「追憶に溺れる水面」

平井結

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2章

再生される記憶

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その日、朝比奈奏はまどろみの中で、自分の声ではない“さよなら”を聞いた。  目が覚めると汗で濡れたシャツが背中に張りついていた。 夢か。しかし、あまりにも感情がリアルすぎた──失う痛み、過去に置いていかれるような無力感。

「……あれは、いったい…?」

 朝の光が差し込まない夜京の部屋で、奏はゆっくりと立ち上がった。

 九条礼の事務所に着くと、彼はすでに次の依頼者の記録を読んでいた。

 そこには、20代後半の青年のデータが表示されていた。

「“毎晩同じ夢を見続ける”。内容は“別れを告げられる”場面の繰り返し。本人の記憶は曖昧だが、感情の反応は強い」

「トラウマの再生?」

「……あるいは、何かを守っている」

 九条の声には確信がなかった。だからこそ、直接潜る。

 依頼人と接続され、礼と奏は再びソムニアを装着する。微細な神経信号が走り、意識が落下していく。

 次の瞬間、奏の眼前に広がったのは──ホテルの一室だった。窓の外は夜、カーテンは半開きで街灯の光がうっすらと差し込んでいる。

 そこに立っていたのは、依頼者の青年と、もう一人の人物──若い女性。

「別れよう。もう限界なの」

 そう告げる彼女の声には、怒りも涙もない。完璧に整った“終わり”の形だった。

「……これが、繰り返されているのか」

 奏が呟いた瞬間、周囲の空間がふっと暗転する。  再び同じ場面。まったく同じ構図。まるで再生ボタンを押したように、彼女は同じセリフを口にする。

「また……」

 九条が冷静に観察していた。

「夢の中に、時間の固定点がある。記憶が変化を拒否している証拠だ」

「じゃあ……どうすればいいんです?」

「壊せ」

「えっ?」

「ループを壊すには、本人の“見たくなかった記憶”の奥まで踏み込むしかない。お前の役目だ、奏」

 その言葉に戸惑いながらも、奏は夢の中で依頼者の“自分”に近づく。目が合う。すると──

「君……誰だ?」

 依頼者の“夢の中の自我”が奏を認識した。

 奏は直感した。今なら、対話ができる。

「……この人に、何を言えなかったんですか?」

「……怖かったんだ。愛される自信がなかった」

 その瞬間、ホテルの景色が揺らぎ始めた。カーテンがちぎれ、風が吹き込む。

「ありがとう、僕を見つけてくれて」

 依頼者の自我が、夢の奥で微笑んだ。

 その瞬間夢がくずれ現実へと戻った。

 現実へ戻った奏は、深く息を吐いた。隣の礼が、珍しく言葉をかけた。

「うまくやったな」

「……そう見えましたか?」

「“演じる”のではなく、“共鳴する”技術。お前はそれを持っている」

 奏は黙って頷いた。けれど胸の奥では、違う痛みが燻っていた。

 ──なぜ、あの女性の言葉に自分の心が反応したのか。  ──なぜ、あの別れが、自分のもののように感じられたのか。

「先生……あの夢のセリフ。どこかで聞いたことがある気がします」

 その言葉に、礼は静かに目を伏せた。

「……お前の夢の中に、俺の記憶が混ざっている可能性がある」

「え?」

「その体質、まさかとは思っていたが──夢を通して、他者の記憶の残滓を“再生する”能力かもしれない」

 奏の背筋が凍る。

「じゃあ僕は……先生の、大切な誰かを……」

「まだ、仮説だ」

 けれど、その瞳は告げていた。礼の心のどこかが、すでに“その可能性”に怯えていることを。

 その夜、奏はまた同じ夢を見た。  雨の中、傘をさすこともなく立ち尽くす誰かの背中。

「……さようなら、礼」

 聞き覚えのない、けれど懐かしい声が──心の奥に降り積もった。
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