【完結】時計台の約束

とっくり

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9 襲撃の首謀者

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 確たる証拠こそ掴めなかったが、ルーカスを襲った首謀者がグリーグ公爵家のミハエルではないかとマーガレットは疑っていた。

 ミハエルが犯人だと判明したら、もはや彼との婚約を続けることはできないとマーガレットは悟った。

 ルーカスの見舞いのため、マーガレットは彼の部屋を訪れた。

 扉を開け、そっと声をかける。

「ルーカス、お身体の具合はいかが?」

「マーガレット様」

 ルーカスはベッドの背にクッションを当てて、身体を少し起こし、読書をしていた。右手は三角巾で吊られている。

「おかげさまで。不自由なく療養させていただいております」

「そう、ならよかったわ」

「……マーガレット様?」

 マーガレットは俯いたまま、扉の前で立ち尽くしていた。

「もしよろしければ、こちらの椅子にお掛けになりませんか?」

 ルーカスがベッド脇の椅子に視線を向ける。

「……ええ」

 マーガレットはちらりと後ろに控えている侍女を見やり、ためらいながら声をかけた。

「少しの間、席を外していただけるかしら」

「お嬢様?」

「ルーカスと、大事な話がありますの」

「……ですが、お嬢様……」

「お願い、リサ」

「旦那様やサミュエル様に知られたら、お叱りを受けます」

「やましいことなど何もありません。わたくしが責任を取ります」

「……お嬢様……」

「ほんの10分だけで構わないの。お願い」

 ここまで強く言われたのは初めてだった。侍女のリサは戸惑いながらも、しぶしぶ承諾した。

「承知いたしました。10分だけです。扉の外に控えておりますので、お時間になりましたらお声をかけます」

「ありがとう、リサ」

 侍女が部屋を後にすると、室内はルーカスとマーガレット、ふたりきりになった。

 ルーカスは緊張を隠しきれずにいた。

「マーガレット様……本当に、よろしいのですか?」

「ええ」

「何か、大切なお話が?」

「……貴方を襲った首謀者のことで話があります。」

「……?」

 マーガレットも苦しげな面持ちで続ける。


「ミハエル様よ」


「……まさか!」


 マーガレットの婚約者がなぜそんなことを——ルーカスの頭は混乱した。

「僕はミハエル様と直接お会いしたことも、お話ししたこともありません。接点など……」

「ええ、貴方とミハエル様には直接の接点はない。でも……わたくし、という間接的な接点があるわ」

「マーガレット様……?」

「貴方は我が家が支援している学生であり、我が家の使用人でもある。わたくしがこの屋敷に迎え入れたのよ」

「はい」

「ミハエル様は、わたくしと貴方の関係を疑っていたの」

「そんな……馬鹿な!」

「そう。馬鹿げているわ。わたくしと貴方は……特別な関係ではないもの」 


 そう言いながら、マーガレットは両手を膝の上に重ね、きつく握りしめた。

「特別な関係ではない。それは事実。けれど……けれど、わたくしは」

「……?」

「わたくしは……」

「マーガレット様?」

「わたくしは、貴方に……特別な感情を抱いておりますの……」

 そう言って、マーガレットはルーカスの左腕にすがりつき、涙を流した。

 そのとき、扉の外で騒がしい声が上がった。侍女のリサが必死に誰かを止めている。


「グリーグ公爵子息様!お待ちくださいませ!」

「たかが侍女のくせに何様のつもりだ!私はマーガレット嬢の婚約者だぞ!」

 怒声と共に扉が乱暴に開かれた。

「何をしている!!」

 ミハエルは怒りに満ちた表情で部屋の中に踏み込んできた。

 その瞬間、ちょうどマーガレットがルーカスにすがるような姿勢だったため、言い訳の余地がない光景となってしまった。

 騒ぎを聞きつけて、サミュエルと執事たちが駆けつけた。

 ミハエルは顔を紅潮させて怒鳴る。

「私も馬鹿にされたものだ!これは不貞ではないか!グリーグ公爵家として抗議する!」

「いきなりで、状況が把握できませんが……ミハエル様、落ち着いてください」

 サミュエルが冷静に宥める。彼の方が年上ではあったが、家格ではミハエルが上であるため、慎重に言葉を選んだ。

「見ての通りだろう!使用人と私の婚約者が不貞を働いていたのだ!」

「ミハエル様、それは違います!」

 マーガレットが声を張り上げた。もはや淑女のマナーを保つ余裕などなかった。

「おや?淑女の鏡が大声を出すとは。よほどやましいことがあるのだな」

「な、何をっ……!」

 マーガレットが再び語気を荒げたそのとき、ルーカスが静かな声で言った。

「グリーグ公爵子息様。発言をお許しいただけますか」

「ほう?言ってみろ」

「謝罪申し上げます。このような騒動を招いてしまい、誠に申し訳ございません」

「不貞を認めるというのか?」

「いいえ、不貞など一切ございません。ですが、誤解を招くような状況を作ってしまった責任は感じております」

 ルーカスは深く頭を下げた。

「ミハエル様、この件は我が家の当主が正式に対応いたします。事実確認の上、改めてご説明と謝罪をさせていただきます。そして、婚約の件についても、話し合いの場を設けるべきでしょう」

 サミュエルが毅然とした口調で告げた。

「……っ、婚約は破棄しない!継続する!!」

「それも当主同士で話し合うのが賢明です。今回の婚約は政略的な意味合いも強く、王家も認めたものですが……我が妹が不貞を疑われ、こんなふうに罵倒されては……。この婚約は、不幸な結婚の始まりにしか見えません。」


「……な、何を生意気な!」

「ミハエル様、申し訳ありませんが、本日はこれにてお引き取りください」

「事が済んだら帰る。だがその前に、あの男と二人で話をさせてもらおうか」

「ルーカスは怪我人です」

「私が暴力を振るうとでも?」

サミュエルは毅然とした態度で
ミハエルと向き合っていたが
ルーカスと話をしたいと言い出したため
ルーカスに視線を向ける。

ルーカスはサミュエルに向けて
静かにうなづき


「サミュエル様、マーガレット様。外でお待ちいただけますか」


「わかった。ミハエル様、時間は取らせないでいただきたい」

「あぁ、この男次第だな」



 二人が部屋を出ると、ミハエルは皮肉な笑みを浮かべて口を開いた。

「怪我の具合はどうだ?」

「……快方に向かっています」

「ふん、右手は……まだ動かぬのだろう?」

「……以前よりは、少しずつ」

「だがもう、筆は握れまい」

「っ……!」

「わざわざ右手を狙わせたからな」

「なぜ、それを……」

「ははっ、いい気味だ。もう絵は描けまい」

「まさか……本当に……」

「だとしたら、どうする? 訴えるか?証拠もなしに?」

「くっ……」

「覚えておけ。絵の描けないお前に、この家にいる価値はない。近いうちに出ていけ」

「……」

「私は執念深い。お前を社会から抹殺するのも容易いことだ。よく考えておくんだな」

「・・・・・・」

ミハエルは身分の差を誇示するかのようにルーカスの目の前に立ち、冷徹な表情で彼を見下していた。


「……近いうちに、この家を去ります」


「よろしい」


 ミハエルは高笑いを残して部屋を出て行った。入れ替わるようにして、サミュエルとマーガレットが入ってくる。

「ルーカス、何を言われた?」

「怪我の様子を聞かれました。それだけです」

「それだけで二人きりになる必要があったとは思えないが……」

「高貴なお方の考えることは、僕にはわかりかねます」

「……しかし、厄介な事態になったな」

「お兄様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「私はお前たちが不適切な関係にあるとは思っていない。だが、二人きりになったのは軽率だった。それだけは厳しく注意しておく」

「はい、申し訳ありません」

 ルーカスとマーガレットが声を揃えて頭を下げる。

「それで……二人きりで、何を話していた?」

「お兄様、実は——」

 マーガレットは、ルーカスを襲撃したのがミハエルであること、そして証拠がないため訴えることができないと説明した。

 サミュエルは、先ほどのミハエルの言動が常軌を逸していたこともあり、すぐにその話を信じた。

 ルーカスは、あのときミハエルに言われた数々の言葉を飲み込んだまま、黙って二人のやり取りを見守っていた。
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