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第3章
第2話
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「ははは。むしろ私の方こそ、秀吉殿に光秀を討てと命じられているものと思うておりました。殿はご自身が使えると判断した者しか、お気に召さぬゆえ」
「使えるものは重宝するのが当たり前だ。使い終われば、それまでのこと」
光秀は目を閉じると、静かに息を吐き出す。
「お気に入りの一振りも、使い続ければ刃こぼれいたします。刀は研げばその切れ味を取り戻しますが、人は物ではありませぬ」
「だがその心に刃を持ち、人知れず研いでおくことは出来るだろう」
「そのような気概のある者は、情や情けでは動きませぬ」
「当たり前だ。情けなどで動いていれば、生き残ることも叶うまい」
自分の手の中にある白刃が、窓から差し込む光にまばゆく輝く。
俺には一度も抜いたことも使ったことのない刃。
これまで触れたことすらなかった。
光秀はより一層穏やかな笑みを浮かべる。
「なるほど。信長さまの栄華が続くのは、神仏のご加護などではなく、殿自身のお力によるものでしたな」
「俺は神も仏も信じない。信じるのはただ、己のみ」
わずかに引き出した刃を戻し、今度は俺自身が彼に背を向けた。
光秀。
俺を斬るなら、明日ではなく、今だ。
「さようでございますか? 意外と信じてみるのも、面白いやも知れませぬぞ」
「秀吉を斬れ。そなたにしか出来ぬことだ」
「信長さまにしか出来ぬこと。の、間違いでは?」
「おぬしがしくじれば、俺がやる」
「なるほど。殿に忠誠を誓うのも、難儀いたしますな」
どこかから迷い込んだ雀が、明かり取りの窓辺に羽根を休めた。
そうかと思った瞬間、逃げるようにそこから飛び立つ。
「儂も殿と同じように、己の信じるものしか信じませぬ。そしてそれを選ぶのも、また己自身と思うております」
「それでよい。此度の戦で秀吉を討て。それが俺の信じる道であり、そなたに任せようと思うた役目だ」
「突然の急なお呼び出し。話とは、このことでしたかな?」
光秀はあぐらをかいて座る自分の膝を、ごしごしとこすった。
「承知いたしました。殿がそこまで申すのであれば、我々も従いましょう」
「真か?」
「儂を信頼しておればこそ、このようなお話をされたのでしょう。他に頼める者がなく、儂を選んでくださったとなれば、それこそ身に余る名誉ともいうもの」
光秀はやれやれと立ち上がると、齢のわりに肉付きのいい背を俺に向けた。
無防備な姿を晒したまま、閉じられた堂の扉をコツコツと叩く。
「森殿。そこに控えておられるか。殿との話は済んだ。開けてくだされ」
刀にかけた手に力がこもる。
ここで光秀を斬れば、歴史が変わる。
俺は間違いなく、本能寺でこの男に殺されることはなくなるだろう。
彼の腰にも刀は見えるが、背後からの不意打ちとなれば、俺でもいける。
年老いた男の背中が、急に無防備でか弱いものに見えた。
「森殿? もしや聞こえておられぬのかな?」
光秀は固く閉ざされた扉に手をかけ、ごとごとと開かぬ扉に気を取られている。
奴を襲うなら、今がチャンスだ。
気づかれぬよう、ゆっくりと刀を抜きだす。
「そういえば、殿は……」
光秀が振り返った。
柄から手を放す。
それはスルリと音を立て鞘をすべり、カチリと小気味よい音を立て元の場所に収まった。
「なぜ此度は、本能寺に?」
「た、たまたま偶然、そうなっただけだ」
扉が開いた。
真昼のまばゆい光りが、薄暗い堂内にさっと入り込む。
光秀の影がくっきりと俺の目の前に浮かび上がった。
「さようでございましたか。それは不運にございましたな」
「俺はまだ死にたくない!」
土下座でその場にひれ伏す。
勢い余って、額を床に強打した。
だがそんな痛みよりも、抜いた刀で悟られた臆病な殺意に対する仕返しの方が恐ろしい。
実際の信長が彼に何をしたのかなんて詳しいことは全く分からない。
だからこそ俺には、こうするしかない。
「使えるものは重宝するのが当たり前だ。使い終われば、それまでのこと」
光秀は目を閉じると、静かに息を吐き出す。
「お気に入りの一振りも、使い続ければ刃こぼれいたします。刀は研げばその切れ味を取り戻しますが、人は物ではありませぬ」
「だがその心に刃を持ち、人知れず研いでおくことは出来るだろう」
「そのような気概のある者は、情や情けでは動きませぬ」
「当たり前だ。情けなどで動いていれば、生き残ることも叶うまい」
自分の手の中にある白刃が、窓から差し込む光にまばゆく輝く。
俺には一度も抜いたことも使ったことのない刃。
これまで触れたことすらなかった。
光秀はより一層穏やかな笑みを浮かべる。
「なるほど。信長さまの栄華が続くのは、神仏のご加護などではなく、殿自身のお力によるものでしたな」
「俺は神も仏も信じない。信じるのはただ、己のみ」
わずかに引き出した刃を戻し、今度は俺自身が彼に背を向けた。
光秀。
俺を斬るなら、明日ではなく、今だ。
「さようでございますか? 意外と信じてみるのも、面白いやも知れませぬぞ」
「秀吉を斬れ。そなたにしか出来ぬことだ」
「信長さまにしか出来ぬこと。の、間違いでは?」
「おぬしがしくじれば、俺がやる」
「なるほど。殿に忠誠を誓うのも、難儀いたしますな」
どこかから迷い込んだ雀が、明かり取りの窓辺に羽根を休めた。
そうかと思った瞬間、逃げるようにそこから飛び立つ。
「儂も殿と同じように、己の信じるものしか信じませぬ。そしてそれを選ぶのも、また己自身と思うております」
「それでよい。此度の戦で秀吉を討て。それが俺の信じる道であり、そなたに任せようと思うた役目だ」
「突然の急なお呼び出し。話とは、このことでしたかな?」
光秀はあぐらをかいて座る自分の膝を、ごしごしとこすった。
「承知いたしました。殿がそこまで申すのであれば、我々も従いましょう」
「真か?」
「儂を信頼しておればこそ、このようなお話をされたのでしょう。他に頼める者がなく、儂を選んでくださったとなれば、それこそ身に余る名誉ともいうもの」
光秀はやれやれと立ち上がると、齢のわりに肉付きのいい背を俺に向けた。
無防備な姿を晒したまま、閉じられた堂の扉をコツコツと叩く。
「森殿。そこに控えておられるか。殿との話は済んだ。開けてくだされ」
刀にかけた手に力がこもる。
ここで光秀を斬れば、歴史が変わる。
俺は間違いなく、本能寺でこの男に殺されることはなくなるだろう。
彼の腰にも刀は見えるが、背後からの不意打ちとなれば、俺でもいける。
年老いた男の背中が、急に無防備でか弱いものに見えた。
「森殿? もしや聞こえておられぬのかな?」
光秀は固く閉ざされた扉に手をかけ、ごとごとと開かぬ扉に気を取られている。
奴を襲うなら、今がチャンスだ。
気づかれぬよう、ゆっくりと刀を抜きだす。
「そういえば、殿は……」
光秀が振り返った。
柄から手を放す。
それはスルリと音を立て鞘をすべり、カチリと小気味よい音を立て元の場所に収まった。
「なぜ此度は、本能寺に?」
「た、たまたま偶然、そうなっただけだ」
扉が開いた。
真昼のまばゆい光りが、薄暗い堂内にさっと入り込む。
光秀の影がくっきりと俺の目の前に浮かび上がった。
「さようでございましたか。それは不運にございましたな」
「俺はまだ死にたくない!」
土下座でその場にひれ伏す。
勢い余って、額を床に強打した。
だがそんな痛みよりも、抜いた刀で悟られた臆病な殺意に対する仕返しの方が恐ろしい。
実際の信長が彼に何をしたのかなんて詳しいことは全く分からない。
だからこそ俺には、こうするしかない。
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