『しろくま通りのピノ屋さん 〜転生モブは今日もお菓子を焼く〜』

miigumi

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■第6話『プリン、はじめました』

 *

 朝、窓を開けると春の風がふわりと入り込んだ。

 今日が、「しろくま通りのピノ屋さん」の本格的な開店日。
 といっても、看板はまだ手描きだし、メニューも一品だけ。

「はじまりのプリン、三つ分……よし、できた」

 慎重に冷やしたカスタードプリンを、木製のトレイに並べる。
 ほんのり甘いカラメルの香りが広がって、小さな家に“おやつの時間”が訪れたようだった。

「ピノ、準備できたよ」

「ぴっ」

 ピノは玄関の横に置いた丸い木の台に乗って、看板の横でちょこんと座る。
 店の外から見ると、まるでこのお店の看板魔物みたいだった。

 *

「こんにちは~……あら、あなたが新しく来た子?」

 最初にやってきたのは、八百屋の女将さんだった。
 ぽっちゃりとした体に、エプロンと大きなカゴを抱えている。

「えっと……はい。今日から、お菓子屋さんを始めました。まだ一品だけですが……よければどうぞ」

「まぁ、“はじまりのプリン”? 名前も素敵。いただいてみるわね」

 女将さんは木のベンチに腰かけて、スプーンですくって一口。
 その瞬間、ほんの少し目を見開いた。

「……これ、不思議な食感ね。ぷるっとしてるけど、優しい。なんていうの? これは?」

「えっと……プリン、です」

「プリン……? 初めて聞くわ。焼き菓子じゃなくて、蒸してあるの?」

 リィナは内心、少しだけ驚いた。
 この世界ではプリンが“知られていない”。
 そう――つまり、これは“私だけが知っているお菓子”なのだと。

「はい、湯煎でゆっくり火を入れるんです。卵と牛乳と砂糖だけで、作れます」

「ほぉ……やるわねぇ。材料も手軽だし、何より美味しいわ」

 女将さんは、すっかり気に入った様子で追加を頼み、近所の友人たちにも声をかけると言って帰っていった。

「……プリン、なかったんだ」

 リィナは、木のカウンター越しに冷めたカラメルを見つめながら、ぽつりとつぶやく。

 前世では当たり前だったお菓子。
 でもこの世界では、それは“新しいもの”だった。

「ぴ?」

「ううん、なんでもない。ちょっと、嬉しくなっちゃっただけ」

 もしこれが、誰かの毎日の楽しみになったら。
 誰かの、“生きててよかった”になるなら。

 私は、お菓子屋さんになれてよかったと思える。

 *

 夕方、扉の前に立っていたのは、またあの人だった。

「こんにちは。またあの甘い香りに誘われてしまいました」

「……いらっしゃいませ」

 レオ、と名乗るその騎士風の男性は、前と変わらぬ柔らかい笑顔で店に入ってくる。
 ピノはまたしても彼をじっと見て、くるりと身体を回転させた。
 ……たぶん、まだ警戒している。

「今日は“はじまりのプリン”を。名前まで素敵ですね」

「ありがとうございます。……これ、この世界にはないみたいなんです」

「そうなんですか。……では、あなたが“初めてのプリン職人”かもしれませんね」

 ふわりと、笑うレオの声は穏やかで優しいのに、どこか遠くを見ているようで。

(……やっぱりこの人、ただの旅人じゃない)

 でもリィナは、それを問いただすつもりはなかった。
 彼が“誰か”であるより、“このお店に来てくれる人”でいてほしかったから。

 *

 夜、ノートに新しいレシピ名を記す。

《はじまりのプリン》――この世界で、はじめての味。
そこに、静かに線を引いた。
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