【完結】不可解な君に恋して

とっくり

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 春の光がやわらかく差し込む日だった。

 王都の礼拝堂は、大仰な王家の儀式ほどではないけれど、伯爵家の婚儀にふさわしく清潔で品があった。

 白い壁に蔦がのび、季節の花が控えめに飾られている。招かれたのは本当に近しい者だけで、騒がしい好奇の視線はどこにもない。

「カタリナ、髪ほどかないで。せっかくまとめたのに」
「そうよ、せっかく大人っぽく結い上げたのに。今日ばかりは“できる伯爵”じゃなくて“お嫁さん”でいなさいな」

 控室ではクラリッサとセザンヌが、昔のままの調子で騒いでいた。

「……あなたたち、相変わらずですわね」
 鏡の前でカタリナは苦笑して、姿勢を伸ばした。

 白ではなく、落ち着いたクリーム色のドレスを選んだ。動きやすさより格式を優先したデザインなのに、彼女が着ると妙に凛として見えた。黒髪はゆるくまとめ、永遠花の小さな飾りを耳元に差す。

「カタリナ、とても素敵よ」
 セザンヌがぽつりと言う。

「ありがとう」
 カタリナは鏡越しにほほえんだ。
 頬がほんのり赤いのは、昨夜のことを思い出したせいでもある。

 彼は、夜は驚くほどに情熱的で、カタリナを芯から甘く蕩けさせてしまう。夜を思い出すと胸がくすぐったかった。

「ねえ、カタリナ」
 クラリッサが少しまじめな声になる。
「手紙のこと、もういいの?」
「……ええ。原因も、意図も、分かりましたもの。あとは、こちらが“もう同じことは許さない”と示すだけですわ」

 それだけ言って、カタリナは話題を切った。今日は、過去を処理する日ではなく、未来に印をつける日だ。

「さ、そろそろよ」
 侍女が扉をノックする。

 二人の友人が「じゃ、先に席に行くわね!」とひらひら手を振って出ていき、部屋には一瞬静けさが落ちた。

 カタリナは息を整え、扉に手をかける。

(……行きましょう)



 礼拝堂の前方で待っていたリュミエールは、扉が開いた瞬間、わずかに目を見張った。

 いつも“当主”として座っている彼女ではなく、今日は自分の隣に来るために着飾っているカタリナがいる。

 凛とした背筋はそのままなのに、どこかやわらかくて、可憐で可愛かった。

 金髪をきちんとまとめた彼自身も、今日はいつもの軽やかさの下に緊張を隠せなかった。

 黒い礼装にエルディアとハバナール双方の意匠をさりげなく組み込んである。

 胸元には、例の蒼い石を模した小さなピン。あれは彼の“核”であり、今日ここに立てた理由でもある。

 お互いの親族以外に、列席している顔ぶれは多くはなかった。 

 前方にはアイザックが腕を組んで座り、視線で「よかったな」と告げてくる。

 少し離れたところには、申し訳なさそうに肩をすぼめたパウルと、その隣でややふくれっ面のエメラルダ。今日はさすがに騒がない。騒げない、と言ったほうが近い。

 牧師が簡潔な祝詞を述べるあいだ、カタリナとリュミエールは互いに視線をそらさなかった。

 ようやく、この距離を堂々と保てるのだという実感が、二人の胸を満たす。

「……誓いますか」

「誓います」
 二人の声が重なる。

 指輪を交換し終えたあと、祝福の拍手が惜しみなく送られた。一人ひとりの拍手があたたかった。

 礼拝堂を出た瞬間、アイザックが一番に近づいてくる。

「おめでとう、二人とも」
「ありがとう、アイザック様」
「ありがとう。――って言うか、君が一番に来るの、なんかずるいな」
「こういうのは足の速い者勝ちだよ、リュミエール」
 いつもの軽口で笑い合う。
 隣でカタリナがふっと目を細める。こうして三人で冗談を言えるところまで来たのだと思うと、胸があたたかくなる。

 その後ろから、やや遠慮がちにパウルがやって来た。
「おめでとう、カタリナ嬢。リュミエール君も」
「パウル様、ありがとうございます」
 カタリナが丁寧に頭を下げると、後ろでエメラルダも渋々といった風に言う。

「……おめでとう…」
 言いながらも、視線はリュミエールに吸い寄せられている。けれど今日は、もう誰もその視線に振り回されない。

パウルがそっと彼女の肩に手を置いた。エメラルダは驚いたように彼を見上げ、ほんの一瞬だけ、寂しそうに微笑んだ。

(あの二人も、あの二人の場所で落ち着けますように)

 カタリナは心の中でだけ祈る。



 披露の席は簡素だった。エベルハルト家の広間に、親しい者だけを招いての食事会。
ダンスも大演奏もない。けれど窓から入る春風と、磨かれた食器と、和やかな会話で十分華やかだった。

 すこし離れた席では、クラリッサとセザンヌが「花嫁がもう伯爵なのって反則よね」「しかも旦那様があんな綺麗ってずるいわ」と騒いでいて、カタリナも久しぶりに声を立てて笑っていた。

 その笑い声を聞きながら、リュミエールはふと、彼女の横に立つ自分の姿を一歩引いた位置で眺めてみた。

(“卑しい血”だと思っていた)
(でも、そうじゃないって、ちゃんと言ってもらえた)
(そして今、僕は愛しい彼女の“夫として”ここに立っている)

 胸の奥の古い劣等感は、もう鋭い棘ではなかった。触ればまだ少し痛むが、今の彼にはそれを包むだけの温度がある。

 カタリナがこちらを向いた。食卓を離れ、静かな廊下に合図する。

「少し、外へ出ましょうか」



 庭に出ると、春の空気がふんわりと香った。永遠花を飾った中庭は、まだ蕾が多いが、これから咲きそろう気配がある。

「リュミエール」

 カタリナは一度だけ息を整えて、まっすぐ見上げた。黒曜石みたいな瞳が揺れない。

「あなたが話してくださったこと――
ご両親のことも、ラファエル殿下のことも、
どれひとつ、私の中であなたを小さくはしませんでした。
むしろ、全部を知って、ようやく“あなた”を丸ごと好きだと言えるようになりました」

「……」

「だから私は、今ここにいるあなたが好きです。どんな生まれでも、どんな仮面をかぶっていても。過去も出自も、ぜんぶ含めて――あなたを選びます」

 リュミエールの喉がきゅっと鳴った。

「……それ、反則級のこと言うよね」
「事実を述べただけですわ」
「そういうとこ、本当に前から変わらない」
「ええ。変わりませんわ。あなたが何を知って、何を背負って戻ってきても、私の答えはここです」

「じゃあ、僕も事実だけ言うよ」
「ええ」

「君が僕を選んでくれて嬉しい。君のところに帰ってくるために全部確かめたって、胸張って言える。……ありがとう、カタリナ」

 カタリナの黒曜石のような瞳に、水面のような光が宿る。

「こちらこそ。戻ってきてくださって、ありがとう」

 ふたりは人目のない庭の奥で、そっと抱き合った。

 今度の口づけは、昨夜のような貪るようなものではなく、これから何度でもできると分かっている人たちの、穏やかな口づけだった。




 後日。

 海を見下ろすハバナールの修道院の中庭に、一通の報せが届いた。差出人はエベルハルト伯爵家当主・カタリナ、連名でリュミエール。

 封を開いたラファエルは、静かに笑みを洩らした。

「……ケリー。君が残してくれた子が、こうして幸せを掴んだ。――あの春は、ちゃんと実ったんだな」

 春の風が、古い修道服の裾を揺らした。

 *

 エルディアでは、女伯爵とその夫が並んで執務室に座る光景が、すぐに“いつものこと”になった。

 窓辺には、変わらず永遠花が光っている。

 それはもう、揺れないための花ではなく――揺れても立ち直れるふたりの、飾りだった。



(おわり)

※最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。


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