「追憶に溺れる水面」

平井結

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4章

接続不能の夜

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 夜京の夜は、今日もまた闇が濃い。  朝比奈奏は、夢の残滓を引きずったまま、現実の床にうずくまっていた。

 あの少女──ユメ。  九条のかつての恋人、“真白”と瓜二つの幻影。  彼女は自分の名前を知っていた。九条の記憶が、自分の中で目を覚まそうとしている。

 「……僕の中に、誰かがいる」

 冷たい汗が背中を伝う。身体は重く、手足の感覚も薄れていた。  現実の感覚が、ぼんやりと滲む。

 ──まさか、まだ夢の中?

 思考が混濁していた。

 そこに九条からのメッセージが届く。

『今夜は一人で潜るな。状態が不安定だ。』

 だが奏は、それに返信しなかった。

 自分が壊れかけていることを、誰かに告げるのが怖かった。

 ソムニアのケーブルが、再び彼の首元を這う。  意識が沈む。もう一度、確かめたい。  “自分の中の真実”を。



 夢の中。  そこは見知らぬ図書館だった。  無数の本棚が並び、空間はどこまでも続いていた。  ページをめくる音だけが響く。

 そこに、少女がいた。

「また来たのね、奏くん」

 ユメ──いや、“真白”の幻。

「どうして、僕の中にいる?」

「わたしじゃないよ。あなたの中に、“礼の記憶”がいるだけ」

「記憶……?」

「あなたはね、奏くん。“器”なの。礼が大事にしていたものを閉じ込めておける、特別な器」

 その声に、恐怖が走った。  自分の“輪郭”が崩れていく。自我が、他人の感情に浸食されていく。

「やめてくれ……僕は、僕だ……」

 叫んだ。  けれど視界は揺れ、床が崩れ、本棚が倒れ、自分という存在が剥がれていく。



 その時──

「奏!」

 九条の声が響いた。  夢の奥に、彼が飛び込んできた。

「馬鹿が……ひとりで潜るなと、言っただろう」

 その声に、涙が溢れた。

「先生……僕、怖いんです……自分じゃない誰かになってしまいそうで……」

 九条は無言で奏の手を取り、強く抱きしめた。  その腕の力が、現実よりもずっと強く感じられた。

「大丈夫だ。お前は、朝比奈奏だ。それ以外の何者でもない」

 ユメが遠くで笑った。

「礼……また、誰かを守ろうとしてる。壊れてるのは、あなたのほうなのに」

 彼女の姿が霧のように溶けていく。



 目を覚ましたとき、奏は九条の膝枕で横たわっていた。  額には冷たいタオル。九条の手が彼の頬をなぞる。

「……すまなかった」

「え?」

「お前を巻き込んでいる。俺の過去が……まだ終わっていない」

「いいんです。僕は、先生の過去ごと、見ていたい」

 その言葉に、九条の瞳が揺れた。  長い沈黙のあと、彼は初めて素直に笑った。

「なら、お前にも責任を取ってもらうぞ。最後まで、一緒に見届けるんだ」

 夢と現実の間で、ようやく交わされた“約束”だった。
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