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第3章
§14
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毎日届けた無駄な婚姻届にも、効能はあった。
その話しを聞いた香澄のお母さんと、俺は会うことになった。
「あの子が死んだらどうするの?」
病院の喫茶コーナー。
とってもアットホームな雰囲気のこぢんまりとしたお店で、客席はわずかに三テーブル程度、使い込まれた傷だらけのグラスに飲み物が注がれ、解放的な空間演出に、すぐ脇を来院者たちが通り抜けていく。
「死んだら、死亡届を出して、火葬に出します」
「子供は?」
「俺の子供ということになりますよね」
「うちで今後とも一切面倒はみないよ」
「当然です」
「入院費用は払う。後は勝手にして」
「分かりました」
後は、香澄自身と菜々子ちゃんの許可だけ。
香澄の病室を覗いても、ずっと寝てるだけだし、相変わらず看護師さんも主治医も、俺には何も教えてくれない。
菜々子ちゃんは、最近はずっと家の居間に来ていて、ひたすら尚子と北沢くんからもらった本で勉強している。
「俺を、お父さんにしてくれる?」
「あたしが結婚するんじゃないから。誰がなっても私には関係ないし」
やっぱり、香澄に意識を取り戻してもらうしかない。
もしも、導師が今でも話しが出来るなら、きっと魔法をかけてくれたに違いない。
俺の結婚の望みは叶わなくても、せめて香澄を、一時だけでも、目覚めさせることは出来ただろう。
俺は中途半端にしか魔法を習ってないから、そんな極意なんてものはさっぱり分からなくて、結局いつもと同じに、何も出来ないでいる。
「導師、なんで俺をもっと早く、魔法使いにしてくれなかったの?」
俺が導師をぎゅっと抱きしめたら、導師は腕から飛び出して逃げていった。
「また言ってる。なんで魔法使いになりたいわけ?」
「この世の全てを支配したいから、大魔王になりたいの」
菜々子ちゃんは、ふんと笑った。
「あんたって、本当にバカだよね」
毎日毎日、婚姻届けを片手に病室に通っていると、いいこともあって、もちろん嫌悪感たっぷりの視線でにらまれるのが九割なんだけど、それでもこっそり味方してくれる人が、わずかながら出てくる。
その日も、菜々子ちゃんの付き添いってことで、俺は病室に入れてもらえた。
「あんた、まだ来てたの」
香澄は酸素マスクをつけていて、体は動かせなくても、口だけは動くし、声は小さくても、意識ははっきりしてる。
「結婚しようよ」
「なにが目当てなわけ? 遺産とかないし、もうすぐ死ぬのに、なんで?」
「俺は初恋の人と結婚できるし、未婚の生涯独身者じゃなくなる。菜々子ちゃんを、簡単に俺の養子にすることが出来て、君の死後の不安も取り除ける」
香澄の半分開いた、焦点の合わない目が、懸命に俺を探している。
「残された時間は少しかもしれないけど、俺は、君を幸せにする」
かけられた布団の上から、香澄のお腹に手の平を重ねる。
「本当は、産みたかったんでしょ、菜々子ちゃんを見てたら分かる」
香澄にはもう、自分の手を動かす力すら残ってないらしい。
「俺はあの頃には、何も出来なかったけど、今なら出来る。君の命は助けられなくても、不安と心配はなくせるし、菜々子ちゃんを、ちゃんと育てる」
俺の後ろで見ていた、菜々子ちゃんが立ち上がった。
「私、あんたに育ててもらうつもりはないけど、自分で育つから」
彼女は、自分の母親を見下ろした。
「だけど、この人なら、成人するまで面倒みてくれる気がする。お父さんって、呼んであげてもいい気がする」
「私みたいになるな、お前は勉強して自立しろって、菜々子ちゃんに教えたのは、香澄ちゃんなんでしょ」
香澄の手が、何かを探していて、菜々子ちゃんは、その手にペンを握らせた。
香澄はガタガタの文字で自分の名前を書いて、菜々子ちゃんがはんこを押した。
他にも証人とか、戸籍とかが必要とかで、あちこち駆け回ってる間に、香澄はまた意識を失って、婚姻届けを提出出来たときには、もう動かなくなっていた。
婚姻届けは無事に出せたのかとお医者さんに聞かれて、はいとうなずいたら、時計を見て死亡時刻を確定した。
菜々子ちゃんは正式に俺の子供になり、俺は菜々子ちゃんの正式な保護者になった。
彼女はうちに引っ越してきて、そしてまた、うちに位牌が増えた。
「なんかこの部屋、縁起が悪いよね」
「全部、腐れ縁だからね」
「ヘンなの」
菜々子ちゃんは泣いていて、俺はその泣き顔を、初めて見た。
なってみてようやく分かったけど、保護者というのは結構急がしい。
参観日とか、持ち物とか、親の会とか、他にも色々たくさんあって、かつてないほどの雑用に追われている。
菜々子ちゃんはちゃんと約束を守って、俺のことを『お父さん』と呼んでくれていて、それだけはとてもありがたいし、助かった。
そして、導師がいなくなった。
数日前から、用意した餌を食べていない、姿も見ていない。
菜々子ちゃんに聞いたら、三日前には、うちにいたのを見たという。
「どっかに行っちゃったのかな、俺をおいて」
結局俺は、魔法使いになんてなれなかった。
きっとそんな素質もなかったし、尚子たちの言う通り、夢を見ていただけなのかもしれない。
「あたしがいるから、いいじゃない」
「菜々子ちゃんがいたって、魔法は使えないよ」
「あたしと、お母さんを幸せにする魔法をつかったんでしょ」
彼女は呆れたように言う。
「それで、世界を救ったっていうことで、いいんじゃない? 魔法使いの大魔王なんでしょ?」
導師は、菜々子ちゃんは魔女になるかもって、言ってた。
「きっと、導師の役目は終わったんだよ、それで、次の人の所に行ったんだよ」
「そうなのかな」
「そうだよ。よかったね」
彼女がそう思うのなら、そういうことにしておこう。
俺は多分、魔法使いになった。
完
その話しを聞いた香澄のお母さんと、俺は会うことになった。
「あの子が死んだらどうするの?」
病院の喫茶コーナー。
とってもアットホームな雰囲気のこぢんまりとしたお店で、客席はわずかに三テーブル程度、使い込まれた傷だらけのグラスに飲み物が注がれ、解放的な空間演出に、すぐ脇を来院者たちが通り抜けていく。
「死んだら、死亡届を出して、火葬に出します」
「子供は?」
「俺の子供ということになりますよね」
「うちで今後とも一切面倒はみないよ」
「当然です」
「入院費用は払う。後は勝手にして」
「分かりました」
後は、香澄自身と菜々子ちゃんの許可だけ。
香澄の病室を覗いても、ずっと寝てるだけだし、相変わらず看護師さんも主治医も、俺には何も教えてくれない。
菜々子ちゃんは、最近はずっと家の居間に来ていて、ひたすら尚子と北沢くんからもらった本で勉強している。
「俺を、お父さんにしてくれる?」
「あたしが結婚するんじゃないから。誰がなっても私には関係ないし」
やっぱり、香澄に意識を取り戻してもらうしかない。
もしも、導師が今でも話しが出来るなら、きっと魔法をかけてくれたに違いない。
俺の結婚の望みは叶わなくても、せめて香澄を、一時だけでも、目覚めさせることは出来ただろう。
俺は中途半端にしか魔法を習ってないから、そんな極意なんてものはさっぱり分からなくて、結局いつもと同じに、何も出来ないでいる。
「導師、なんで俺をもっと早く、魔法使いにしてくれなかったの?」
俺が導師をぎゅっと抱きしめたら、導師は腕から飛び出して逃げていった。
「また言ってる。なんで魔法使いになりたいわけ?」
「この世の全てを支配したいから、大魔王になりたいの」
菜々子ちゃんは、ふんと笑った。
「あんたって、本当にバカだよね」
毎日毎日、婚姻届けを片手に病室に通っていると、いいこともあって、もちろん嫌悪感たっぷりの視線でにらまれるのが九割なんだけど、それでもこっそり味方してくれる人が、わずかながら出てくる。
その日も、菜々子ちゃんの付き添いってことで、俺は病室に入れてもらえた。
「あんた、まだ来てたの」
香澄は酸素マスクをつけていて、体は動かせなくても、口だけは動くし、声は小さくても、意識ははっきりしてる。
「結婚しようよ」
「なにが目当てなわけ? 遺産とかないし、もうすぐ死ぬのに、なんで?」
「俺は初恋の人と結婚できるし、未婚の生涯独身者じゃなくなる。菜々子ちゃんを、簡単に俺の養子にすることが出来て、君の死後の不安も取り除ける」
香澄の半分開いた、焦点の合わない目が、懸命に俺を探している。
「残された時間は少しかもしれないけど、俺は、君を幸せにする」
かけられた布団の上から、香澄のお腹に手の平を重ねる。
「本当は、産みたかったんでしょ、菜々子ちゃんを見てたら分かる」
香澄にはもう、自分の手を動かす力すら残ってないらしい。
「俺はあの頃には、何も出来なかったけど、今なら出来る。君の命は助けられなくても、不安と心配はなくせるし、菜々子ちゃんを、ちゃんと育てる」
俺の後ろで見ていた、菜々子ちゃんが立ち上がった。
「私、あんたに育ててもらうつもりはないけど、自分で育つから」
彼女は、自分の母親を見下ろした。
「だけど、この人なら、成人するまで面倒みてくれる気がする。お父さんって、呼んであげてもいい気がする」
「私みたいになるな、お前は勉強して自立しろって、菜々子ちゃんに教えたのは、香澄ちゃんなんでしょ」
香澄の手が、何かを探していて、菜々子ちゃんは、その手にペンを握らせた。
香澄はガタガタの文字で自分の名前を書いて、菜々子ちゃんがはんこを押した。
他にも証人とか、戸籍とかが必要とかで、あちこち駆け回ってる間に、香澄はまた意識を失って、婚姻届けを提出出来たときには、もう動かなくなっていた。
婚姻届けは無事に出せたのかとお医者さんに聞かれて、はいとうなずいたら、時計を見て死亡時刻を確定した。
菜々子ちゃんは正式に俺の子供になり、俺は菜々子ちゃんの正式な保護者になった。
彼女はうちに引っ越してきて、そしてまた、うちに位牌が増えた。
「なんかこの部屋、縁起が悪いよね」
「全部、腐れ縁だからね」
「ヘンなの」
菜々子ちゃんは泣いていて、俺はその泣き顔を、初めて見た。
なってみてようやく分かったけど、保護者というのは結構急がしい。
参観日とか、持ち物とか、親の会とか、他にも色々たくさんあって、かつてないほどの雑用に追われている。
菜々子ちゃんはちゃんと約束を守って、俺のことを『お父さん』と呼んでくれていて、それだけはとてもありがたいし、助かった。
そして、導師がいなくなった。
数日前から、用意した餌を食べていない、姿も見ていない。
菜々子ちゃんに聞いたら、三日前には、うちにいたのを見たという。
「どっかに行っちゃったのかな、俺をおいて」
結局俺は、魔法使いになんてなれなかった。
きっとそんな素質もなかったし、尚子たちの言う通り、夢を見ていただけなのかもしれない。
「あたしがいるから、いいじゃない」
「菜々子ちゃんがいたって、魔法は使えないよ」
「あたしと、お母さんを幸せにする魔法をつかったんでしょ」
彼女は呆れたように言う。
「それで、世界を救ったっていうことで、いいんじゃない? 魔法使いの大魔王なんでしょ?」
導師は、菜々子ちゃんは魔女になるかもって、言ってた。
「きっと、導師の役目は終わったんだよ、それで、次の人の所に行ったんだよ」
「そうなのかな」
「そうだよ。よかったね」
彼女がそう思うのなら、そういうことにしておこう。
俺は多分、魔法使いになった。
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