
 ……もし熱があって、もうしばらくここに居られるのならまた夢を見れる。今度は喧嘩するウインナーとスルメが出てこないような明るくて楽しい夢がいいな。そうだなぁ、例えば……

 ピピピピッ。

 夢唯の思考を遮るように体温計が音を鳴らす。確認してみると、三十六度と至って正常な体温。金属部分を擦って熱を発生させようとも考えたが、体温計の音に気がついた担任がカーテンを開けて入ってきた。
「どうだ?」
 夢唯は無言で体温計を渡す。数字を見た担任は、大丈夫そうだな、と呟いた。
「覚崎さん、もしかして夜遅くまで起きていたんじゃないか?」
 担任から疑いをかけられた夢唯はむっと口を尖らせる。
 夜遅くまで起きていたら夢が見れない、なんて正直に話してもどうせ分かってくれないだろうから黙秘することにした。
「とりあえず、授業に出れそうだったら出てください。単位のこともあるからよく考えるように」
 担任はそう言葉を残して保健室の先生に後を頼み、自分の授業へ戻って行った。

 単位、単位単位単位単位単位単位。

 大人はそればかり。中学校とは違うから仕方ないのかもしれないけれど、余計にプレッシャーをかけられたようで夢唯は胸がきゅっと苦しくなった。
「覚崎さん、もしかして何かあったの?」
 夢唯が横たわるベッドの傍に寄り、保健室の先生はその場で屈んで見せた。
「例えば、いじめられているから教室に行きたくないとか」
 誰もが一度は通る生徒たちのカースト制度。確かにグループに属さない子はいじめの対象になりやすいかもしれない。だが、夢唯がクラスから孤立しているのは、彼女自身がグループという教室よりも狭いところに押し留められることを嫌うがゆえだった。

 一人は別に怖くないし、辛くもない。だって私には夢の中の住民達がいるから。

「……いえ、人がいっぱいいる所が少し苦手なだけです」
 匂いが嫌、音が嫌、そんな我儘をぶつけても、夢唯一人のために学校が変わるわけがない。だから、よくありそうな答えを口にした。
「そうなの。もし辛かったらいつでも保健室に来ていいからね。昼休みとかも空いてるから」

 先生、私は昼休みの保健室が、一番嫌いなんです。
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