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1章
夢追い屋の条件
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夜京──この街には夜しか存在しない。星のない空に人工月が浮かび、薄明かりとネオンが交錯する都市。そこでは、眠りは贅沢であり、管理された世界。
かつて夢は個人のものであり、誰にも侵されない神聖な領域だった。だが今では、テクノロジーによって夢は解析され、操作され、そして、他人の夢にすら侵入できる──そんな時代。
探偵・九条礼はその境界線を渡る者、「夢追い屋」としてこの都市の片隅に生きていた。彼の事務所は、古びた雑居ビルの最上階にひっそりと存在している。天井の低い部屋に積まれた書類、古いモニター、無数の神経接続ケーブル。
扉をコンコンとたたく音が鳴る。朝比奈奏だ。
黒髪に青白い肌、眼鏡越しの眼差しはどこか無垢で、それでいて醒めた光を宿していた。奏は静かに礼を見つめ、言った。
「助手、募集していると聞きました」
「誰からだ」
「夢分析研究所の主任。僕の……症状を、御存じだと」
礼は眉一つ動かさずに彼を観察する。その姿は、まるで夢の断片を読み解くかのような静けさだった。
「夢に干渉されやすい。夢と現実の境界が曖昧。……そういう人間は壊れやすいが、よく潜る」
奏は微かに頷いた。
「僕は、自分の夢の中で……他人になってしまうことがあるんです。演じさせられるんです。まるで、誰かの“記憶”に」
礼の指先が動いた。机の上に置かれた《ソムニア》の電源を入れる。
「一度、潜ってみろ。今夜、案件がある」
その夜、礼は彼を伴ってクライアントの夢へ潜入する準備を整えた。依頼主は20代の女性。幼少期のトラウマによる夢のループ現象に悩まされていた。
「眠るぞ、奏」
神経接続ケーブルが頭部へと伸び、冷たい電流が走る。視界が暗転し、次第に色と音が満ちていく。
目を開けると、そこは古びた団地の廊下だった。黄色い蛍光灯、剥がれた壁紙、濡れたスリッパの跡。現実よりもリアルな“記憶の再現”がそこにあった。
奏は息を呑む。初めて見る景色なのに、懐かしい気配がした。
「この場所……知ってる気がする」
「夢はそういうものだ。他人の記憶に自分が同化する。気を抜くな」
礼はそう言うと、廊下の奥へ歩き出す。その後ろ姿に追いつこうとした瞬間──
少女の泣き声が響いた。
小さな影が、団地の一室の前に蹲っている。鍵がかかり、部屋に入れないようだ。必死に扉を叩く。
「ママ……ママぁ……開けて……!」
その姿を見た途端、奏の心臓が強く脈打った。視界がぐにゃりと歪み、自分の手が小さくなる。
──なってしまった。少女に。
意識が吸い込まれる。泣いているのは自分だ。寒い。心細い。誰かに見てほしい。
「朝比奈、戻れ」
礼の声が空間に響いた。その瞬間、熱い腕が背後から自分を抱きとめた。
「お前は、お前だ」
その言葉に、少女──奏の意識が解ける。
視界が白く飛び、現実へと帰還した。
目を覚ました奏は、滝のような汗をかいていた。
「……これが、夢潜入……」
「潜るだけなら誰でもできる。戻れるかどうかは、意志の問題だ」
礼の声は冷たかったが、その指先は震えていた。あの瞬間、確かに彼は怖れていた──自分が奏を“壊してしまう”ことを。
奏はそれを感じた。そして、決めた。
(この人と一緒に、もっと夢を見てみたい)
その夜、外は霧雨だった。
九条礼はひとり、夢から戻った後の空虚な静けさに包まれたまま、事務所の窓から濡れた路地を見下ろしていた。
その背後に立つ奏の気配に、微かに眉が動く。
「先生……さっき、僕に言いましたよね。お前はお前だ、って」
「言ったな」
「それ……本当は、誰に言いたかった言葉なんですか?」
礼は答えなかった。ただ、視線を窓の外から、奏へと移した。
「……まだ夢から覚めていないようだな、お前は」
けれど、その目の奥に、初めて微かな熱が灯っていた。かつて誰かに抱いた愛しさと、失ってしまった痛みを、もう一度誰かに託してみようとする揺らぎ。
夢と現実のあわいに咲いた、その名もなき感情は、静かに2人をつないでいた。
かつて夢は個人のものであり、誰にも侵されない神聖な領域だった。だが今では、テクノロジーによって夢は解析され、操作され、そして、他人の夢にすら侵入できる──そんな時代。
探偵・九条礼はその境界線を渡る者、「夢追い屋」としてこの都市の片隅に生きていた。彼の事務所は、古びた雑居ビルの最上階にひっそりと存在している。天井の低い部屋に積まれた書類、古いモニター、無数の神経接続ケーブル。
扉をコンコンとたたく音が鳴る。朝比奈奏だ。
黒髪に青白い肌、眼鏡越しの眼差しはどこか無垢で、それでいて醒めた光を宿していた。奏は静かに礼を見つめ、言った。
「助手、募集していると聞きました」
「誰からだ」
「夢分析研究所の主任。僕の……症状を、御存じだと」
礼は眉一つ動かさずに彼を観察する。その姿は、まるで夢の断片を読み解くかのような静けさだった。
「夢に干渉されやすい。夢と現実の境界が曖昧。……そういう人間は壊れやすいが、よく潜る」
奏は微かに頷いた。
「僕は、自分の夢の中で……他人になってしまうことがあるんです。演じさせられるんです。まるで、誰かの“記憶”に」
礼の指先が動いた。机の上に置かれた《ソムニア》の電源を入れる。
「一度、潜ってみろ。今夜、案件がある」
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「眠るぞ、奏」
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目を開けると、そこは古びた団地の廊下だった。黄色い蛍光灯、剥がれた壁紙、濡れたスリッパの跡。現実よりもリアルな“記憶の再現”がそこにあった。
奏は息を呑む。初めて見る景色なのに、懐かしい気配がした。
「この場所……知ってる気がする」
「夢はそういうものだ。他人の記憶に自分が同化する。気を抜くな」
礼はそう言うと、廊下の奥へ歩き出す。その後ろ姿に追いつこうとした瞬間──
少女の泣き声が響いた。
小さな影が、団地の一室の前に蹲っている。鍵がかかり、部屋に入れないようだ。必死に扉を叩く。
「ママ……ママぁ……開けて……!」
その姿を見た途端、奏の心臓が強く脈打った。視界がぐにゃりと歪み、自分の手が小さくなる。
──なってしまった。少女に。
意識が吸い込まれる。泣いているのは自分だ。寒い。心細い。誰かに見てほしい。
「朝比奈、戻れ」
礼の声が空間に響いた。その瞬間、熱い腕が背後から自分を抱きとめた。
「お前は、お前だ」
その言葉に、少女──奏の意識が解ける。
視界が白く飛び、現実へと帰還した。
目を覚ました奏は、滝のような汗をかいていた。
「……これが、夢潜入……」
「潜るだけなら誰でもできる。戻れるかどうかは、意志の問題だ」
礼の声は冷たかったが、その指先は震えていた。あの瞬間、確かに彼は怖れていた──自分が奏を“壊してしまう”ことを。
奏はそれを感じた。そして、決めた。
(この人と一緒に、もっと夢を見てみたい)
その夜、外は霧雨だった。
九条礼はひとり、夢から戻った後の空虚な静けさに包まれたまま、事務所の窓から濡れた路地を見下ろしていた。
その背後に立つ奏の気配に、微かに眉が動く。
「先生……さっき、僕に言いましたよね。お前はお前だ、って」
「言ったな」
「それ……本当は、誰に言いたかった言葉なんですか?」
礼は答えなかった。ただ、視線を窓の外から、奏へと移した。
「……まだ夢から覚めていないようだな、お前は」
けれど、その目の奥に、初めて微かな熱が灯っていた。かつて誰かに抱いた愛しさと、失ってしまった痛みを、もう一度誰かに託してみようとする揺らぎ。
夢と現実のあわいに咲いた、その名もなき感情は、静かに2人をつないでいた。
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