はじまりのうた

岡智 みみか

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第9話

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避難命令解除の通知が行われ、俺たちは外へ出た。

事前に連絡した救急車両が、カズコとレオンを乗せていく。

「じゃ、俺たちは先に戻ってるぞ」

改造バイクにジャンとニールはまたがって、走り去ってしまった。

俺はルーシーを振り返る。

「帰ろっか」

避難命令が解除されたとはいえ、猛烈な嵐の去った直後だ、荒れ果てた街に人通りはない。

公道を掃除する清掃ロボットと、保守点検のための自動ロボだけが、忙しそうに動き回っている。

俺は、静かな街を歩き始めた。

嵐の後は、決まって空が晴れている。

それだけが、この世界にとっての唯一の救いだ。 

ルーシーは不安そうに、キャンビーを抱えて後からついてくる。

何て声をかけようか。

「カズコは大丈夫だよ、レオンもね」

 そんな言葉が、彼女にとっても単なる気休めでしかないことは、俺にだって分かっていた。

彼女は自分のキャンビーを抱きしめる。

その腕の中で、彼女が頼るこの丸い汎用型機械は、何を思うのだろう。

この状況下において、彼女に声をかけてやれるのは、今は俺しかいない。

  ずっと黙っていた彼女のキャンビーが、不意に息を吹き返した。

「ルーシー!  大丈夫だった?」

  画面には、カプセルが漂着した時に見かけた、金髪に緑の目をした美女が映っていた。

まっすぐな長い髪が、サラサラと流れる。

キャンプベース本部からの直通映像だ。

ルーシーは今にも泣き出しそうな顔で、画面を見つめる。

「他に、回りに、誰もいないの?」

  彼女は首を横にふる。俺はカメラをのぞきこんだ。

「スクールで、同じチームのヘラルドです」

「そう、ならよかったわ」

  それだけでもう、彼女の興味は俺になくなってしまったらしい。

その目は、ルーシーだけに向けられている。

「じゃあ、これからスクールに戻るのね、安心したわ」

  ルーシーの方は、相変わらず泣きそうな顔をしていた。

何かを伝えたいのに、伝えられない、伝わらない感情に、彼女が苦しめられている。

口をぱくぱくさせ、意味のない発語をくり返す彼女に、画面の中の女性は静かに微笑んだ。

「あなたなら、きっと大丈夫よ。この世界でも、ちゃんと上手くやれるわ」

  一方的に通信がきれる。ルーシーは涙を振り払う。

あの程度の会話で、本当に互いの意思疎通が出来たのだろうか、俺にはそれが不思議でならない。

彼女の中で、何があったのかは分からないが、ルーシーはまっすぐに顔を上げ、力強く歩き始めた。

歩きながら隣に並んだ俺を見上げて、にっと微笑む。

何にも変わらない、何も俺には分からない、彼女を取り巻く現状は何も変わらないのに、どうして何に納得して、彼女はここにいるんだろう。

俺にはその笑顔が、何か特別なもののように感じられた。

 スクールに戻ると、中はちょっとした騒ぎになっていた。

ジャンに科せられた警告が、ついに累積許容範囲の上限をオーバーしてしまっていたのだ。

  彼のスクール内部での個人認証が、全て無効化されている。

こうなると、スクールを統括するキャンプベース本部に自ら出頭していかなければ、彼の権利が取り戻される事はない。

 建物の中には入れたものの、ジャンは校内の警備ロボに囲まれていた。

 スクール内では、高度な自治が認められている。

ジャンのアスリート種特有のカリスマ性が、彼をこのスクールのリーダーに押し上げていた。

「あぁ、すっかり警告たまってたの忘れてたよ。面倒くせぇことになっちまったなぁ」

 ジャンはそう言って、ニヤリと笑う。

その横にいるニールも、同じ不敵な笑みを浮かべた。

彼らは、手に電圧を自在に操れる特殊な警棒を所持していた。

高圧の電流を流すか、逆に吸い上げて低圧電流で誤作動を起こし、暴走したロボットの動きを強制終了させるためのものだ。

「ジャン、待て!」

 いくらジャンでも、スクールの規則をこれ以上破ったら、ここにはいられなくなる。

1m20㎝のロボット3体が、ジャンの動きを封じようと捕獲態勢に入った。

もう少しで、横に長く伸びたアームが合体し、彼らを取り囲み逃げ場を奪う。

彼を助けたい気持ちはあるが、ルールを犯したジャンを更正施設に送ろうとする警備ロボに対して、俺たちにはその手段がない。

細く華奢なアーム同士の距離が、徐々に近づいていく。

ジャンがいなくなれば、このスクールはどうなるのだろう。  

パァン!

 突然の破裂音、割れた陶器の破片と、土塊がぼろぼろと崩れ落ちる。

ルーシーが観葉植物の植木鉢を、ロボットに投げつけた音だ。

「ダメだよ、ルーシー!」

その言葉の意味が、彼女に通じなかったのか、ルーシーはそのロボットの一体につかみかかった。

人間の力でどうにかなるようなロボットではないのに、それでも彼女は果敢に警備ロボの動きを封じようとしている。

『機械は、決して人間を傷つけてはならない』

スクールの在籍資格を奪われた不審者のジャンに対してなら出来る行動原則も、正式な資格を持つルーシーには適応されない。

彼女が抱きついたロボットは、危険を察知して緊急停止した。

ジャンたちを取り囲んでいたロボットたちの方が、作戦の変更を余儀なくされる。

「不審者発見、不審者発見、在校生は、今すぐ退避して下さい」

ジャンを取り押さえようとしていたロボットたちが、そう警告を発しながら後ろに下がった。

ジャンを守ろうと思っているのか、ルーシーはそのロボットに抱きついて、俺たちには理解不能な何かの言葉を発しながら、握った拳を何度も打ち付けている。

ルーシーを止めようと駆け寄った俺と、ジャンの目があった。

彼は手にしていた警棒を床に放り出し、豪快に笑う。

「あはは、こいつおもしろいな」

ルーシーに抱きつかれたロボは、すぐに動かなくなった。

彼女はきっと、それを自分が停止させたと思っているのだろう。

誇らしげな顔で、ジャンを見上げる。

「ありがとよ、ルーシー、助けてくれて」

彼が手を差し出すと、彼女は胸を張ってそれを握り返した。

スクール内の警備ロボが、人間には絶対に危害を加えないよう、設定されていることは誰だって知っている。

だけど、もし誰かがルーシーと同じような行動をとれば、その行為はペナルティとして記録され、処分が科せられる。

卒業が遅れ、成人認定の資格を得るまでに、余計な時間をかけることになる。

成人することを第一の目的にしている俺たちにとって、それは自滅行為に等しい。

でもそんなことなんて、彼女にしてみれば自分の理解を超えた、全く意味のない条件だったのかもしれない。

そんな背景を理解している、していないに関わらず、彼女は目の前にいた、困っているだろう友人を助けた。

それだけだ。

俺はため息が出ると同時に、全身の力が抜け落ちる。

きっと彼女には、この世界がもっとずっと単純に見えていて、分かりやすいに違いない。

  最後までその場に生き残っていたロボット1体の、通信モニターが光る。

「随分と派手なマネをしてくれたな」

 その男は、短い黒髪をぴったりと左右に撫で付けていた。

鋭く細い目が、ルーシーを探している。

「無事にスクールにたどり着いたのか」

 この男は、ルーシーの回収に来ていたキャンプベースの成人の一人だ。

彼は画面越しに、彼女の姿を確認する。

ふっと息を漏らした。

「君たちの行為は容認し難いものたが、今回は目をつぶろう。人命救助のための特別措置だったとして、これに限り減点は見送る。今後は、よりいっそうの適切かつ的確な判断を、自分たち自身に下すことを要求する」

その一言で、ジャンの処分が取り消され、警備ロボのアップデートが行われたのだろうか。

さっきまでジャンを捕らえようとしていたロボットたちが、何事もなかったかのように俺たちの間をすり抜けていく。

その様子を画像で確認したらしい彼は、そのまま通信を切った。

「全く、好き勝手やってくれるもんだな。キャンプベースの、お前らのことだよ」

ようやく一息ついて、ジャンと目があった。

彼は俺の肩にポンと手を置くと、そのまま廊下の奥へと消えていく。

ルーシーは上機嫌なまま、満面の笑みで俺を見上げた。

「もう、危ないから、あんなことしちゃダメだよ」

そう言うと、彼女はにっこりと笑った。
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