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リュシアンの愛
抗えない引力
過去の話をひと区切りすると、ガストンはゆっくりと瞬きをした。
意識が現在へと戻る。
視界に映ったのは、灯りを落とした静かな休憩室だった。
厚い扉に隔てられ、舞踏会の音楽も笑い声も、ここまではほとんど届かない。
まるで別の世界に紛れ込んだかのような、ひそやかな空気が満ちている。
そして――すぐ隣には男がいた。
リュシアン。
整いすぎているほど端正な横顔が、至近距離にある。現実離れした美しさだった。
ガストンの身体には、まだ余韻が残っている。
深く刻み込まれた熱が消えきらず、胸の奥をじんわりと満たしていた。
「……で、その家庭教師が、君の初恋か?」
リュシアンが穏やかに尋ねる。
「うん。恋も……抱かれるのも、初めてだった」
懐かしむように、ガストンは続けた。
「先生とは順調だったよ。勉強が疎かになったら、先生に迷惑がかかると思って……恋人になってからは、むしろ頑張ったんだ。でも……」
「……関係が露見したのか?」
リュシアンは表情を変えずに言う。
「そう……。僕が……見境なく先生を求めたせいで、使用人に見つかってしまって……父上の知るところになった」
当主であるハウゼンは激怒した。
当然、家庭教師は解雇された。
相手は取引先の子息だったため、事を大きくしない代わりに、二度と会わない誓約を書かせたという。破れば騎士団に告発するとまで言われた。
ガストンは泣いて許しを乞うたが、父の怒りは収まらなかった。
そのまま戒律の厳しい全寮制の学園へ入れられたのだ。
「それから……家庭教師とは?」
「……会ってない」
短い答えだった。
全寮制に入った後は、しばらくは大人しくしていたが、結局、同じことを繰り返してしまった。
十六歳の時、学園の教師と身体の関係を結んでいたことが発覚し、退学処分となる。
その時にはもう、ハウゼンは怒る気力すら失っていた。
ガストンは後継者から外され、姉が婿を取ることになり、家を出された。
親の伝手で現在はある貴族家に奉公している。
今夜の舞踏会も、その主人に同行しているに過ぎない。
「……僕のこれまでは……そんなところ」
ガストンは少し笑った。
「僕は…家の役に立たない人間だから」
軽い調子だったが、その瞳の奥には長年の孤立が滲んでいた。
リュシアンは黙って彼を見つめる。
(……これは、都合がいい)
内心で静かに結論づける。
「ガストン。ひとつ聞きたい」
「なあに?」
「生家はヴァランセ商会だと言っていたな」
「そうだけど……」
胸の奥に確信が走る。
【ヴァランセ男爵家】
フェルディナン三兄妹の実父の生家だった。
リュシアンは幼い頃、自身の出生と父方の系譜を調べさせている。
さらに現在は伯爵家当主として、主要な貴族家の情報はほぼ頭に入っていた。
表情を崩さないまま、静かに問いかける。
「……君の父の名は、ハウゼンか?」
ガストンは目を丸くした。
「うん……知っているの?」
「ああ。面識はないが、少しな」
嘘ではない。情報としては知っている。
リュシアンは続ける。
「ハウゼンには…弟がいただろう。君の叔父だ」
「あ……うん。アルノー叔父さんのことかな」
ガストンは考えるように視線を上げた。
「僕が小さい頃に亡くなったから、あまり覚えてないけど……僕にそっくりらしいよ。若い頃に結婚したけど、病気で男爵家に戻ってきたって聞いてる」
その瞬間、すべてが繋がった。
(……なるほど)
(シルヴァンに似ている理由が分かった)
当然だ。
同じ血なのだから。
(彼は……正真正銘、僕らの従兄弟だ)
だが、その事実を口にするつもりはなかった。
意味がない。
そして――壊したくもない。
「なるほどな」
「実家が……何か?」
「いいや。今はまだ」
リュシアンはそこで言葉を切り、わずかに間を置いた。
そして、静かに本題へ入る。
「……ガストン。今の主人の家での扱いは、良いのか?」
ガストンは肩をすくめる。
「普通だよ。使用人だからね」
「満足している?」
少しの沈黙のあと、肩をすくめる。
「……居場所は、ないかな」
正直な答えだった。
その言葉を聞いた瞬間、リュシアンの中で決定が固まる。
「なら」
低く穏やかな声で言う。
「私のところへ来るか?」
ガストンが息を止める。
「……え?」
「我が家の西の領地で人を探している。表向きは執事見習いだ。君の過去については一切問わない。後見は私が引き受けよう」
二人の視線が絡む。
逃げ場を与えない、静かな圧がそこにはあった。
「生活も立場も、今より悪くなることはない」
そこで一瞬だけ、声の温度が変わる。
「……そして」
口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「君は、私の興味を引いた。――君はどうだ?」
ガストンの瞳が揺れる。
「……僕も……あなたに興味があります」
その反応を見て、リュシアンはわずかに口元を緩めた。
「君のような男は……従う方が幸福だ。悪いようにはしない」
彼が自分の身体に惹かれていることは、もはや疑いようがなかった。
ガストンの中で、張り詰めていた感情がゆっくりとほどけていく。
期待。
安堵。
救われたような感覚。
そして――抗いがたい引力。
そのすべてを見透かしたように、リュシアンは静かに微笑んでいた。
その瞬間、ガストンの運命は、完全に彼の手の中へ落ちていった。
意識が現在へと戻る。
視界に映ったのは、灯りを落とした静かな休憩室だった。
厚い扉に隔てられ、舞踏会の音楽も笑い声も、ここまではほとんど届かない。
まるで別の世界に紛れ込んだかのような、ひそやかな空気が満ちている。
そして――すぐ隣には男がいた。
リュシアン。
整いすぎているほど端正な横顔が、至近距離にある。現実離れした美しさだった。
ガストンの身体には、まだ余韻が残っている。
深く刻み込まれた熱が消えきらず、胸の奥をじんわりと満たしていた。
「……で、その家庭教師が、君の初恋か?」
リュシアンが穏やかに尋ねる。
「うん。恋も……抱かれるのも、初めてだった」
懐かしむように、ガストンは続けた。
「先生とは順調だったよ。勉強が疎かになったら、先生に迷惑がかかると思って……恋人になってからは、むしろ頑張ったんだ。でも……」
「……関係が露見したのか?」
リュシアンは表情を変えずに言う。
「そう……。僕が……見境なく先生を求めたせいで、使用人に見つかってしまって……父上の知るところになった」
当主であるハウゼンは激怒した。
当然、家庭教師は解雇された。
相手は取引先の子息だったため、事を大きくしない代わりに、二度と会わない誓約を書かせたという。破れば騎士団に告発するとまで言われた。
ガストンは泣いて許しを乞うたが、父の怒りは収まらなかった。
そのまま戒律の厳しい全寮制の学園へ入れられたのだ。
「それから……家庭教師とは?」
「……会ってない」
短い答えだった。
全寮制に入った後は、しばらくは大人しくしていたが、結局、同じことを繰り返してしまった。
十六歳の時、学園の教師と身体の関係を結んでいたことが発覚し、退学処分となる。
その時にはもう、ハウゼンは怒る気力すら失っていた。
ガストンは後継者から外され、姉が婿を取ることになり、家を出された。
親の伝手で現在はある貴族家に奉公している。
今夜の舞踏会も、その主人に同行しているに過ぎない。
「……僕のこれまでは……そんなところ」
ガストンは少し笑った。
「僕は…家の役に立たない人間だから」
軽い調子だったが、その瞳の奥には長年の孤立が滲んでいた。
リュシアンは黙って彼を見つめる。
(……これは、都合がいい)
内心で静かに結論づける。
「ガストン。ひとつ聞きたい」
「なあに?」
「生家はヴァランセ商会だと言っていたな」
「そうだけど……」
胸の奥に確信が走る。
【ヴァランセ男爵家】
フェルディナン三兄妹の実父の生家だった。
リュシアンは幼い頃、自身の出生と父方の系譜を調べさせている。
さらに現在は伯爵家当主として、主要な貴族家の情報はほぼ頭に入っていた。
表情を崩さないまま、静かに問いかける。
「……君の父の名は、ハウゼンか?」
ガストンは目を丸くした。
「うん……知っているの?」
「ああ。面識はないが、少しな」
嘘ではない。情報としては知っている。
リュシアンは続ける。
「ハウゼンには…弟がいただろう。君の叔父だ」
「あ……うん。アルノー叔父さんのことかな」
ガストンは考えるように視線を上げた。
「僕が小さい頃に亡くなったから、あまり覚えてないけど……僕にそっくりらしいよ。若い頃に結婚したけど、病気で男爵家に戻ってきたって聞いてる」
その瞬間、すべてが繋がった。
(……なるほど)
(シルヴァンに似ている理由が分かった)
当然だ。
同じ血なのだから。
(彼は……正真正銘、僕らの従兄弟だ)
だが、その事実を口にするつもりはなかった。
意味がない。
そして――壊したくもない。
「なるほどな」
「実家が……何か?」
「いいや。今はまだ」
リュシアンはそこで言葉を切り、わずかに間を置いた。
そして、静かに本題へ入る。
「……ガストン。今の主人の家での扱いは、良いのか?」
ガストンは肩をすくめる。
「普通だよ。使用人だからね」
「満足している?」
少しの沈黙のあと、肩をすくめる。
「……居場所は、ないかな」
正直な答えだった。
その言葉を聞いた瞬間、リュシアンの中で決定が固まる。
「なら」
低く穏やかな声で言う。
「私のところへ来るか?」
ガストンが息を止める。
「……え?」
「我が家の西の領地で人を探している。表向きは執事見習いだ。君の過去については一切問わない。後見は私が引き受けよう」
二人の視線が絡む。
逃げ場を与えない、静かな圧がそこにはあった。
「生活も立場も、今より悪くなることはない」
そこで一瞬だけ、声の温度が変わる。
「……そして」
口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「君は、私の興味を引いた。――君はどうだ?」
ガストンの瞳が揺れる。
「……僕も……あなたに興味があります」
その反応を見て、リュシアンはわずかに口元を緩めた。
「君のような男は……従う方が幸福だ。悪いようにはしない」
彼が自分の身体に惹かれていることは、もはや疑いようがなかった。
ガストンの中で、張り詰めていた感情がゆっくりとほどけていく。
期待。
安堵。
救われたような感覚。
そして――抗いがたい引力。
そのすべてを見透かしたように、リュシアンは静かに微笑んでいた。
その瞬間、ガストンの運命は、完全に彼の手の中へ落ちていった。
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