【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない

とっくり

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 時が経ちーー

 アナベルが劇場で働き始めてから、もうすぐ丸二年の歳月が過ぎていた。

 当時十六歳だった少女は、今では十八の春を迎えようとしていた。
 
 住まいはあの頃と変わらず、カロリーヌが経営する、賑やかな下宿。陽気な住人たちと共に過ごす日々は、騒がしくもあたたかく、アナベルにとって何よりの居場所だった。

 仕事も順調だった。たまに台詞セリフの訳し間違いで叱られることはあるものの、それでも、今の生活に不満はない。

 とくに誇らしい思い出として胸に残っているのが、二年前のルクリト公演だ。

 隣国・ルクリトでの舞台は、大盛況のうちに幕を閉じた。
 エリオットやビアンカの演技が称賛を浴びる中、アナベルの翻訳もまた大きな評価を得た。

 あの舞台以降、劇団は毎年ルクリトで公演を行うようになり、アナベルの名も少しずつ知られるようになった。

 あるとき、ルクリトの劇場から「ルクリトの専属翻訳家として迎えたい」との正式な申し出が届いた。今度はフェイナルト語への翻訳を依頼したいという話だった。

 しかし、アナベルは首を縦に振ることができなかった。

 まだこの国を離れる覚悟はなかったし、何より、カロリーヌ、セルジュ、ポール爺、リバー所長、ハンナ――そして、エリオットと離れたくなかった。

「せっかくのチャンスだったのに」
 とカロリーヌは肩をすくめたけれど、それでもアナベルは、自分の選択に後悔はなかった。


***


 エリオットとは、気がつけばすっかり打ち解けていた。

 劇場でも、劇場外でも、自然と言葉を交わす関係になっていた。

「妹がいたら、きっとこんな感じなのかな」
 
 と、以前に彼が笑いながら言ったことがある。その言葉に、胸がちくりと痛んだのは、もうずいぶん前のことだ。

 気づいてしまった。自分は彼に恋をしているのだと。

 でも、彼にはビアンカという恋人がいる――アナベルはそう信じていた。

 だからこの気持ちは、胸にそっとしまっておく。片思いでじゅうぶん。彼と時々、他愛のない会話ができるだけで嬉しかった。


***


 アナベルの十八歳の誕生日には、たくさんの人が集まってくれた。

 下宿の居間は笑い声にあふれ、テーブルの上にはカロリーヌ特製の豪華な料理が所狭しと並んでいた。
 リバー所長とハンナも駆けつけてくれて、誰もが口々に「おめでとう」と声をかけてくれる。

 リバーからは上質な筆記用具、ハンナからは清楚な髪飾り。
 セルジュは新刊の翻訳辞書を、メルキオールは観葉植物、ポール爺はアンティークのチェス盤。
 カロリーヌからは――意外にも、落ち着いたデザインの素敵なワンピースが贈られた。

「十八歳といえば、立派なレディ。今日からは大人の仲間入りよ!」と、カロリーヌが満面の笑みで言ったとき、下宿中から歓声が上がった。

 去年の誕生日も幸せだったけれど、今年はそれを上回るほどの、最高の一日だった。


 その数日後。

 劇場の廊下で、エリオットがふと足を止めた。

「……あれ? アナベル?」

 舞台資料を抱えたアナベルの姿に、彼は目を瞬かせた。

「どうしたんだい、その格好。いつもと雰囲気が違うね」

「あ……これですか?カロリーヌさんから誕生日プレゼントに、いただいたんです」

 エリオットの表情が少し変わった。

「え? 誕生日だったの?」

「はい。下宿で、お祝いしていただきました。とても楽しい、お誕生日会を開いてもらえました」

 アナベルは満面の笑みを浮かべて語る。

 エリオットは、なぜその場に自分がいなかったのか、不思議な気持ちになっていた。

「……僕も、呼んでほしかったな。アナベルの誕生日会」

「えっ……そ、そんな!お忙しいエリオットさんに来ていただくなんて。とんでもないです!お気持ちだけ、ありがたくいただきます」

 顔を真っ赤にして慌てるアナベルに、思わず笑みがこぼれる。

「で、何歳になったの?」

「十八です!これで私も、“大人”の仲間入り、です!ふふふ」

 得意げに胸を張るアナベルに、エリオットの頬がゆるんだ。

(可愛いな)

 すぐに、これは妹のような可愛さだと言い聞かせる。自分は末っ子だから、こんな感覚なのだと。

 だけど――ワンピースをまとい、髪をゆるく結い上げた彼女は、明らかに少女から“女性”へと変わろうとしていた。

 その姿に、ふと胸の奥がざわつく。
 それがなんなのか、まだ彼は知らない。

「来年こそは、アナベルの誕生日会に呼んでほしいな」

 エリオットが少し拗ねたような口調で話す。そんな仕草が可愛いと思ってしまったアナベルは、ぱっと笑顔を見せた。

「では、エリオットさん、来年はぜひ!お声がけしますね」

「うん。約束だよ」

 そう言って微笑み合うふたり。

 ――その様子を、劇場の柱の陰からじっと見つめる視線があった。

 艶やかな金髪を揺らす、劇場の看板女優・ビアンカ。

 その蒼い瞳は、ふたりの距離を、静かに計るように光っていた。
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