【完結】綺麗なだけじゃ、生きていけない

とっくり

文字の大きさ
4 / 55

4

しおりを挟む
 夜会からの帰路、モンタヴィル家の馬車には、沈黙と、ひどくちぐはぐな空気が流れていた。

 座席の片側にはアナベルとセラフィナ、もう一方に母と侍女のマリーが並ぶ。馬車の窓の外では街灯の明かりが流れ、揺れるたびに車内にかすかな影を落としていく。

 セラフィナは黙ったまま、窓の外に視線を固定したままだった。その横顔はどこか青ざめ、手は膝の上でかすかに震えていた。

 けれど、母はそれにまったく気づく様子もなく、興奮気味に口を開く。

「アナベルったら、まるで舞踏会の花だったわ!あの鮮やかな赤いドレスがこれほど似合うなんて、まさに奇跡よ。どの婦人も見惚れていたわ!ねえ、マリー?」

「ええ、本当に。まるで舞台に咲いた一輪の薔薇のようでしたわ、お嬢様は。華やかで、大層、美しく、しかも気さくでお優しい……皆様が目を奪われるのも当然でございます」

 マリーが調子を合わせるように頷くと、母は満足げに頷き、さらに乗せるように言葉を継いだ。

「そうなのよ。謙虚なところも、また良いのよ。あの場であれだけ注目されても、浮かれる様子ひとつない。まったく、うちのアナベルはなんて奥ゆかしいのかしら!」

「お母様……」

 アナベルは、視線を伏せて小さくかぶりを振った。
 ──お姉様の前で、何をそんなに持ち上げるの。

 ちらりと横を見ると、セラフィナの瞳は相変わらず窓の外に向けられたまま、まるで何も聞いていないかのように無表情な上に顔色が悪かった。

「お姉様……お加減が悪いのでは?」

 恐る恐る声をかけると、セラフィナがゆっくりとこちらを向く。その瞳は冷たいほどに澄みきっていて、けれど、ひどく乾いていた。

「身体は……元気よ。ただ、少し、ね」

 それだけを呟くと、再び黙り込んでしまった。

 



 屋敷に戻ると、セラフィナはすぐに階段を上がり、自室に戻ろうとした。

「お姉様、待って!」

 アナベルはスカートを持ち上げて姉の背を追い、廊下の途中で呼び止めた。

「お姉様、本当に、どこか調子が──」

 その瞬間、セラフィナがくるりと振り返り、まるで堰を切ったように怒りをぶつけてきた。

「……今日は、自分が主人公のつもりだったんでしょう? あんな派手なドレスを着て、皆の視線を一身に集めて、気持ちよかった? 満足?」

「え……?」

「はしたないにもほどがあるわ!まるで街の娼婦じゃない。あんな赤、貴族の娘が着る色じゃないわ!見苦しい!それでも“モンタヴィル家の娘”だっていうの? 恥を知りなさい!」

 怒声が廊下に響いた。

 アナベルは目を見開き、呆然と立ち尽くす。セラフィナは目を血走らせ、なおも続ける。

「どうやってルシアンを籠絡したの? まさか……身体を使ったんじゃないでしょうね!」

「な……!」

 アナベルの顔から血の気が引いた。

 呼吸ができない。酸素が喉に届かず、胸が痛くて、声が出ない。

 セラフィナの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。それでも、言葉の棘は止まらなかった。

「見たわよ……あの廊下で……あの人の告白。……全部聞こえてたの。ずっと好きだったですって? あの人は、私の婚約者よ……っ!」

「……っ!」

 姉の心が、ここまで傷ついていたとは知らなかった。

 言葉よりも、怒りよりも、アナベルの胸を締めつけたのは、セラフィナの苦しみだった。

 そのとき──。

「いい加減にしなさい!」

 怒号と共に、セラフィナの頬に鋭い音が響いた。

 駆けつけた父が、その場で彼女を平手打ちしたのだった。

「お前は、心まで醜いのか!」

 セラフィナは一瞬、呆然とし、そのまま動けずにいた。

「お父様、やめてっ!」

 アナベルは慌てて父の腕を掴み、目に涙を浮かべて叫ぶ。

「お願い、お姉様を責めないで。お姉様は悪くないっ!」

「アナベル……」

 そこへ母もやって来て、娘をぎゅっと抱きしめた。

「こんな時にまで姉を庇うなんて……なんて健気なの。あなたって子は……」

 母の手は優しかった。声も、抱きしめる腕も。

 けれど、その優しさが、どこかぞっとするほど冷たく思えた。

 




 セラフィナには「謹慎」が命じられ、使用人にも口止めが下された。

 アナベルは夜が明けるのを待たず、父の執務室に足を運ぶ。

「お願いです。お姉様の謹慎を解いてください。……お姉様が怒ったのには、理由があるんです」

 アナベルは真実を打ち明けた。
 ──ルシアンから告白されたこと。
 ──それを姉が見ていたということ。

 父と母は一瞬、顔を見合わせた。

 そして──

「ならば、ルシアンとアナベルが結婚すればいい話だ。アナベルを後継者にすれば、すべて丸く収まるじゃないか!」

 父の声には喜びすらにじんでいた。

「お前ほど皆に好かれる娘はいない。後継者には最適だ。心配するな、ルシアンが支えてくれる」

「……そんな……」

 アナベルは声を失った。

「わたしは……後継者なんて無理です。教育だって何も受けていませんし、この家を継ぐ器じゃ……」

「謙虚だな、そこも良いところだよ」

「そうそう、セラフィナより、ずっと美しくて、優しいんだもの。ふさわしいわ」

 両親はまるで夢を見るように笑っていた。

 その笑顔が、かつては愛しくて、世界で一番信じられるものだった。
 けれど今、アナベルは背筋を冷たいものが這いのぼるのを感じた。

(お姉様は……こんな理不尽な中で、ずっと……)

 胸が押し潰されそうになった。

「……婚約も、後継者も、絶対に受けません」
 アナベルはそう言い残し、ドアを開け放って部屋を飛び出した。

 



 翌朝、両親は領地に向かうため、屋敷を発った。

 馬車の見送りに立つアナベルは、作り笑いを浮かべながら、二人の姿が角を曲がるまで見送っていた。

 やがて馬車の音が遠ざかり、静けさだけがその場に残った。
 ――それが、生きて顔を合わせる最後の別れになるとは、このときのアナベルには、知る由もなかった。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

いきなり結婚しろと言われても、相手は7才の王子だなんて冗談はよしてください

シンさん
恋愛
金貸しから追われる、靴職人のドロシー。 ある日突然、7才のアイザック王子にプロポーズされたんだけど、本当は20才の王太子様…。 こんな事になったのは、王家に伝わる魔術の7つ道具の1つ『子供に戻る靴』を履いてしまったから。 …何でそんな靴を履いたのか、本人でさえわからない。けど王太子が靴を履いた事には理由があった。 子供になってしまった20才の王太子と、靴職人ドロシーの恋愛ストーリー ストーリーは完結していますので、毎日更新です。 表紙はぷりりん様に描いていただきました(゜▽゜*)

【完結】あなたの瞳に映るのは

今川みらい
恋愛
命を救える筈の友を、俺は無慈悲に見捨てた。 全てはあなたを手に入れるために。 長年の片想いが、ティアラの婚約破棄をきっかけに動き出す。 ★完結保証★ 全19話執筆済み。4万字程度です。 前半がティアラside、後半がアイラスsideになります。 表紙画像は作中で登場するサンブリテニアです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

ローザリンデの第二の人生

梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。 彼には今はもういない想い人がいた。 私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。 けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。 あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。 吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。 ※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。) 1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。

【完結】大好きなあなたのために…?

月樹《つき》
恋愛
私には子供の頃から仲の良い大好きな幼馴染がいた。 2人でよく読んだ冒険のお話の中では、最後に魔物を倒し立派な騎士となった男の子と、それを支えてきた聖女の女の子が結ばれる。 『俺もこの物語の主人公みたいに立派な騎士になるから』と言って、真っ赤な顔で花畑で摘んだ花束をくれた彼。あの時から彼を信じて支えてきたのに… いつの間にか彼の隣には、お姫様のように可憐な女の子がいた…。

処理中です...