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第一章:竜生始動篇

第3話『鏡の秘境』

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「あっ。そろそろボク、帰らなきゃ。
 エドナおばさんに怒られちゃうや」

 ホノンが懐中時計を取り出したかと思えば、そんなことを言う。

「エドナおばさんって?」
「下宿してるとこのオーナー。
 彼女に色々とお使いを頼まれてここに来たんだ」

 言いつつメモを取り出し、なにやらチェックマークをつけている。
 覗き見すると、読めない文字が箇条書きされていた。
 音声言語が同じでも、文字言語は異なるのか。

 ホノンに訳してもらった。

・食器用の木材
・夕食の川魚
・染色用の花(3,4種)
・依頼の秘境確認

「魚はさっきいい場所見つけたし、花も木も集めた。
 あとは依頼のやつだね」
「秘境ってなんだ?」
「うーん。ボクも詳しいことは知らないんだよね」

 ホノンは時計と紙を仕舞う。

「君も来る? 行く宛ないならちょっと手伝ってよ」
「ああ、喜んで」

 宛も戸籍も常識もなんもない。
 街のある場所に連れて行ってもらわなければ野垂れ死になってしまう。

 そう思い、俺はホノンと一緒に秘境へ向かった。


  ===


「不思議だよね、こんな場所に秘境なんて」

 その洞窟は歩いて20分ぐらいのところにあった。
 森の暗い場所の、小さな岩山にできた穴。
 自然に出来上がったのか人口で作られたのかは分からない。

「行こう。依頼内容は"内部の確認"だから気楽だね」
「とはいえ、何があるか分からないなら危険じゃないか?」
「うーん、そうだね。
 なら、守護魔術を教えておこう」

 ホノン先生の基礎魔術講習は5分で終わった。
 結構簡単に習得できたな。

「じゃあ入ろう。"鏡の秘境"へ」

 ホノンの灯す炎を頼りに、暗い洞窟へ入っていった。


  ===


「そういやシンジ、この世界では名前を変えた方がいいかも」
「理由は?」
「その1、呼びづらい。
 その2、目立ちすぎる。
 その3、変!」

 ひでえ言い分だな。

「偽名を使えってことか? ホノン=ライラルフみたいな?」
「そういうこと。"リューギサイー"だっけ? ボクも呼びづらいし」
「龍ヶ崎 真治な」
「それそれ」

 偽名か、ふむ......
 順応を選択したからにはいい判断かもしれないが。
 全く思いつかない。

「なにかアイデアはあるか?」
「いやっ、さすがにそんな大事なことはボクじゃ決められないよ?」
「うーん。中々難しいな」

 思索を巡らせていると、洞窟の行き止まりに着いた。
 古ぼけた扉に、外れかかった蝶番。
 この先になにかある。

「閑話休題。ちょっと警戒しよう」
「ああ。どうやらここが依頼の対象みたいだな」

 扉を開ける。


 そこは銀色の世界だった。
 なにもない無間の空間が、俺たちの登場で変わった。
 繰り返されるコピーが無限に存在している。

「これは......」
「完全な鏡張りの部屋だね」

 名は体を表す、か。そのまんまだな。
 数分いるだけで精神が狂いそうな部屋だ。
 俺とホノンは、無限に存在する俺たちに囲まれている。

「うう......ここが秘境の最奥?」
「いや、どうやら迷路状になっているな」
「迷路!? こんなところで迷路なんてやったら頭おかしくなるよ......」

 ホノンは既に参っているようだ。
 仕方がない、ここは俺がどうにかするしかないな。

 人の知覚は集中の質、対象、思考により左右される。
 平面に投影された虚像を外部の事実と認識してはいけない。
 即ち、迷路の壁を壁として認識する。

 ある種の自己洗脳は、自己の保護に長けた者が獲得する技能。
 俺は表情を代償に、思考力と思考洗脳を制御している。

「ホノン、半眼で俺に着いてこい。
 無理そうなら俺が手を引く」
「え! もしかして迷路とか得意?」
「平面的なものはな」
「じゃあ任せたよ!」

 ホノンは目をつむり、俺の手を掴む。
 俺は鏡面の歪みでなく境界に着目し、進む。


  ===


「迷った」
「ええ!? さっきの自信はどこいったの!?」

 妙な感覚だ。
 確実に先へ進んでいるが、脳内の地図がバグをきたしている。
 この感覚、恐らく......

「この秘境にゴールはない」
「それ、シンがクリアできないだけじゃない?」
「代わりにやるか?」
「やだ!」

 うっ、ちょっと気持ち悪くなってきた。
 認識が流石にバグってくる。

「ゴールがない。それは物理的な話だ。
 超常的な現象の存在と、秘境という場。
 2点を総括して考えると、求められるのは逆転的発想」
「つまり?」
「壁として認識できない鏡を壁として認識する必要のある迷路。
 認識の転換を要求した上で思考を迷路に落とす仕組みだろう。
 故に、再度認識の転換を要求され......」
「ああもう! 難しいな!」

 俺自身もゴチャってきた。
 簡潔にまとめよう。

「つまり、鏡を奥行きとして認識する。
 虚像を実像として扱うんだ」
「それってどうすれば......!?」

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 指が鏡に触れるかと思えば、障壁なく前へ進む。
 物質として存在する鏡が、嘘でなく真を映す装置となる。
 俺はホノンの手を引き、足を踏み入れた。

「必要なのは豊富な想像力。
 魔法を使う感覚に似ている」

 鏡の迷路が消失し、真っ暗闇の部屋に。
 周りが何も見えなくなったあと、薄っすらと光が差した。
 地に足がつかないような、不思議な部屋だ。

「また鏡か」
「うげ、もううんざりだよ?」

 部屋の中心には一つの姿見があった。
 というか、逆にそれ以外にはなにもない。
 俺はゆっくりと鏡に近づき、それを覗く。

 水色の瞳が俺を覗いていた。

「これ、ただの鏡みたいだね?」
「いやよく見ろ。左右が違っている」
「え? あっ、ホントだ!」

 鏡は上下をそのままに、左右を逆転させる。
 しかしこの鏡は左右が逆転していない。
 右手を上げたホノンを見れば明らかにおかしい。

「違和感が凄いね。絵の書き間違いみたい」
「ていうか、これだけか?
 ただこの手品のためだけに、これほど大掛かりな仕掛けを?」
「さっきと同じことをすれば、この鏡も通り抜けられるとか?」

 一理ある。試してみよう。

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「......あれ、なにも起こらないね」
「ハズレか。これまた別の仕掛けがあるみたいだな」
「ええ!? もうこれ以上頭動かないよ!」
「ホノンは何もしてないだろ」
「うっ、バレちゃったか」

 俺も流石に脳の限界だ。
 少し頭痛がするし、なにか違和感を覚えた。
 さっき以上に難しい問題は解けそうもない。

「ひとまず、内情を記憶して帰ろう。
 依頼は中の確認なんだろ?」
「うん。正直これ以上はいいと思う。
 ていうか、迷路を突破した分追加報酬を貰えそうなぐらいだよ」

 不思議な経験をした。
 外に出て休もう。



 暗闇の部屋を出るのに、もう一度思考洗脳を必要とされた。
 部屋の壁に手を当て、壁の存在を脳で否定する。
 この作業は本当に頭が疲れる。

 部屋を出るとき、鏡を振り返った。
 鏡は相変わらず左右がおかしく、それ以外はなにもない。
 おかしな秘境だなと思い、部屋を去ろうとしたとき。

『――三界を、――、アヴァ――』

 ホノンになにか聞こえたかと尋ねると、なにも聞こえないという。
 気のせいだと片付け、秘境を後にした。


  ★★★


「新しい名前、さっき思いついたんだ」
「おお、なんていう名前!?」

 俺は己の胸に手を当て、自己洗脳する。
 これは決して厨二病ではないと。
 ホノン=ライラルフに引っ張られているだけだ、と。

「シン=ルザース。
 一応前世の名残りもあるし、いいかなって」
「いいね! 割とセンスあるじゃん!
 じゃあよろしくね、シン!」

 呼ばれ方はあまり変わらないな。

「ああ。よろしくな、ホノン」

 シン=ルザースとしての物語が始まった。
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