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第12章
第3話
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「私は家のことを考えて……」
「それは十分に承知しております」
「ならばあなたが、もっとしっかり……」
義母はそれでも、言葉を選んでいるようだった。
「あなたのわがままに、これ以上振り回されてはたまりません。いい加減、先のことも少しは考えて……」
「もう結構!」
晋太郎さんが私の腕をつかんだ。
「行きましょう、志乃さん。この母と話すことなど、何もありません」
部屋を飛び出す。
この人に手を引かれ、真夜中の廊下を進む。
大きな月がぽっかりと浮かんでいて、そういえばあの日の月もこんな月だったかもとか、思い出す。
閉めきっていた北の間の板戸をガタガタと開ける。
夜の桔梗の庭を、私は初めて目にした。
「お入りなさい」
晋太郎さんは部屋から廊下へ続く間口に外した板戸を立て、そこを塞ぐ。
すぐに雨戸を広げた。
「虫は今夜は我慢してください。こうすれば暑さもしのげます」
月に照らされた一面の桔梗が夜風に揺れた。
「こちらへおいでなさい。それとも横になりますか?」
その人のいる縁側へふらりと向かった。
畳の段差から飛び降りると、引き寄せられるようにその隣に腰を下ろす。
青い桔梗は月明かりにぼんやりと浮かび上がる。
晋太郎さんはため息をついた。
「母には困ったものです」
大きな手で口元を覆い、前を向いているこの人の横顔は、少し赤らんでいるように見えた。
「きっとお義母さまも今頃は、『晋太郎さんには困ったものです』と、思っていると思います」
そう言って微笑んで見せたのに、その人はまた深いため息をついた。
「あなたは本当に、意味を分かっておっしゃっているんでしょうね」
「はい?」
「いいえ、何でもございません!」
腕が伸びてきた。
肩に触れた手が私を引き寄せる。
「今宵は籠城戦ですよ。戦の覚悟はよろしいか」
見上げると、目が合った。
「はい」と答えたけれど、なんだか可笑しくなって、くすくす笑ってしまう。
その人も笑った。
「さて。では何をして過ごしましょうか。朝まで長いですよ」
「囲碁をしましょう」
「打てるのですか?」
前に晋太郎さんが、ここで打っているのを見た。
「岡田の家では、父を相手にやっておりました」
「よろしい。それでは囲碁戦と参りましょう」
晋太郎さんは奥から碁盤を持ち出した。
囲碁を打つのも久しぶりだ。
「手加減はいたしませんよ」
「望むところです」
「置石はどうしますか?」
「う~ん……四子でよろしいかと」
晋太郎さんは先手の黒の石を四つ、真四角に並べる。
置き石とは碁を打ち始めるに前もって、盤に置いておく石のことだ。
これが多いほど、その色が有利になる。
「では始めましょう」
その人は、後手の白の石を手にニヤリと笑った。
長い長い夜に、私は一手目を打った。
「それは十分に承知しております」
「ならばあなたが、もっとしっかり……」
義母はそれでも、言葉を選んでいるようだった。
「あなたのわがままに、これ以上振り回されてはたまりません。いい加減、先のことも少しは考えて……」
「もう結構!」
晋太郎さんが私の腕をつかんだ。
「行きましょう、志乃さん。この母と話すことなど、何もありません」
部屋を飛び出す。
この人に手を引かれ、真夜中の廊下を進む。
大きな月がぽっかりと浮かんでいて、そういえばあの日の月もこんな月だったかもとか、思い出す。
閉めきっていた北の間の板戸をガタガタと開ける。
夜の桔梗の庭を、私は初めて目にした。
「お入りなさい」
晋太郎さんは部屋から廊下へ続く間口に外した板戸を立て、そこを塞ぐ。
すぐに雨戸を広げた。
「虫は今夜は我慢してください。こうすれば暑さもしのげます」
月に照らされた一面の桔梗が夜風に揺れた。
「こちらへおいでなさい。それとも横になりますか?」
その人のいる縁側へふらりと向かった。
畳の段差から飛び降りると、引き寄せられるようにその隣に腰を下ろす。
青い桔梗は月明かりにぼんやりと浮かび上がる。
晋太郎さんはため息をついた。
「母には困ったものです」
大きな手で口元を覆い、前を向いているこの人の横顔は、少し赤らんでいるように見えた。
「きっとお義母さまも今頃は、『晋太郎さんには困ったものです』と、思っていると思います」
そう言って微笑んで見せたのに、その人はまた深いため息をついた。
「あなたは本当に、意味を分かっておっしゃっているんでしょうね」
「はい?」
「いいえ、何でもございません!」
腕が伸びてきた。
肩に触れた手が私を引き寄せる。
「今宵は籠城戦ですよ。戦の覚悟はよろしいか」
見上げると、目が合った。
「はい」と答えたけれど、なんだか可笑しくなって、くすくす笑ってしまう。
その人も笑った。
「さて。では何をして過ごしましょうか。朝まで長いですよ」
「囲碁をしましょう」
「打てるのですか?」
前に晋太郎さんが、ここで打っているのを見た。
「岡田の家では、父を相手にやっておりました」
「よろしい。それでは囲碁戦と参りましょう」
晋太郎さんは奥から碁盤を持ち出した。
囲碁を打つのも久しぶりだ。
「手加減はいたしませんよ」
「望むところです」
「置石はどうしますか?」
「う~ん……四子でよろしいかと」
晋太郎さんは先手の黒の石を四つ、真四角に並べる。
置き石とは碁を打ち始めるに前もって、盤に置いておく石のことだ。
これが多いほど、その色が有利になる。
「では始めましょう」
その人は、後手の白の石を手にニヤリと笑った。
長い長い夜に、私は一手目を打った。
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