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第7章
第2話
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部屋から出られなくて、ずっと引きこもっていた。
夕餉も食べに行けなかった。
後からこっそりお義母さまが食事を運んできてくれて、それはちゃんと食べたけど、膳はそのまま廊下に出しておいた。
夜になるのが怖かった。
この襖の向こうから現れるのが、もう今までと同じ人だとは思えない。
晋太郎さんの布団は普通に敷いて、私のはうんと遠くに離した隅っこに敷いた。
衝立は自分のすぐ脇に立てる。
布団に潜って震えながら時間を過ごしていても、その夜晋太郎さんが部屋に来ることはなかった。
あの人はまた、奥の部屋に閉じ籠もるようになってしまった。
夜も寝所へやってこない。
食事にも来ない。
お祖母さまが食事を運び、勤めに出る時は下男を伴い支度をさせ、さっさと出て行ってしまう。
いつ帰ってきたのかも気づかないくらい静かに戻ってきて、夜は独り奥の部屋で休む。
お義母さまに呼ばれた。
「晋太郎のことで、話があります」
義母の部屋で向かい合って座ると、お義母さまは深くため息をついた。
「晋太郎の噂は、ご存じですよね」
「……。はい」
「あの子はまだ、珠代さんのことを忘れられないでいるのです」
子供のいない坂本家には、跡取りが必要だ。
晋太郎さんは一人子。
健康で若い嫁をというのが、この家の望みだった。
父親同士が知り合いだった縁もあり、私はこの家に嫁ぐことになった。
「晋太郎のことで困ったことがあれば、すぐに相談してください。どんなことでも話は聞きます。ですがあなたも、努力は怠らぬようお願いします」
「はい……」
望まれて嫁に来た、望まれない妻だという覚悟はしてきた。
だから大丈夫。
こんな事情でもなければ、私がこれほど格上の家に嫁げることなんてありえない。
誰の目からみても、破格の良縁だった。
反対だなんて、出来るわけがない。
分かってる。
私がしっかりしないといけないってこと。
義母に言われて、盆に載せた茶菓子とともに奥へ向かう。
話はつけてきたから、仲直りをしてこいとの仰せだ。
「失礼します」
北の間の引き戸を開ける。
返事はない。
見るとその人は、静かに庭を眺めていた。
この部屋は晋太郎さんの中にある珠代さまとの思い出を、大切に守っている場所だったのだ。
私の抜いた草は、その大切な思い出の花の芽だったのだ。
その芽は今やびっしりと顔を出し、細く柔らかな茎と葉を、懸命に空へ向かい伸ばしている。
「ずいぶんと芽が伸びましたね」
「このままにしておいてください」
盆を置き差し出す。
湯気だけがゆっくりと立ち上った。
「庭の世話に関しては、全て私がやります」
「申し訳ございませんでした」
両手の指先をきっちりとそろえて前につき、丁寧に頭を下げる。
額を床につけたまま、じっとその人の言葉を待った。
「……飲んだら、自分で運んでおきます。あなたはもう戻りなさい」
恐る恐る頭を上げても、まだじっと庭を向いたままだった。
その横顔を見つめる。
ピクリとも動かないその姿に、私は立ち上がった。
日の当たる、暖かな廊下を戻る。
ふわりと舞い込んだそよ風は、確実に春の空気を運んでいるのに、床板の冷たさだけは変わらない。
足は鉛のように重かった。
「ちょっと志乃さん。こっちにいらっしゃい」
障子が開いて、お義母さまが手招きをしている。
部屋に入ると、お祖母さまも一緒に座っていた。
夕餉も食べに行けなかった。
後からこっそりお義母さまが食事を運んできてくれて、それはちゃんと食べたけど、膳はそのまま廊下に出しておいた。
夜になるのが怖かった。
この襖の向こうから現れるのが、もう今までと同じ人だとは思えない。
晋太郎さんの布団は普通に敷いて、私のはうんと遠くに離した隅っこに敷いた。
衝立は自分のすぐ脇に立てる。
布団に潜って震えながら時間を過ごしていても、その夜晋太郎さんが部屋に来ることはなかった。
あの人はまた、奥の部屋に閉じ籠もるようになってしまった。
夜も寝所へやってこない。
食事にも来ない。
お祖母さまが食事を運び、勤めに出る時は下男を伴い支度をさせ、さっさと出て行ってしまう。
いつ帰ってきたのかも気づかないくらい静かに戻ってきて、夜は独り奥の部屋で休む。
お義母さまに呼ばれた。
「晋太郎のことで、話があります」
義母の部屋で向かい合って座ると、お義母さまは深くため息をついた。
「晋太郎の噂は、ご存じですよね」
「……。はい」
「あの子はまだ、珠代さんのことを忘れられないでいるのです」
子供のいない坂本家には、跡取りが必要だ。
晋太郎さんは一人子。
健康で若い嫁をというのが、この家の望みだった。
父親同士が知り合いだった縁もあり、私はこの家に嫁ぐことになった。
「晋太郎のことで困ったことがあれば、すぐに相談してください。どんなことでも話は聞きます。ですがあなたも、努力は怠らぬようお願いします」
「はい……」
望まれて嫁に来た、望まれない妻だという覚悟はしてきた。
だから大丈夫。
こんな事情でもなければ、私がこれほど格上の家に嫁げることなんてありえない。
誰の目からみても、破格の良縁だった。
反対だなんて、出来るわけがない。
分かってる。
私がしっかりしないといけないってこと。
義母に言われて、盆に載せた茶菓子とともに奥へ向かう。
話はつけてきたから、仲直りをしてこいとの仰せだ。
「失礼します」
北の間の引き戸を開ける。
返事はない。
見るとその人は、静かに庭を眺めていた。
この部屋は晋太郎さんの中にある珠代さまとの思い出を、大切に守っている場所だったのだ。
私の抜いた草は、その大切な思い出の花の芽だったのだ。
その芽は今やびっしりと顔を出し、細く柔らかな茎と葉を、懸命に空へ向かい伸ばしている。
「ずいぶんと芽が伸びましたね」
「このままにしておいてください」
盆を置き差し出す。
湯気だけがゆっくりと立ち上った。
「庭の世話に関しては、全て私がやります」
「申し訳ございませんでした」
両手の指先をきっちりとそろえて前につき、丁寧に頭を下げる。
額を床につけたまま、じっとその人の言葉を待った。
「……飲んだら、自分で運んでおきます。あなたはもう戻りなさい」
恐る恐る頭を上げても、まだじっと庭を向いたままだった。
その横顔を見つめる。
ピクリとも動かないその姿に、私は立ち上がった。
日の当たる、暖かな廊下を戻る。
ふわりと舞い込んだそよ風は、確実に春の空気を運んでいるのに、床板の冷たさだけは変わらない。
足は鉛のように重かった。
「ちょっと志乃さん。こっちにいらっしゃい」
障子が開いて、お義母さまが手招きをしている。
部屋に入ると、お祖母さまも一緒に座っていた。
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