【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない

とっくり

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 ――王都・ウェルズ劇場、裏口前。

 夜気は冷たく、白い吐息がすぐに溶けていく。調査員グレイヴスは街灯の影に身を潜め、片手に手帳を握りしめながら、劇場の様子をじっと窺っていた。

(さて……セラフィナ嬢の話じゃ、妹は“男を誑かす悪女”ってことらしいが……)

 やがて現れたのは、両腕いっぱいに台本や書物を抱えて小走りにやってくる若い女性――アナベル。

 華やかで整った容姿ではあるが、長い金髪はきちんとまとめられ、服装も地味なパンツスタイル。顔には浮ついた様子はなく、背筋を伸ばし、重そうなルクリト語辞典まで抱え込んで足早に進む姿は、むしろ几帳面で真面目そうにすら見える。

(……どう見ても、堅物のお嬢さんだよなぁ)

 グレイヴスは無精髭を撫でつつ、尾行を開始する。

 ――が、次の瞬間。

「おっと……!」

 路地の段差に足を取られ、勢いよく脛を塵箱にぶつけた。ガンッ!と派手な音が響き、アナベルが振り返る。
 慌てた彼は背中を丸め、近くの新聞をひったくって立ち読みを装った。

(……あっぶねぇ。俺、探偵というより泥棒猫みてぇだ)

 アナベルは気に留める様子もなく歩みを再開。グレイヴスも距離を取り直して後を追う。
 だが、通りに漂う焼き栗屋台の香ばしい匂いに、ついふらふらと足が止まり……気づけば一袋買ってしまっていた。

(腹が減っては尾行はできぬ……ってな)

 栗を頬張りながら視線を戻した時――

「……あれ? いねぇ」

 ほんの三十秒目を離した隙に、アナベルの姿は人混みに消えていた。

「チッ……」

 栗袋をポケットに突っ込み、慌てて劇場の周囲を回る。
 ようやく視界に捉えた時、アナベルは劇場の玄関前に立っていた。そこには泣いている小さな女の子がいて、彼女はその頭をやさしく撫で、しゃがみこんで宥めながら、手を取って劇場の中へと導いていくところだった。

(……おかしいな。悪女っていうより、立派なお姉さんにしか見えねぇぞ)

 思わず栗を口の中で転がしながら、グレイヴスは小さく鼻を鳴らした。

(こりゃあ……依頼人の見立てと実態、ずいぶん食い違ってやがる)

 だが、セラフィナからは前金をがっぽり受け取っている。依頼は依頼だ。

(まあいい。俺の役目は事実を記録するだけだ。依頼人が勝手に曲解するなら、それはそれで都合がいい)

 そう割り切ると、栗をもう一つ口に放り込み、グレイヴスは再び暗がりに身を沈めた。

***

 数日後。
 モンタヴィル家・執務室。

 グレイヴスは、分厚い革表紙の調査報告書を机に置いた。

 セラフィナはペンを置き、期待に満ちた瞳で身を乗り出す。

「……で、妹はどうだったの?」

 グレイヴスは、報告書のページを淡々とめくりながら読み上げる。

「まず、一日目。劇場の楽屋裏で、若い男性俳優と二人きりで談笑している姿を確認」
「……っ!」
「お昼休憩には、背の高いそばかす男性と近隣のパン屋に買い出しを一緒に行っていました」
「まぁっ!二人きりで!」
 セラフィナの眉がピクリと動く。

「二日目。公演終わりに、イケメン男性俳優と裏口から出て、夜道を並んで歩くのを目撃。これは一日目と同一人物です」
「やはり……!」
 机の上で指先が小さく震える。

「三日目。劇場近くの屋台で、男性が買った焼き栗を一つもらって食べていた」
「……人前で、口に……!!」
 セラフィナは顔を赤くし、手で口元を覆った。

 グレイヴスは咳払いして、事実だけを補足する。
「ええ、まあ。ちなみに一日目は台本の読み合わせ、二日目は道中で一緒に帰宅、三日目は屋台のおじさんが“試食どうぞ”と声を掛けてくれたものです」

 セラフィナは聞いていない。いや、聞こえてはいるが、脳内で勝手に変換されていた。

(台本の読み合わせ=口説き文句のやりとり……並んで歩く=逢瀬……焼き栗=愛情の供与……!)

「……十分よ。証拠は揃ったわ」
 彼女は椅子から立ち上がり、目を輝かせた。

 グレイヴスは内心で首をかしげた。
(揃ったか……? まあ、金は払ってくれるだろうし、いいか)

「四日目――午後三時十五分、ウェルズ劇場前。対象(アナベル)、三名と待ち合わせ」

 セラフィナが身を乗り出す。
「三名とは?」
「中年女性一名(ハンナ)、おそらく?中年女性一名(カロリーヌ)および中年男性一名(リバー)」
 彼は淡々と続けた。

「ハンナ氏、リバー氏は、ウェルズ劇場近くの職業斡旋所の者です。カロリーヌ氏は、対象者の下宿先の家主です」
「……職業斡旋所??」
「ウェルズ劇場の総支配人である、ギルバート・ウェルズの弟、リバー・ウェルズが経営している斡旋所です」
「まぁ!そこ、繋がっているのね」

 セラフィナは、したり顔で頷く。グレイヴスは報告を続ける。

「待ち合わせ直後、女性二名が近くの焼き芋屋台に吸い寄せられ、列に並ぶ。残されたのは対象と男性一名」

 セラフィナの瞳が細くなる。
「……二人きりになったのね」

「はい。そこで突風が吹き、男性の髪が――まあ元から整っていませんが――さらに乱れました。同時に枯葉が飛来し、男性の目に入り、本人が瓶底眼鏡を外して目をこすり始める」

 グレイヴスは、紙をめくりながら事実だけを述べる。
「対象は慌てて男性の腕をつかみ、“擦らない方がいい”と制止し、自身の所持していた目薬を手渡す。男性は礼を述べ、点眼の姿勢へ。その際、髪に枯葉が数枚引っ掛かっていたため、対象はそれを取り除く動作を行った」

 セラフィナの筆が走る。

(……突風を口実に接近。目薬を渡し、さらに髪へ触れる――完全に男を手懐ける仕草!)

 グレイヴスは何食わぬ顔で付け加えた。

「ちなみに、その男性は眼鏡を外すと、ギルバート氏にそっくりの、ナイスミドル!ボサボサ頭と無精髭と瓶底眼鏡さえ、無ければ……」

 だが、その説明はセラフィナの脳内で華麗に変換された。

(普段は容姿をひた隠しにする権力や人脈を持つ年上男性を懐柔……アナベル、やはり計算高い……!)

 グレイヴスは肩をすくめて報告書を閉じた。

「以上が四日目の記録です」
「……上出来だわ」

 机の上で報告書を撫でるセラフィナの顔は、勝利を確信した将軍のように輝いていた。

(あと少し……あと一押しで劇場から追い出せる)

 グレイヴスは湯飲みの茶をすすりながら思う。

(俺は事実しか言ってないんだがなぁ……)


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