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第3章
第1話
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実験室の火災は、幸いにも軽いボヤ騒ぎ程度ですんだ。
王城の関係者と協議し、すぐに修復工事に入る。
怪我をした人に重傷者はおらず、リンダも翌日には意識を取り戻していた。
私がリシャールから預かった小瓶を診療室で渡すと、それまで魂の抜け殻のようにベッドで呆然としていた彼女が、ようやく息を吹き返した。
「あぁ、よかった! 無事だったのね。これさえ残っていたら……」
リンダはベッドの上で、その小瓶をぎゅっと握りしめる。
目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。
小瓶の中は、彼女がこの王城に呼ばれるきっかけともなった研究内容であり、聖堂に来てからの3年の成果が凝縮されたものだ。
「自分の命より大切なもの……といったら、殿下には笑われるかな」
「もし笑ったりなんかしたら、私がひっぱたいてやりますわ」
「はは。じゃあその時はお願いね、ルディ」
とても悔しくはあるけど、それでも異国の第一王子から受けた礼は返さなければならない。
リンダと聖堂の危機を救ってくれたのは確かだし、私だってそこにだけは本気で感謝している。
「私の名前で、工事と消火救出作業に当たってくれた方々への慰労会をしようと思うのだけど、リンダも来る?」
「そうね。私もちゃんとリシャール殿下にお礼がいいたいし」
「分かったわ」
聖堂の関係者だけを招くところに、彼を招待しなければならないのは腹立たしいけれど、今回の主役は間違いなく彼だ。
少しでも聖堂とその乙女たちのために動いてくれたのであれば、それは全て感謝の対象となる。
慰労会の当日、貴族たちばかりを集めた夜会並みとまではいかないけれど、それなりの形式は整えた。
楽団も呼んだし、料理も部屋の飾り付けも王城の料理長に頼んである。
会場はテラスから聖堂が見える広間を選んだ。
定刻の時間が近づくと、ポツリポツリと人が集まり始める。
今夜は聖女見習いの制服ではなく、お洒落した女の子たちの華やかなスカートがあちこちに翻る。
「ルディさま。今日はお招きありがとうございます!」
「感謝の気持ちよ。楽しんでくださいね」
あちこちで会話が弾み、ダンスも始まっていた。
いつも控えめであまり目立ちたがらないマレト施設長も、今日ばかりは由緒ただしい貴婦人となっている。
私自身も聖堂の警備に当たる兵士たちから声をかけられたりなんかして、気さくに応じている。
普段は甲冑や制服姿した見たことのない彼らの、プライベートな姿を見るのも新鮮な気分だった。
「ルディさまを、ダンスに誘ったら踊っていただけるのですか?」
「あら。いつでもよろしくてよ」
「え、えぇっ! だけど、自分踊ったことないんですけど……」
「それなら、練習してからまた誘ってくださいね」
「はい!」
広間の和やかな雰囲気が、突然の歓声に一変する。
騒ぎの元となっているのは、会場に姿を見せたリシャールだ。
「やぁ。たまたま通りかかったら、なんだか楽しそうなことをやっていてね。私も少しお邪魔していいかな?」
彼は今日も、白で統一された正装に近い衣装を身につけている。
私は聖女見習いの制服を模した、淡いブルーグレイのスカートの裾を持ち上げた。
ニコニコと愛想を振りまく王子の元へ進み出る。
「リシャール殿下。殿下さえよろしければ、ぜひ楽しんでいってください。気兼ねの入らぬ集まりですわ」
「第三王女ルディさまのお声がけともあれば、お断りするわけにもいきませんね」
本当はそんなこと、思ってもいないくせに。
ニコッと微笑んだ彼は、完璧な貴公子として私をダンスに誘った。
「では私と、一曲お願いできますか?」
「よろこんで」
周囲から感嘆の息が漏れる。
音楽が鳴り踊り始めたとたん、切れ長の細く紅い目が勝ち誇ったように微笑んだ。
「本当に俺がここへ来てよかったのか? ルディ」
その得意気な表情と完全に上から目線の話しっぷりに、カチンとくる。
今までの「王子さま」とは違う、これが本来の彼の姿だ。
だけど今日は、我慢すると決めている。
「仕方ありませんでしょう? あなたはこれでも、恩人なので」
「いやー! あの時は本当に大変だったなぁ。死ぬかと思った」
そんなこと、本当は全く思ってもいないくせに。
彼はくだらない冗談を飛ばしながら、優雅なステップを踏み「あはは」と笑う。
お姉さまのお誕生会で一緒に踊った時の、荒々しいほどの熱情が、今は微塵も感じられない。
握る手はあくまで添えられているだけの、教科書のような無難なステップ。
「だけどまぁ、これで堂々と口説けるようになったから助かる。なにせルディさまからの許可も出たことだし?」
「そんなことは許しませんと、はっきり申し上げたはずですわ」
「俺も言った。邪魔はさせないと」
冷たく光る紅い目が耳元でささやく。
彼は自分の仕事をしにここへ来ているのだ。
だったら私も、自分の仕事をするまでだ。
「しかし、王女さま自ら火災現場に飛び込もうとは、恐れ入った。とんでもないな」
「あなただってそうでしょう」
「あれから部屋に戻って、たっぷりダンに怒られた」
「当然ですわ」
紅い目が私をみて、微かに微笑む。
サラサラと揺れ動く前髪に、視線を奪われている。
「君は怒られはしなかったのか。火災訓練の経験は?」
「周りの者も慣れておりますので。訓練は定期的に行っております」
「ははは。そうなんだろうな」
なんの特徴もないステップに、ただただ身を任せている。
こんなつまらないダンスも、出来る人だったんだ。
「おかげで仕事がしやすくなった。感謝する」
彼は急に腕を伸ばすと、その下で私をくるりと一回転させた。
曲の終わるタイミングと完璧に一致させた状態で向かい合うと、息をそろえたように頭を下げる。
「じゃあな。邪魔するなよ」
この人に邪魔をするなと言われたら、邪魔しない方がいいの?
それともやっぱり、した方がいい?
突然の大胆な動きに、まだ胸がドキドキしている。
それなのに彼の周囲には、もう人垣が出来ていた。
「リシャール殿下! 先日はありがとうございました」
「いえいえ。君に怪我はなかったかい。聖堂の乙女よ」
「はい。おかげさまで無事でした」
「あなたは聖堂で、何を学ばれているのですか?」
さりげなく差し出された手に、乙女の手が伸びる。
彼女が見つめる熱っぽい視線に、私は自分を取り戻した。
すかさず二人の間に入り込む。
ぼんやりしてる場合じゃない!
王城の関係者と協議し、すぐに修復工事に入る。
怪我をした人に重傷者はおらず、リンダも翌日には意識を取り戻していた。
私がリシャールから預かった小瓶を診療室で渡すと、それまで魂の抜け殻のようにベッドで呆然としていた彼女が、ようやく息を吹き返した。
「あぁ、よかった! 無事だったのね。これさえ残っていたら……」
リンダはベッドの上で、その小瓶をぎゅっと握りしめる。
目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。
小瓶の中は、彼女がこの王城に呼ばれるきっかけともなった研究内容であり、聖堂に来てからの3年の成果が凝縮されたものだ。
「自分の命より大切なもの……といったら、殿下には笑われるかな」
「もし笑ったりなんかしたら、私がひっぱたいてやりますわ」
「はは。じゃあその時はお願いね、ルディ」
とても悔しくはあるけど、それでも異国の第一王子から受けた礼は返さなければならない。
リンダと聖堂の危機を救ってくれたのは確かだし、私だってそこにだけは本気で感謝している。
「私の名前で、工事と消火救出作業に当たってくれた方々への慰労会をしようと思うのだけど、リンダも来る?」
「そうね。私もちゃんとリシャール殿下にお礼がいいたいし」
「分かったわ」
聖堂の関係者だけを招くところに、彼を招待しなければならないのは腹立たしいけれど、今回の主役は間違いなく彼だ。
少しでも聖堂とその乙女たちのために動いてくれたのであれば、それは全て感謝の対象となる。
慰労会の当日、貴族たちばかりを集めた夜会並みとまではいかないけれど、それなりの形式は整えた。
楽団も呼んだし、料理も部屋の飾り付けも王城の料理長に頼んである。
会場はテラスから聖堂が見える広間を選んだ。
定刻の時間が近づくと、ポツリポツリと人が集まり始める。
今夜は聖女見習いの制服ではなく、お洒落した女の子たちの華やかなスカートがあちこちに翻る。
「ルディさま。今日はお招きありがとうございます!」
「感謝の気持ちよ。楽しんでくださいね」
あちこちで会話が弾み、ダンスも始まっていた。
いつも控えめであまり目立ちたがらないマレト施設長も、今日ばかりは由緒ただしい貴婦人となっている。
私自身も聖堂の警備に当たる兵士たちから声をかけられたりなんかして、気さくに応じている。
普段は甲冑や制服姿した見たことのない彼らの、プライベートな姿を見るのも新鮮な気分だった。
「ルディさまを、ダンスに誘ったら踊っていただけるのですか?」
「あら。いつでもよろしくてよ」
「え、えぇっ! だけど、自分踊ったことないんですけど……」
「それなら、練習してからまた誘ってくださいね」
「はい!」
広間の和やかな雰囲気が、突然の歓声に一変する。
騒ぎの元となっているのは、会場に姿を見せたリシャールだ。
「やぁ。たまたま通りかかったら、なんだか楽しそうなことをやっていてね。私も少しお邪魔していいかな?」
彼は今日も、白で統一された正装に近い衣装を身につけている。
私は聖女見習いの制服を模した、淡いブルーグレイのスカートの裾を持ち上げた。
ニコニコと愛想を振りまく王子の元へ進み出る。
「リシャール殿下。殿下さえよろしければ、ぜひ楽しんでいってください。気兼ねの入らぬ集まりですわ」
「第三王女ルディさまのお声がけともあれば、お断りするわけにもいきませんね」
本当はそんなこと、思ってもいないくせに。
ニコッと微笑んだ彼は、完璧な貴公子として私をダンスに誘った。
「では私と、一曲お願いできますか?」
「よろこんで」
周囲から感嘆の息が漏れる。
音楽が鳴り踊り始めたとたん、切れ長の細く紅い目が勝ち誇ったように微笑んだ。
「本当に俺がここへ来てよかったのか? ルディ」
その得意気な表情と完全に上から目線の話しっぷりに、カチンとくる。
今までの「王子さま」とは違う、これが本来の彼の姿だ。
だけど今日は、我慢すると決めている。
「仕方ありませんでしょう? あなたはこれでも、恩人なので」
「いやー! あの時は本当に大変だったなぁ。死ぬかと思った」
そんなこと、本当は全く思ってもいないくせに。
彼はくだらない冗談を飛ばしながら、優雅なステップを踏み「あはは」と笑う。
お姉さまのお誕生会で一緒に踊った時の、荒々しいほどの熱情が、今は微塵も感じられない。
握る手はあくまで添えられているだけの、教科書のような無難なステップ。
「だけどまぁ、これで堂々と口説けるようになったから助かる。なにせルディさまからの許可も出たことだし?」
「そんなことは許しませんと、はっきり申し上げたはずですわ」
「俺も言った。邪魔はさせないと」
冷たく光る紅い目が耳元でささやく。
彼は自分の仕事をしにここへ来ているのだ。
だったら私も、自分の仕事をするまでだ。
「しかし、王女さま自ら火災現場に飛び込もうとは、恐れ入った。とんでもないな」
「あなただってそうでしょう」
「あれから部屋に戻って、たっぷりダンに怒られた」
「当然ですわ」
紅い目が私をみて、微かに微笑む。
サラサラと揺れ動く前髪に、視線を奪われている。
「君は怒られはしなかったのか。火災訓練の経験は?」
「周りの者も慣れておりますので。訓練は定期的に行っております」
「ははは。そうなんだろうな」
なんの特徴もないステップに、ただただ身を任せている。
こんなつまらないダンスも、出来る人だったんだ。
「おかげで仕事がしやすくなった。感謝する」
彼は急に腕を伸ばすと、その下で私をくるりと一回転させた。
曲の終わるタイミングと完璧に一致させた状態で向かい合うと、息をそろえたように頭を下げる。
「じゃあな。邪魔するなよ」
この人に邪魔をするなと言われたら、邪魔しない方がいいの?
それともやっぱり、した方がいい?
突然の大胆な動きに、まだ胸がドキドキしている。
それなのに彼の周囲には、もう人垣が出来ていた。
「リシャール殿下! 先日はありがとうございました」
「いえいえ。君に怪我はなかったかい。聖堂の乙女よ」
「はい。おかげさまで無事でした」
「あなたは聖堂で、何を学ばれているのですか?」
さりげなく差し出された手に、乙女の手が伸びる。
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