【完結】不可解な君に恋して

とっくり

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 カタリナは、深いため息をついた。
今日は、自分の二十歳の誕生日だった。

 誰も祝ってくれない。両親はなぜか、この日を狙ったかのように旅行へ出かけ、不在。

 祝いの言葉をくれる姉妹もいない。カタリナは一人娘だった。

 学園時代に仲の良かった友人たちは、すでに所帯を持ち、子を抱く者までいる。

まだ独り身のカタリナにとって、彼女たちと顔を合わせるには、少なからず覚悟が必要だった。

会えば必ず、揃って同じことを口にするだろう。

――「あのは、どうしたの?」

「本当に、婚約者は、どうしたものかしら……」

 ぽつりと漏らした言葉は、誰に届くでもなく消えていく。

 肘をつき、窓の外を眺める。
 祖父母が健在だったなら、肘をつく姿なんて見られたら、厳しく叱責され、食事を抜かれただろう。

 澄み渡る青空の下、街は穏やかな昼を過ごしている。だが、カタリナの心はその空とは裏腹に、重く曇っていた。

 彼女には婚約者が
いや、もう「」と過去形で呼ぶべきかもしれない。

 二年前から音信不通の男――リュミエール・シュタイン。

 サラサラと風に流れる金髪は、陽の光を受けるたびに淡くきらめき、まるで金糸を紡いだかのように繊細だった。

 長い睫毛の下にのぞく碧眼は、深い湖を思わせる澄んだ色合いでありながら、時に冷ややかに、また時に底知れぬ優しさを宿す。

 高く通った鼻梁と、笑うたびに柔らかく形を変える唇。整った顔立ちは、絵画の肖像を思わせるほど整然としているのに、どこか人ならざる儚さを漂わせていた。

 背はすらりと高く、纏う衣服の仕立ては簡素であっても、彼の立ち居振る舞いひとつで気品を帯びる。

 やわらかい物腰と、何気ない仕草の一つひとつが、周囲の視線を自然と引き寄せるのだ。

 学園時代、彼は数多の令嬢たちの憧れであった。

 彼の姿を一度でも目にしたなら、心を掴まれずにはいられない。まるで夢に手を伸ばすような感覚を覚えるのだった。

 掴みどころがなく、時に冷ややかに見える一方で、太陽のように温かい笑みをふいに浮かべる。

その変幻する二面性に、誰もが翻弄され、誰ひとりとして彼の本心を測りきることはできなかった。

 ――それこそが、リュミエール・シュタインという青年の最大の魅力だった。

 彼はシュタイン子爵家の次男。
家は二代前まで平民であったが、商会で富を築き、爵位を買った新興貴族である。

 一方、カタリナ・エベルハルトは、エルディア建国以来の由緒正しい伯爵家の一人娘。

 エベルハルト伯爵家は厳格で、祖父母が存命だった頃は礼儀作法ひとつにも目を光らせていた。

 「髪の乱れは心の乱れ」と教え込まれ、カタリナの黒髪は一本たりとも乱さずに結い上げられた。艶やかな黒は夜の闇を思わせ、その端正な輪郭を際立たせている。

 瞳は深い墨色で、冷静さと意志の強さを湛え、長い睫毛の影が時折その眼差しをさらに鋭く見せた。

 着るものは地味ながら質の高いドレスのみで、鮮やかな色や華美な装飾は許されなかった。

 幼い頃から「後継者」として育てられたカタリナの教育は、周囲の令嬢たちよりも一段と厳しかった。

感情を抑え、常に姿勢を正し、誰の前でも一分の隙も見せなかった。

 祖父母は新興貴族であるシュタイン家との縁談を猛反対した。しかし、両家の親同士は学園時代から親しかったこともあり、両親の強い意向によって、押し切る形で婚約は結ばれることになった。

 カタリナとリュミエールが十三歳の頃のことだった。

 初めて顔を合わせた日、カタリナは硬く背筋を伸ばし、深く一礼した。

長く結い上げた黒髪と質素な紺色のドレス、凛とした瞳が、まだ幼さの残る面差しの中に毅然とした気配を漂わせていた。

 一方のリュミエールは、肩まで伸びた金色の髪を柔らかく揺らしながら、微笑んだ。

深い碧眼がカタリナを一瞬見据えたが、その視線には威圧も傲慢もなく、ただ好奇心と軽やかな興味が混ざっていた。

「君が、カタリナ嬢だね。はじめまして」
 彼の声は柔らかく、遠くから響くような不思議な響きを持っていた。

「はい、初めまして。リュミエール様」

 カタリナは平静を装いながらも、絵本から出てきた王子様のようなリュミエールに、胸の奥で鼓動が速くなるのを感じた。

 両家の両親が契約書を手渡すと、リュミエールはふと箱を開き、指先で小さな鉱石を取り出した。

「これは、僕が見つけた宝石なんだ。君に幸せをもたらすかは分からないけれど、今日の記念にどうぞ」

 カタリナは少し眉を上げた。
「今日、初対面なのに、この大きさの鉱石を?」
 思わず口にしたその言葉に、リュミエールはくすりと笑った。

「ふふ、サプライズは、僕の性分なんだ。驚いた顔も似合っているね」

 軽やかにそう言う彼に、カタリナも小さく笑う。
 幼いながらも、内心で「この人は手強そうだ」と思ったのを覚えている。

 二人は契約書に手を添え、互いの手を軽く握り合った。

「これで、僕たちは婚約者だね」

 リュミエールは微笑みながら言った。
言葉は軽やかで、遊びのようにも聞こえたが、その碧眼は真剣だった。

 カタリナは小さく頷き、まだ十三歳の少女として、少しだけ胸を高鳴らせた。

これが、二人の長い関係の、ほんの最初の一歩だった。


 その後ーー
 祖父母が流行病で相次いで亡くなると、両親は解き放たれたように放蕩を始め、夫婦揃って娘を置いて遊び歩くようになった。

 父・パウエルは、カタリナの学園卒業と同時に、当主の座を譲り、妻・エナリアと共に領地へ引きこもった。

 幼い頃から達観していたカタリナは、早々に両親に期待するのをやめていた。

 学園卒業後、すぐ婚姻するはずだったリュミエールは、突如「留学したい」と告げ、隣国ハバナールへ旅立った。

 それきり二年――音沙汰はない。

 だが不思議なことに、彼の実家には定期的に手紙が届いているという。

事故や病、あるいは死の報せではなく、ただ「便りを寄こさない」という一点だけが、彼の存在を曖昧にしていた。

「……はぁ」

 思わず零れた息は、虚しさを帯びていた。

 友人たちが次々と結婚していく中、自分だけが足踏みしている。

 リュミエールの「留学」という選択は、寝耳に水だった。両親に抗議した時も、軽くいなされた。

「長い人生の中で、二年くらい良いじゃない」

――けれど、若さの二年は決して安くない。

「若いうちの二年って、貴重なのよ」

 ぽつりと呟き、机の上の帳簿を閉じる。
今日の執務はここまで、とカタリナは自らに言い聞かせ、静かに執務室を後にした。



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