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第3章
第1話
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太陽の光りが、茶会を明日に控えた賑やかな境内を照らしている。
その喧騒とかけ離れた庭の隅に立つひっそりと立つ小さな御堂の前に、光秀はいた。
僧たちが修行のために籠もるというその中は、今は扉が開け放されていた。
畳十五畳ほどの広さで、正面に立位の仁王像のようなものが飾られている。
その力強く荒々しい像の前に、頭巾のようなものをすっぽりとかぶり、一見したところ寺の高僧のようにしか見えない男が一人座っていた。
俺を見るなり深く頭を下げる。
「至急のお呼び立てと聞き、急ぎ馳せ参じました」
顔を上げ、男が頭巾を取る。
その顔は老獪というには程遠く、柔和と判断する者には迂闊と言わざるをえない面持ちをしていた。
肌を這う皺は深く刻まれ、それが表情をさらに豊かに複雑にしている。
歴戦の武将らしい眼光の鋭さと威圧感は、壁際に建つ仁王像にも劣ってはいなかった。
「ご苦労であった」
奥へ入ったとたん、蘭丸の手で扉が閉められる。
明かり取りのための小窓はあるものの、薄暗くなった部屋に二人きりとなった。
「して、いかがなさいましたか信長さま。秀吉どのにお伝えする、毛利攻略のよき策でも思い浮かびましたかな」
今この瞬間にも、この男は俺を裏切るつもりでいるのだろうか。
下克上の世を文字通り自らの力だけで生き抜いてきた、この時代の武将だ。
「俺はお前を信用している」
明日俺を殺す男の前に、ストンと腰を下ろした。
光秀は白髪交じりの眉をピクリと動かす。
「それは……。真に有り難き幸せに存じ上げます」
老獪な武将は、すぐ目の前に腰を下ろした。
床に両拳を付き、頭を下げる。
ゆっくりと持ち上げられた顔には、冷ややかな笑みを微かに浮かべていた。
俺はあくまで冷静を保ったまま語りかける。
「此度の出陣の件。毛利軍との戦い勝利した後、秀吉を討て。あいつの首を俺にささげろ」
そう言った言葉にすら、光秀は全くの無反応だった。
変わらず柔和な笑みを一定状態で保ったまま、返事はない。
俺はゆっくりと煽りを続けた。
「秀吉の首を討てば、今までの俺とお前の関係は、それ以降全く別のものとなるだろう。これまでのことは全て水に流す。この国を一つにした後に必要となるのは、秀吉や家康の力ではない。お前と俺の力だ」
こういう言い方が、こういう誘い文句が、どれだけ効果があるか分からない。
もしかしたら、今のこの面会が最大の失策となるかもしれない。
だけど俺が考える今後を思うと、ウソでも間違っててもいいから、こう言うしかない。
光秀は腹の底から長く太い息を吐き出すと、静かに目を閉じた。
「何事かと急ぎ参ってみれば、このようなお話とは。この光秀、残念になりません」
「俺がこの先頼りにするのはお前だと言っているのに、何が不満だ」
それなりの年齢を重ねた武将の、どっしりと構えながらも何を考えているのか分からない狡猾さがうかがえる。
川面に流れる枯れ葉を掴もうとして、なかなか掴み難いのと似ていた。
「殿はそうおっしゃいますが、なにゆえ秀吉殿を斬れと申しておるのでしょう。訳なくそのようなことをなさる方ではないと、我々一同は信じておりましたが。いつもの癇癪でも起こされましたか。あの男が何か信長さまに無礼でも……」
「秀吉はいらぬ。この先邪魔だ」
そうだ。
この先俺が天下を取るなら、秀吉も家康も、光秀もいらない。
「そなたは秀吉を嫌っておろう。この戦で奴を殺せ。毛利の所業にすればよい。秀吉軍の志気もあがろう。奴の領地はそなたにやっても、仇討ちに成功した秀吉の配下の者にやってもよい。与えられたそれを泣いて喜びながら、守るであろう」
「そのようなお話を、儂にしてよろしかったのですかな?」
「そなただけだ」
この寺の庭園にも、造成された川が流れていた。
磨き上げられた石が敷き詰められ、虫けら一匹泳いでいない川が。
川も作りかえることが出来るのなら、歴史だって作りかえられる。
「俺がこんなことを話すのは、光秀。そなただけだ」
そう言ったとたん、彼は大声で笑い出した。
「ははははは。殿より承りし斯様なほどの厚いご信頼、真に有り難き幸せにございますな。よもや同じ話を、秀吉殿にもされているのでは?」
「たわけ! そう申すなら、今すぐこの場でお前も斬る!」
腰の刀に手をかける。
カチリと白刃を浮かせてみても、この男は微動だにしなかった。
「斬りたければ、今すぐこの場で儂をお斬りなされ。これまでも殿が数々の武将相手にそうしてきたように。それでも信長さまに付き従う者は大勢おります。儂もそんなヤカラの一人でございます」
彼はあぐらの膝を強くポンと叩くと、高らかに笑った。
その喧騒とかけ離れた庭の隅に立つひっそりと立つ小さな御堂の前に、光秀はいた。
僧たちが修行のために籠もるというその中は、今は扉が開け放されていた。
畳十五畳ほどの広さで、正面に立位の仁王像のようなものが飾られている。
その力強く荒々しい像の前に、頭巾のようなものをすっぽりとかぶり、一見したところ寺の高僧のようにしか見えない男が一人座っていた。
俺を見るなり深く頭を下げる。
「至急のお呼び立てと聞き、急ぎ馳せ参じました」
顔を上げ、男が頭巾を取る。
その顔は老獪というには程遠く、柔和と判断する者には迂闊と言わざるをえない面持ちをしていた。
肌を這う皺は深く刻まれ、それが表情をさらに豊かに複雑にしている。
歴戦の武将らしい眼光の鋭さと威圧感は、壁際に建つ仁王像にも劣ってはいなかった。
「ご苦労であった」
奥へ入ったとたん、蘭丸の手で扉が閉められる。
明かり取りのための小窓はあるものの、薄暗くなった部屋に二人きりとなった。
「して、いかがなさいましたか信長さま。秀吉どのにお伝えする、毛利攻略のよき策でも思い浮かびましたかな」
今この瞬間にも、この男は俺を裏切るつもりでいるのだろうか。
下克上の世を文字通り自らの力だけで生き抜いてきた、この時代の武将だ。
「俺はお前を信用している」
明日俺を殺す男の前に、ストンと腰を下ろした。
光秀は白髪交じりの眉をピクリと動かす。
「それは……。真に有り難き幸せに存じ上げます」
老獪な武将は、すぐ目の前に腰を下ろした。
床に両拳を付き、頭を下げる。
ゆっくりと持ち上げられた顔には、冷ややかな笑みを微かに浮かべていた。
俺はあくまで冷静を保ったまま語りかける。
「此度の出陣の件。毛利軍との戦い勝利した後、秀吉を討て。あいつの首を俺にささげろ」
そう言った言葉にすら、光秀は全くの無反応だった。
変わらず柔和な笑みを一定状態で保ったまま、返事はない。
俺はゆっくりと煽りを続けた。
「秀吉の首を討てば、今までの俺とお前の関係は、それ以降全く別のものとなるだろう。これまでのことは全て水に流す。この国を一つにした後に必要となるのは、秀吉や家康の力ではない。お前と俺の力だ」
こういう言い方が、こういう誘い文句が、どれだけ効果があるか分からない。
もしかしたら、今のこの面会が最大の失策となるかもしれない。
だけど俺が考える今後を思うと、ウソでも間違っててもいいから、こう言うしかない。
光秀は腹の底から長く太い息を吐き出すと、静かに目を閉じた。
「何事かと急ぎ参ってみれば、このようなお話とは。この光秀、残念になりません」
「俺がこの先頼りにするのはお前だと言っているのに、何が不満だ」
それなりの年齢を重ねた武将の、どっしりと構えながらも何を考えているのか分からない狡猾さがうかがえる。
川面に流れる枯れ葉を掴もうとして、なかなか掴み難いのと似ていた。
「殿はそうおっしゃいますが、なにゆえ秀吉殿を斬れと申しておるのでしょう。訳なくそのようなことをなさる方ではないと、我々一同は信じておりましたが。いつもの癇癪でも起こされましたか。あの男が何か信長さまに無礼でも……」
「秀吉はいらぬ。この先邪魔だ」
そうだ。
この先俺が天下を取るなら、秀吉も家康も、光秀もいらない。
「そなたは秀吉を嫌っておろう。この戦で奴を殺せ。毛利の所業にすればよい。秀吉軍の志気もあがろう。奴の領地はそなたにやっても、仇討ちに成功した秀吉の配下の者にやってもよい。与えられたそれを泣いて喜びながら、守るであろう」
「そのようなお話を、儂にしてよろしかったのですかな?」
「そなただけだ」
この寺の庭園にも、造成された川が流れていた。
磨き上げられた石が敷き詰められ、虫けら一匹泳いでいない川が。
川も作りかえることが出来るのなら、歴史だって作りかえられる。
「俺がこんなことを話すのは、光秀。そなただけだ」
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「ははははは。殿より承りし斯様なほどの厚いご信頼、真に有り難き幸せにございますな。よもや同じ話を、秀吉殿にもされているのでは?」
「たわけ! そう申すなら、今すぐこの場でお前も斬る!」
腰の刀に手をかける。
カチリと白刃を浮かせてみても、この男は微動だにしなかった。
「斬りたければ、今すぐこの場で儂をお斬りなされ。これまでも殿が数々の武将相手にそうしてきたように。それでも信長さまに付き従う者は大勢おります。儂もそんなヤカラの一人でございます」
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