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第3章
第2話
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その日、お義父さまはお勤めに出ていて、晋太郎さんはいつものように、奥の部屋に籠もっていた。
私はお義母さまとお祖母さまの三人で、いただいた甘納豆をつまんでいる。
「ところで志乃さん」
ふいにお義母さまは言った。
「晋太郎とは、仲良く出来ていますか?」
「えぇ、それなりに……」
ほとんど話しなんてしていないけど、喧嘩もしていない。
なにしろもう夫婦になってしまったのだから、あの人にとってもこれ以上、どうということもないのだろう。
私にしたって、なにが正解なのかも分からない。
お茶をすすると、お義母さまはお祖母さまと目を合わせた。
「晋太郎の所にも、これを持っていってやって」
そう言って、取り分けた甘納豆を懐紙に乗せる。
晋太郎さんのものだという大きな湯飲みを渡され、初めてそれに触れた。
私の手には大きくて重すぎる根岸色のごつごつとしたそれを、盆にのせる。
「いってらっしゃい」
そう促されて、私はこの家へ来て初めて、晋太郎さんの自室となっている奥の部屋へ足を向けた。
北に向かう廊下は冬でも少し湿っぽくて、ツンとした冷たさが足袋を通して体の芯まで響く。
ここは屋敷の中でも、特に静かな場所だった。
緊張なのか寒さのせいか、かじかむ手で板戸を開く。
広い縁側と、それにかかる屋根の庇が大きく庭に向かって伸びていた。
庭は綺麗に掃かれた何もない質素な土だけ庭で、その人はそんな小さな庭を前にして、書架に広げた本を静かに読んでいる。
晋太郎さんは日々を仕事と道場の手伝いとに費やし、時折どこかに出かけていた。
この奥まった部屋にじっと籠もっていれば、同じ家にいてもほとんど顔を合わせることはない。
家にいる時には、晋太郎さんはこの部屋から出ることはほとんどなかった。
「お茶をお持ちしました」
盆ごと差し出す。
晋太郎さんはそれをちらりと見ただけで、何も言わず視線を本に戻した。
日のよく降り注ぐ縁側は、風さえなければ冬でも暖かい。
「……。何をお読みになっているのですか」
用は済んだので、戻ろうと思えば、すぐに戻ってもよかった。
祝言の日とその翌朝に言葉を交わして以来、この人の顔もろくに見ていない。
何を話そう、なんて話そう。
年上の大きな男の人を相手に、どう接していいのかも分からない。
無意識にぎゅっと拳を握りしめる。
「もう下がっていいですよ」
本から離れた手は、ただ盆を引き寄せただけだった。
大きな湯飲みを軽々と持ち上げ、視線を本に向けたまま口をつける。
そう言われて、緊張で固まっていたのが少しほぐれた。
小さな庭は白壁に囲まれていて、壁際にわずかに常緑樹が植えられている他は、地面がむき出しになっていた。
何を話そうか話題を探してみたけれど、それすら思い浮かばない。
仕事のことも、たまにいく道場の師範としての手伝いのことも、全部お義母さまから聞いて知っている。
「では、失礼します」
立ち上がろうとして、続きの奥の部屋にずらりと箪笥の並んでいるのが目に入った。
「まぁ、立派な箪笥がこんなに。ずいぶんたくさん置いてあるのですね」
掃除の時にも、この部屋に立ち入ったことはない。
ふらりと近寄る。
「とっても素敵。ここには、何が入っているのですか?」
「触るな!」
引き出しに手を掛けようとして、その声にビクリと手を引っ込めた。
「いや、大声を出してすまなかった。しかしそれには触らないで欲しいのです。できれば……そのままにしておいてください」
「は、はい! すみませんでした」
ろくに返事も出来ず、ペコリと頭を下げる。
そこを逃げ出した。
そんな急に、突然あんな大声を出さなくてもいいじゃない!
私はただ単に、並んでいた箪笥が見たかっただけなのに……。
私はお義母さまとお祖母さまの三人で、いただいた甘納豆をつまんでいる。
「ところで志乃さん」
ふいにお義母さまは言った。
「晋太郎とは、仲良く出来ていますか?」
「えぇ、それなりに……」
ほとんど話しなんてしていないけど、喧嘩もしていない。
なにしろもう夫婦になってしまったのだから、あの人にとってもこれ以上、どうということもないのだろう。
私にしたって、なにが正解なのかも分からない。
お茶をすすると、お義母さまはお祖母さまと目を合わせた。
「晋太郎の所にも、これを持っていってやって」
そう言って、取り分けた甘納豆を懐紙に乗せる。
晋太郎さんのものだという大きな湯飲みを渡され、初めてそれに触れた。
私の手には大きくて重すぎる根岸色のごつごつとしたそれを、盆にのせる。
「いってらっしゃい」
そう促されて、私はこの家へ来て初めて、晋太郎さんの自室となっている奥の部屋へ足を向けた。
北に向かう廊下は冬でも少し湿っぽくて、ツンとした冷たさが足袋を通して体の芯まで響く。
ここは屋敷の中でも、特に静かな場所だった。
緊張なのか寒さのせいか、かじかむ手で板戸を開く。
広い縁側と、それにかかる屋根の庇が大きく庭に向かって伸びていた。
庭は綺麗に掃かれた何もない質素な土だけ庭で、その人はそんな小さな庭を前にして、書架に広げた本を静かに読んでいる。
晋太郎さんは日々を仕事と道場の手伝いとに費やし、時折どこかに出かけていた。
この奥まった部屋にじっと籠もっていれば、同じ家にいてもほとんど顔を合わせることはない。
家にいる時には、晋太郎さんはこの部屋から出ることはほとんどなかった。
「お茶をお持ちしました」
盆ごと差し出す。
晋太郎さんはそれをちらりと見ただけで、何も言わず視線を本に戻した。
日のよく降り注ぐ縁側は、風さえなければ冬でも暖かい。
「……。何をお読みになっているのですか」
用は済んだので、戻ろうと思えば、すぐに戻ってもよかった。
祝言の日とその翌朝に言葉を交わして以来、この人の顔もろくに見ていない。
何を話そう、なんて話そう。
年上の大きな男の人を相手に、どう接していいのかも分からない。
無意識にぎゅっと拳を握りしめる。
「もう下がっていいですよ」
本から離れた手は、ただ盆を引き寄せただけだった。
大きな湯飲みを軽々と持ち上げ、視線を本に向けたまま口をつける。
そう言われて、緊張で固まっていたのが少しほぐれた。
小さな庭は白壁に囲まれていて、壁際にわずかに常緑樹が植えられている他は、地面がむき出しになっていた。
何を話そうか話題を探してみたけれど、それすら思い浮かばない。
仕事のことも、たまにいく道場の師範としての手伝いのことも、全部お義母さまから聞いて知っている。
「では、失礼します」
立ち上がろうとして、続きの奥の部屋にずらりと箪笥の並んでいるのが目に入った。
「まぁ、立派な箪笥がこんなに。ずいぶんたくさん置いてあるのですね」
掃除の時にも、この部屋に立ち入ったことはない。
ふらりと近寄る。
「とっても素敵。ここには、何が入っているのですか?」
「触るな!」
引き出しに手を掛けようとして、その声にビクリと手を引っ込めた。
「いや、大声を出してすまなかった。しかしそれには触らないで欲しいのです。できれば……そのままにしておいてください」
「は、はい! すみませんでした」
ろくに返事も出来ず、ペコリと頭を下げる。
そこを逃げ出した。
そんな急に、突然あんな大声を出さなくてもいいじゃない!
私はただ単に、並んでいた箪笥が見たかっただけなのに……。
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