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昼下がりの柔らかな陽光が街を包む頃――アリスは、静かにエルウッド男爵邸へと帰ってきた。
馬車の揺れに身を委ねながら、昨夜から今朝にかけての出来事を、何度も心の中で反芻していた。
シュヴァリエ公爵邸で過ごした、甘く、けれど確かな重みを持つ一夜。
まるで夢の中にいたようだったのに、こうして帰り着いた自宅の門をくぐった瞬間、それは現実だったのだと実感させられる。
邸宅の扉が開き、見慣れた玄関ホールの空気が肺に満ちたとき、アリスの心にふっと安堵が広がった。
けれどその安堵の裏側には、小さく疼く想いもあった――今の自分を、あの人にも伝えたい。
そんな、胸の奥から湧き上がる衝動に突き動かされるように、アリスはそっと自室へと向かった。
そして、静かな朝の光がまだ残る、白いカーテン越しの窓辺に立つ。
アリスは両手を合わせ、そっと胸元の銀のロケットに触れた。
それは亡き夫、クロードの遺品のひとつ。小さな蓋を開けば、中には穏やかな笑顔をたたえた彼の写真が収められている。
「クロード様……」
胸の奥に、温かくも切ない感情が込み上げてきた。けれど、それはもはや悲しみではなかった。
彼と過ごした日々を思い出すたび、アリスの心は、今もやさしく包まれる。
――あなたと過ごした時間は、かけがえのないものでした。
優しくて、穏やかで、私にはもったいないほど、たくさんの愛をくださいましたね。
アリスは目を閉じて、静かに深呼吸をする。クロードが最期に遺した手紙の言葉が、今も胸の奥で温かく息づいていた。
【君はまだ若い。どうか、君が君らしくある世界の中で、愛する人を見つけて、幸せに生きていってほしい。】
――あなたが言ってくれた「幸せになってほしい」という言葉を、私はずっと胸に抱いてきました。
きっと今の私を見たら……少し驚いて、それから微笑んで、「よかったね」と言ってくださるでしょうか。
ノエル様の隣にいると、不思議と心が静かになるのです。
あの頃、あなたを失って感じていた痛みが、ゆっくりと優しく、癒されていくのを感じます。
それでも、あなたのことを忘れた日は、一日たりともありませんでした。
クロード様――私は今、愛する人と出会いました。
でも、あなたの存在が消えることは、決してありません。
あなたは、私の心の中に、今も――そしてこれからも、生き続けています。
だから、どうか見守っていてください。
あなたが遺してくれた「幸せになって」という言葉の通りに、私はこれからの人生を歩んでいきます。
静かな午後の光に包まれて、アリスの表情には、穏やかで確かな強さが宿っていた。
それは――過去を大切に抱きながら、未来へと一歩を踏み出す人の顔だった。
ふと、扉の外から控えめなノックの音が響いた。
「アリス様、お手紙が届いております」
使用人の声に促されて扉を開けると、銀の盆に丁寧に乗せられた封書が差し出された。見慣れた流麗な筆跡に、思わずアリスの心が跳ねる。
――ノエル様。
封を切り、香り立つインクの香に包まれながら、アリスは便箋を手に取った。
=======
アリスへ
昨夜、君と過ごした時間が、今でも胸の中であたたかく灯り続けている。
どうしても伝えたくて、こうしてペンを取った。
正直、まだ信じられないんだ。
君が、あの朝、隣にいてくれたこと。
目が覚めて、夢じゃなかったとわかった瞬間――嬉しくて、嬉しくて、しばらく動けなかった。
思い出すたび、心臓が跳ねる。
君の髪に触れた感触も、頬に寄せた温もりも、まだ指先に残っている。
あんなにも愛しいと思える人が、ほんとうに目の前にいるなんて。
……アリス。
君が笑ってくれるだけで、世界がすこしだけ優しくなる気がするんだ。
そんなふうに感じたのは、君が初めてだ。
身体は大丈夫? 疲れてない?
無理してないか、それだけが気がかりで――
君が心地よく今日を過ごしていることを、ただただ願ってる。
まだ、会いたい。もう、すぐにでも。
でも、急がないよ。君のペースで、君の気持ちのままにいてくれれば、それでいい。
ただ――
恋人として、君のそばにいたい。
ずっと、守らせてほしい。
追伸:
今度は、君の好きな紅茶を淹れる番。
その隣で、君が笑っていてくれたら、それ以上の幸せはない。
――ノエルより
=======
(まだ信じられない……)
アリスはそっと微笑んだ。自分も、まったく同じだった。
夢のような夜。あの温もり、優しい腕、眠る直前に交わした囁き――どれもが、あまりに現実味がなかった。
けれど、こうして手紙が届いた。
たしかに、彼と過ごした夜は存在していたのだと、ページのひとつひとつが証明してくれる。
「……ふふっ」
声が漏れる。あまりにもまっすぐで、そして抑えきれないほどの愛が詰まっていた。
“アリス。君が笑ってくれるだけで、世界が少しだけ優しくなる――”
その一文を読み返しながら、アリスは胸元をぎゅっと押さえる。
(どうして……あの人は、こんなにも、私を真っすぐに愛してくれるの?)
頬が熱くなる。喜びと戸惑いとが、胸の奥でやさしく混ざり合い、涙になって滲みそうだった。
机の上にそっと手紙を置き、目を閉じる。
頭の中で、彼の声が何度もよみがえる。
――恋人として、君のそばにいたい。ずっと、守らせてほしい。
(……ノエル様)
そう呼ぶだけで、胸が温かくなった。
アリスは立ち上がり、小さなティーポットに湯を沸かす。お気に入りのダージリンを選んで、静かに蒸らす時間。
窓の外では、夏の夕暮れがゆっくりと広がっていた。
蝉の声が遠くで響き、吹き込む風がレースのカーテンをゆらす。
カップに注がれた紅茶の香りが、部屋にやわらかく広がっていく。
(次は……この紅茶を、ノエル様と一緒に)
心の中で、そっと未来を想像する。
隣に彼がいて、二人で笑い合いながら、同じカップに口をつける日。
少しずつでもいい。ゆっくりでいい。
でも、きっと――あの人となら、前を向いて歩いていける。
アリスはそっとカップを手に取り、目を閉じて、ノエルの姿を思い浮かべながら、ひと口、紅茶を含んだ。
それは、まるで恋の味のように――やさしく、甘く、胸に染み渡っていった。
馬車の揺れに身を委ねながら、昨夜から今朝にかけての出来事を、何度も心の中で反芻していた。
シュヴァリエ公爵邸で過ごした、甘く、けれど確かな重みを持つ一夜。
まるで夢の中にいたようだったのに、こうして帰り着いた自宅の門をくぐった瞬間、それは現実だったのだと実感させられる。
邸宅の扉が開き、見慣れた玄関ホールの空気が肺に満ちたとき、アリスの心にふっと安堵が広がった。
けれどその安堵の裏側には、小さく疼く想いもあった――今の自分を、あの人にも伝えたい。
そんな、胸の奥から湧き上がる衝動に突き動かされるように、アリスはそっと自室へと向かった。
そして、静かな朝の光がまだ残る、白いカーテン越しの窓辺に立つ。
アリスは両手を合わせ、そっと胸元の銀のロケットに触れた。
それは亡き夫、クロードの遺品のひとつ。小さな蓋を開けば、中には穏やかな笑顔をたたえた彼の写真が収められている。
「クロード様……」
胸の奥に、温かくも切ない感情が込み上げてきた。けれど、それはもはや悲しみではなかった。
彼と過ごした日々を思い出すたび、アリスの心は、今もやさしく包まれる。
――あなたと過ごした時間は、かけがえのないものでした。
優しくて、穏やかで、私にはもったいないほど、たくさんの愛をくださいましたね。
アリスは目を閉じて、静かに深呼吸をする。クロードが最期に遺した手紙の言葉が、今も胸の奥で温かく息づいていた。
【君はまだ若い。どうか、君が君らしくある世界の中で、愛する人を見つけて、幸せに生きていってほしい。】
――あなたが言ってくれた「幸せになってほしい」という言葉を、私はずっと胸に抱いてきました。
きっと今の私を見たら……少し驚いて、それから微笑んで、「よかったね」と言ってくださるでしょうか。
ノエル様の隣にいると、不思議と心が静かになるのです。
あの頃、あなたを失って感じていた痛みが、ゆっくりと優しく、癒されていくのを感じます。
それでも、あなたのことを忘れた日は、一日たりともありませんでした。
クロード様――私は今、愛する人と出会いました。
でも、あなたの存在が消えることは、決してありません。
あなたは、私の心の中に、今も――そしてこれからも、生き続けています。
だから、どうか見守っていてください。
あなたが遺してくれた「幸せになって」という言葉の通りに、私はこれからの人生を歩んでいきます。
静かな午後の光に包まれて、アリスの表情には、穏やかで確かな強さが宿っていた。
それは――過去を大切に抱きながら、未来へと一歩を踏み出す人の顔だった。
ふと、扉の外から控えめなノックの音が響いた。
「アリス様、お手紙が届いております」
使用人の声に促されて扉を開けると、銀の盆に丁寧に乗せられた封書が差し出された。見慣れた流麗な筆跡に、思わずアリスの心が跳ねる。
――ノエル様。
封を切り、香り立つインクの香に包まれながら、アリスは便箋を手に取った。
=======
アリスへ
昨夜、君と過ごした時間が、今でも胸の中であたたかく灯り続けている。
どうしても伝えたくて、こうしてペンを取った。
正直、まだ信じられないんだ。
君が、あの朝、隣にいてくれたこと。
目が覚めて、夢じゃなかったとわかった瞬間――嬉しくて、嬉しくて、しばらく動けなかった。
思い出すたび、心臓が跳ねる。
君の髪に触れた感触も、頬に寄せた温もりも、まだ指先に残っている。
あんなにも愛しいと思える人が、ほんとうに目の前にいるなんて。
……アリス。
君が笑ってくれるだけで、世界がすこしだけ優しくなる気がするんだ。
そんなふうに感じたのは、君が初めてだ。
身体は大丈夫? 疲れてない?
無理してないか、それだけが気がかりで――
君が心地よく今日を過ごしていることを、ただただ願ってる。
まだ、会いたい。もう、すぐにでも。
でも、急がないよ。君のペースで、君の気持ちのままにいてくれれば、それでいい。
ただ――
恋人として、君のそばにいたい。
ずっと、守らせてほしい。
追伸:
今度は、君の好きな紅茶を淹れる番。
その隣で、君が笑っていてくれたら、それ以上の幸せはない。
――ノエルより
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(まだ信じられない……)
アリスはそっと微笑んだ。自分も、まったく同じだった。
夢のような夜。あの温もり、優しい腕、眠る直前に交わした囁き――どれもが、あまりに現実味がなかった。
けれど、こうして手紙が届いた。
たしかに、彼と過ごした夜は存在していたのだと、ページのひとつひとつが証明してくれる。
「……ふふっ」
声が漏れる。あまりにもまっすぐで、そして抑えきれないほどの愛が詰まっていた。
“アリス。君が笑ってくれるだけで、世界が少しだけ優しくなる――”
その一文を読み返しながら、アリスは胸元をぎゅっと押さえる。
(どうして……あの人は、こんなにも、私を真っすぐに愛してくれるの?)
頬が熱くなる。喜びと戸惑いとが、胸の奥でやさしく混ざり合い、涙になって滲みそうだった。
机の上にそっと手紙を置き、目を閉じる。
頭の中で、彼の声が何度もよみがえる。
――恋人として、君のそばにいたい。ずっと、守らせてほしい。
(……ノエル様)
そう呼ぶだけで、胸が温かくなった。
アリスは立ち上がり、小さなティーポットに湯を沸かす。お気に入りのダージリンを選んで、静かに蒸らす時間。
窓の外では、夏の夕暮れがゆっくりと広がっていた。
蝉の声が遠くで響き、吹き込む風がレースのカーテンをゆらす。
カップに注がれた紅茶の香りが、部屋にやわらかく広がっていく。
(次は……この紅茶を、ノエル様と一緒に)
心の中で、そっと未来を想像する。
隣に彼がいて、二人で笑い合いながら、同じカップに口をつける日。
少しずつでもいい。ゆっくりでいい。
でも、きっと――あの人となら、前を向いて歩いていける。
アリスはそっとカップを手に取り、目を閉じて、ノエルの姿を思い浮かべながら、ひと口、紅茶を含んだ。
それは、まるで恋の味のように――やさしく、甘く、胸に染み渡っていった。
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