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両親が領地へ出立してから三日後、知らせは唐突に屋敷へもたらされた。
領地に繋がるシリット街道。その途中、崖沿いの曲がりくねった山道で──馬車は突然、制御を失い、がたん、と音を立てて道を外れ、もろい地盤ごと谷底へと転落した。
目撃者も救助も間に合わず、馬車は岩壁に叩きつけられて粉々になり、乗っていたふたり──アナベルの父と母は、即死だったという。
訃報が屋敷に届いたのは、灰色の雲が空を覆う午後のことだった。
報せを聞いた瞬間、アナベルの脚から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「嘘……そんな……うそ……」
耳にした言葉の意味が理解できず、ただ唇が小さく震える。目の前が真っ白になり、息すらできなかった。
「お父様と……お母様が……?」
夢だと思いたかった。いや、夢に違いないと何度も心の中で繰り返した。
「うそ……こんなの……」
涙が頬をつたい、次から次へとあふれ出す。嗚咽がこみ上げ、声にさえならなかった。
両親の最期を想像することさえできない。ただ、そこにいたはずの温かな存在が、この世から忽然と消えてしまったという事実だけが、心に突き刺さっていた。
彼女は泣きながら、震える手で胸元を握り締めていた。母が、父が、あの朝、優しく手を振っていた姿が最後だったなんて。
一方、セラフィナは驚くほど冷静だった。淡々と必要な手続きをこなし、葬儀の準備を進めていった。
館には弔問客が集まり、静寂と嘆きの空気が満ちていた。
アナベルは参列者の視線を感じながらも、視界の端にある一人の存在を意識していた。
──ルシアン。
彼も、葬儀に参列していた。喪服に身を包み、悲しげな面持ちで祭壇の前に立つ姿は、他の誰よりも静かで、真剣だった。
だが、アナベルは彼の姿を一度も正面から見ようとしなかった。
あの告白をされて以来──彼女はルシアンを徹底的に避けていた。声をかけられそうになればすぐにその場を離れ、姿を見かければ視線を逸らした。
すべては、あの告白など「なかったこと」にするため。
忘れたい、というよりも、思い出したくなかった。姉との関係も、姉の感情も、自分の心すらも、何もかもが絡まり合って、見るのも、話すのも、怖かったのだ。
ルシアンも、そんなアナベルの態度に気づいていたのだろう。無理に話しかけようとはせず、遠くからただ見守るように立っていた。
その少し先──祭壇の前に立つのは、セラフィナだった。
深く頭を垂れ、唇をきゅっと引き結んだ彼女の姿は、誰から見ても気丈に振る舞う立派な令嬢に映った。
沈痛な面持ちのまま、涙一つこぼさずに式を取り仕切るその姿に、参列者たちは「さすがはモンタヴィル家の後継者」と囁き合い、静かに頷いた。
その夜、葬儀が滞りなく終わり、館が少し落ち着いたころ。
アナベルは、長い喪服の裾を引きずりながら姉の部屋を訪ねた。
扉の前で一呼吸おき、そっとノックする。
「……入って」
中から聞こえた声に応じて扉を開くと、セラフィナは窓辺に立ち、外の庭を見下ろしていた。
「お姉様……葬儀、取り仕切ってくださってありがとうございました」
アナベルはそう言い、深々と頭を下げた。
「きっと、お母様もお父様も、感謝してると思います……」
セラフィナは答えなかった。ただ、少し首を傾け、空を見上げたまま。
「……大丈夫ですか? その……悲しみを我慢しているのではないかと……」
そう問いかけた瞬間だった。
「あはははははっ!」
甲高く、突き刺すような笑い声が部屋に響いた。
アナベルは凍りつく。
「……せいせいしたわ、ほんとに」
セラフィナは振り返り、いつもの冷静な面差しではなかった。口元には笑み、だがその瞳には底知れぬ影が宿っていた。
「死んでくれて、心から嬉しい。これでもう、私の人生を好き勝手に支配する人間はいない」
「……お姉様?」
「“悲しみ”? いいえ。私には“喜び”の方が大きいのよ。これでようやく……“私の人生”が始まるのだから」
「……“私の人生”? それってどういう――」
「まずはね、あなたを追い出すわ。この家からも、学園からも。いい加減、目障りなのよ」
「……え……?」
「顔だけが取り柄で、頭の悪い、アナベル。可愛い可愛いって言われて、ちやほやされて、本当に滑稽だった。中身はからっぽ、媚びることしかできないくせに」
セラフィナはゆっくりと歩み寄ってきた。その一歩一歩が、アナベルの胸を締めつける。
「ふふっ……いっそのこと、娼婦にでもなったら? 中身のない飾り人形としては、それがお似合いでしょう? 微笑んでさえいれば、男たちは簡単に騙されるのだから。ルシアンのように――得意でしょう、そういう“誘い方”。」
「……っ」
「そんな目で男を見上げて……よくもまあ、飽きもせず、純真なふりが上手ね。虫唾が走るわ。いつも、あなたを見ていて気分が悪くなっていたの。――下品で、穢らわしいアナベル」
アナベルは震えながら、一歩後ずさった。言葉が出ない。声も、息も、涙も。
──こんなにも、姉に憎まれていたなんて。
今まで気づかなかった。いや、気づこうとしてこなかったのかもしれない。
目の前の姉は、知っている姉ではなかった。だが、それが──きっと本当の姉、セラフィナなのだ。
何も言えないまま、アナベルはただ呆然と、立ち尽くすばかりだった。
領地に繋がるシリット街道。その途中、崖沿いの曲がりくねった山道で──馬車は突然、制御を失い、がたん、と音を立てて道を外れ、もろい地盤ごと谷底へと転落した。
目撃者も救助も間に合わず、馬車は岩壁に叩きつけられて粉々になり、乗っていたふたり──アナベルの父と母は、即死だったという。
訃報が屋敷に届いたのは、灰色の雲が空を覆う午後のことだった。
報せを聞いた瞬間、アナベルの脚から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「嘘……そんな……うそ……」
耳にした言葉の意味が理解できず、ただ唇が小さく震える。目の前が真っ白になり、息すらできなかった。
「お父様と……お母様が……?」
夢だと思いたかった。いや、夢に違いないと何度も心の中で繰り返した。
「うそ……こんなの……」
涙が頬をつたい、次から次へとあふれ出す。嗚咽がこみ上げ、声にさえならなかった。
両親の最期を想像することさえできない。ただ、そこにいたはずの温かな存在が、この世から忽然と消えてしまったという事実だけが、心に突き刺さっていた。
彼女は泣きながら、震える手で胸元を握り締めていた。母が、父が、あの朝、優しく手を振っていた姿が最後だったなんて。
一方、セラフィナは驚くほど冷静だった。淡々と必要な手続きをこなし、葬儀の準備を進めていった。
館には弔問客が集まり、静寂と嘆きの空気が満ちていた。
アナベルは参列者の視線を感じながらも、視界の端にある一人の存在を意識していた。
──ルシアン。
彼も、葬儀に参列していた。喪服に身を包み、悲しげな面持ちで祭壇の前に立つ姿は、他の誰よりも静かで、真剣だった。
だが、アナベルは彼の姿を一度も正面から見ようとしなかった。
あの告白をされて以来──彼女はルシアンを徹底的に避けていた。声をかけられそうになればすぐにその場を離れ、姿を見かければ視線を逸らした。
すべては、あの告白など「なかったこと」にするため。
忘れたい、というよりも、思い出したくなかった。姉との関係も、姉の感情も、自分の心すらも、何もかもが絡まり合って、見るのも、話すのも、怖かったのだ。
ルシアンも、そんなアナベルの態度に気づいていたのだろう。無理に話しかけようとはせず、遠くからただ見守るように立っていた。
その少し先──祭壇の前に立つのは、セラフィナだった。
深く頭を垂れ、唇をきゅっと引き結んだ彼女の姿は、誰から見ても気丈に振る舞う立派な令嬢に映った。
沈痛な面持ちのまま、涙一つこぼさずに式を取り仕切るその姿に、参列者たちは「さすがはモンタヴィル家の後継者」と囁き合い、静かに頷いた。
その夜、葬儀が滞りなく終わり、館が少し落ち着いたころ。
アナベルは、長い喪服の裾を引きずりながら姉の部屋を訪ねた。
扉の前で一呼吸おき、そっとノックする。
「……入って」
中から聞こえた声に応じて扉を開くと、セラフィナは窓辺に立ち、外の庭を見下ろしていた。
「お姉様……葬儀、取り仕切ってくださってありがとうございました」
アナベルはそう言い、深々と頭を下げた。
「きっと、お母様もお父様も、感謝してると思います……」
セラフィナは答えなかった。ただ、少し首を傾け、空を見上げたまま。
「……大丈夫ですか? その……悲しみを我慢しているのではないかと……」
そう問いかけた瞬間だった。
「あはははははっ!」
甲高く、突き刺すような笑い声が部屋に響いた。
アナベルは凍りつく。
「……せいせいしたわ、ほんとに」
セラフィナは振り返り、いつもの冷静な面差しではなかった。口元には笑み、だがその瞳には底知れぬ影が宿っていた。
「死んでくれて、心から嬉しい。これでもう、私の人生を好き勝手に支配する人間はいない」
「……お姉様?」
「“悲しみ”? いいえ。私には“喜び”の方が大きいのよ。これでようやく……“私の人生”が始まるのだから」
「……“私の人生”? それってどういう――」
「まずはね、あなたを追い出すわ。この家からも、学園からも。いい加減、目障りなのよ」
「……え……?」
「顔だけが取り柄で、頭の悪い、アナベル。可愛い可愛いって言われて、ちやほやされて、本当に滑稽だった。中身はからっぽ、媚びることしかできないくせに」
セラフィナはゆっくりと歩み寄ってきた。その一歩一歩が、アナベルの胸を締めつける。
「ふふっ……いっそのこと、娼婦にでもなったら? 中身のない飾り人形としては、それがお似合いでしょう? 微笑んでさえいれば、男たちは簡単に騙されるのだから。ルシアンのように――得意でしょう、そういう“誘い方”。」
「……っ」
「そんな目で男を見上げて……よくもまあ、飽きもせず、純真なふりが上手ね。虫唾が走るわ。いつも、あなたを見ていて気分が悪くなっていたの。――下品で、穢らわしいアナベル」
アナベルは震えながら、一歩後ずさった。言葉が出ない。声も、息も、涙も。
──こんなにも、姉に憎まれていたなんて。
今まで気づかなかった。いや、気づこうとしてこなかったのかもしれない。
目の前の姉は、知っている姉ではなかった。だが、それが──きっと本当の姉、セラフィナなのだ。
何も言えないまま、アナベルはただ呆然と、立ち尽くすばかりだった。
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