【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない

とっくり

文字の大きさ
31 / 55

31

しおりを挟む
 「お待たせ」

 澄んだ声とともに店のドアが開き、視線が一斉にそちらへ向いた。

 店の入口に立っていたのは、艶やかな金髪をひとつに束ね、シンプルながらも仕立ての良さが際立つネイビーのワンピースをまとった女性――劇場の看板女優、ビアンカだった。

 光沢のあるヒールが床を鳴らし、姿勢の良さと余裕のある佇まいが、場の空気をすっと引き締める。美しいというより、「完成された存在」。そんな印象を与える彼女は、エリオットの隣に立つと、アナベルたちのテーブルに目をやった。

 そのまま一瞬、視線を止める。けれど、笑顔の奥にあるその目はどこか冷ややかで、感情の温度が読み取れない。

「まあ……珍しい組み合わせね」

 声に刺はない。けれどその言葉がテーブルの上に、目に見えない境界線を引いたように感じられた。

「たまたま偶然、会ったんだ」

 エリオットはいつも通りの穏やかな笑みで応じたが、アナベルにはどこか、空気がわずかに張りつめたように感じられた。

 ビアンカはエリオットの腕時計をちらりと見て、小さく息を吐いた。

「時間がないわ。行きましょう、エリオット」

「ああ。じゃあ、またね」

 エリオットはアナベルたちに手を軽く振った。そして、ビアンカと並んでカフェを出ていく。ドアの鈴がチリンと鳴り、ふたりの姿が通りへと消えていった。

 その後ろ姿を、アナベルはぼんやりと見送っていた。

 息をひとつ、吸い込む。

 胸の奥に、小さく鈍い痛みが生まれる。鋭いわけではない。ただ、じわりと滲むように――その場に立ち尽くす彼女の中に、静かに広がっていく。

(……やっぱり、お似合い)

 並んで歩く二人の姿が、あまりに自然だったから。そこには、自分が入り込めない世界があるように思えた。

「なによ看板女優なんて。うちのアナベルの方が、よっぽど魅力的よ!」

 カロリーヌの明るい声が、気を取り直すように響いた。彼女なりの励ましなのだろう。だがアナベルは、うまく笑うことができなかった。

 そんな中、悪気なく、空気を読まずに放たれた声が響く。

「いやあ、お似合いだよね、あの二人。恋人同士って噂、本当だったのか~」

 ――バキッ。

「ぐっ……骨がやられたかもっ……!」

 鈍い音とともに、セルジュの顔が苦痛に歪む。カロリーヌに思いきり足を踏みつけられたのだ。しかも、正確に急所を狙った一撃。

「デリカシーのない人間ね! よくもまあ、文筆業がやれているわ!」

「カロリーヌさん、やりすぎです! セルジュさん、大丈夫ですか!?」

 アナベルは慌てて席を立ち、セルジュの様子をのぞき込む。目尻にはまだ淡く痛みが残っていたけれど、それでも――その喧騒に、少しだけ心がほぐれていくのを感じた。

 たとえ今は届かない場所があったとしても。

 こうして笑ったり、言い合ったり、誰かと時間を分かち合っているかぎり。

 この胸の痛みも、いつか少しずつ、静かに癒えていくのかもしれない。

 そんな気がした。




 カフェを出た三人は、夕暮れの町を歩いていた。

 街灯がひとつ、またひとつと灯り始め、夏の終わりを告げる風が、通りの木々を揺らしている。

「ほら、アナベル。これ持って」

 カロリーヌが、果物の詰まった紙袋を手渡した。アナベルは反射的に受け取り、遅れて反応する。

「あっ……すみません。ぼーっとしてて……」

「アナベル?気が抜けてるわよ。あんなのよ!気にしないの」

「……はい」

 わかってる。わかってるけど――と、アナベルは心の中で繰り返した。

 それでも、ビアンカとエリオットの並んだ姿が、どうしても頭から離れない。

 そのとき、隣でセルジュがぽつりと口を開いた。

「……それにしても、ビアンカってやっぱりすごいよな。あの場の空気、一瞬で持っていった。根っからの女優って感じだったよ。演技じゃなくて、あれが“素”だからこそ、ちょっと怖いけど」

「そうかしら? ふん、私は鼻持ちならないタイプの女優だと思うけど?」

 カロリーヌがそう言いながら、セルジュの腕を軽くどつく。

「でもまあ、いい刺激にはなったかもしれないわね」

「刺激……?」

「そう。“恋”のライバルが現れるってのは、物語としても現実としても、盛り上がるサインよ」

 カロリーヌがいたずらっぽくウィンクを送る。

「カ、カロリーヌさん! こ、恋なんて、そんな……違いますから!!」

 アナベルは顔を真っ赤にして慌てて反論した。カロリーヌはニヤニヤと笑いながら言葉を継ぐ。

「ふふ、そうね。恋じゃないのよね? そういうことにしておきましょうか」

「ほら、カロリーヌさん。アナベルが否定してるんだから。アナベル、違いますよね?」

 セルジュも慌ててフォローを入れる。

「は、はいっ! 違いますっ。ただの……憧れです!!」

 しどろもどろになりながら答える自分を、アナベルは心の中で恥ずかしく思った。

――そう。これは憧れ。きっと、それ以上じゃない。

……そう言い聞かせるように、アナベルは小さくうつむいた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

【完結】あなたの瞳に映るのは

今川みらい
恋愛
命を救える筈の友を、俺は無慈悲に見捨てた。 全てはあなたを手に入れるために。 長年の片想いが、ティアラの婚約破棄をきっかけに動き出す。 ★完結保証★ 全19話執筆済み。4万字程度です。 前半がティアラside、後半がアイラスsideになります。 表紙画像は作中で登場するサンブリテニアです。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

いきなり結婚しろと言われても、相手は7才の王子だなんて冗談はよしてください

シンさん
恋愛
金貸しから追われる、靴職人のドロシー。 ある日突然、7才のアイザック王子にプロポーズされたんだけど、本当は20才の王太子様…。 こんな事になったのは、王家に伝わる魔術の7つ道具の1つ『子供に戻る靴』を履いてしまったから。 …何でそんな靴を履いたのか、本人でさえわからない。けど王太子が靴を履いた事には理由があった。 子供になってしまった20才の王太子と、靴職人ドロシーの恋愛ストーリー ストーリーは完結していますので、毎日更新です。 表紙はぷりりん様に描いていただきました(゜▽゜*)

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

私達、婚約破棄しましょう

アリス
恋愛
余命宣告を受けたエニシダは最後は自由に生きようと婚約破棄をすることを決意する。 婚約者には愛する人がいる。 彼女との幸せを願い、エニシダは残りの人生は旅をしようと家を出る。 婚約者からも家族からも愛されない彼女は最後くらい好きに生きたかった。 だが、なぜか婚約者は彼女を追いかけ……

処理中です...