【R18】祈りより深く、罪より甘く

とっくり

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 手を繋いだまま部屋の奥へ進むと、
 いつもの小さなダイニングに明かりが灯っていた。

 ダイニングの木のテーブルには、セラが今朝のうちに仕込んでおいた野菜のスープと、ハーブで香りづけした鶏肉のローストが並んでいた。

「美味しそうだ」
「ジュールの口に合えば良いけど」

 席につくと、湯気とともに優しい香りがふたりの間に広がった。

「君が作るものは、なんでも美味しいよ。早く料理を教わらなきゃな」
「ふふふ…厳しく教え込みましょうかね?」
「そこは、手加減してほしいな」

 そんな他愛のない会話で笑いながら、食事が進んでいく。

 食事が終わり、食器を片付けたあと、
 二人はいつものように小さな暖炉の前に並んで腰を下ろした。

 柔らかな炎が、ふたりの影を寄り添わせるように揺らしている。


「セラ。……今日は君にひとつ、渡したいものがある」

「わたしも……あるの。ジュールを驚かせたくて、ずっと考えてた」

 ふたりは一瞬、言葉を飲み込んで、同時に笑ってしまった。

「せーので、見せ合いましょうか」
「……ああ。そうしよう」

 ふたりはそろって指を折り、「せーの」と静かに声を揃えた。

 セラが差し出したのは、小さな木笛。
 ジュールが少年だった頃、手作りした笛。

 ジュールが差し出したのは――磨かれた木の枝。笛を作るために、丁寧に整えられたものだった。

 一瞬、空気が止まった。

 次の瞬間、ふたりは堪えきれず笑い出す。

「……まだ、を持っていたのか」
 ジュールの声は驚きと照れが混じっていた。

「ええ。わたしの宝物よ。だって、あなたが初めてくれたものだもの」

 ジュールの喉が詰まるように動いた。

 そして、幼い頃のように素直に――セラをぎゅっと抱きしめた。

「宝物……そう言ってもらえるなんて……思ってもいなかったよ」

 その腕の強さに、セラは胸がきゅっと締めつけられた。

「吹いてみて」

 セラが言うと、ジュールは笛を受け取り、ため息まじりのような仕草で構えた。

 小さく息を吹き込むと――

 ピプーッ、キュ、キューッ

 室内に、十年前と同じ、奇妙すぎる音色が響いた。

 セラは耐えきれず、笑い出す。

「ふふっ……やっぱり変な音!」
「あ、言ったな、セラっ!これは……これはだな……」
 耳まで赤くして言い訳を探すジュール。

「ふふふっ……昔と同じ音だわ!」
「っ、…幼い時に作ったものだから!今、作ったら、もっと良い音色が出ると思うんだ」
 新たに用意した木の枝を見せてる。

「ええ、ええ。頑張ってね、笛職人さま」
「……っ、よーし。今度こそ、まともな音を出してやるぞ!」

 ジュールは机に用意した木の枝を置き、持参した道具を揃えて真剣な顔つきになった。

 まるで戦場にでも向かうかのような表情で道具を手にして、笛作りに取り掛かった。 

「ジュール、随分と真剣ね?」
「ああ、真剣だとも。今度こそ、君がうっとりするような音色を聞かせるから」

 眉間に皺を寄せて集中する姿が、どこか少年の頃の彼と同じで、セラはそっと笑みをこぼす。

「楽しみにしているわ。怪我しないでね」
「任せて」
 得意げな表情を浮かべて、ジュールは短刀を握り、木の枝を削り始めた。

 セラは薬草棚に向かい、腰を下ろして葉を選り分けながら、その横顔を盗み見る。

 彼が真剣に何かへ向き合っている姿は、
 どうしてこんなにも心を温めるのだろう。

「セラ、そんなに見つめられたら……恥ずかしいな」
「ふふ、見ていたいのよ。あなたのそういう顔が好きだから」

 ジュールの手が止まった。
 そして、少し照れたように微笑む。

「…笛の完成を楽しみにしていてくれ」

 陽が傾き、家の中に黄昏の光が差し込む。穏やかな夕暮れ時だった。

 
 


 「……できた」

 長い時間をかけて削られた木の枝を、ジュールはそっと両手で持ち上げた。

 少し歪んでいる。穴もまっすぐではない。

 けれど、どこか温かくて、“セラのために作った”という想いだけはしっかり形になっている。

「ほんとうに……できたのね」

 セラが息をのんで微笑むと、ジュールは照れたように目をそらした。

「……良い音色が出るか、どうか」

「ふふふ、期待しているわ」

 その一言に、ジュールの喉仏が静かに揺れた。

「……セラ、吹いてみてくれ」
「わたしが?」
「ああ。君のための笛だから」

 どこか誇らしげで、でも少年のようにそわそわしている。

 セラはそっと笛を唇に当てた。
 ひと息、吸う。

 そして――

 ピプッ、ピプーッ

 部屋中に、説明できない音が響いた。

 次の瞬間――

「ふっ……ふふっ……っ、あはははは……!」
「っ、セラ、笑いすぎだ」
「ごめ……ごめんなさい……でも……これは……!」

 涙を浮かべて笑い転げるセラに、ジュールは耳まで赤くしながら笛を奪い返した。

「最初の音だから。まだ調整していないだけだ」
 笛をさすったり、振ったり、穴を覗いたりで落ち着かないジュール。

「調整で、今の音は……どうにかなるの?」
「……多分……いや、なるはずだ……」
「ふふ……ふふふっ!」

 笑いが止まらないセラを見て、ジュールは観念したように溜息をついた。

 けれど、その溜息はどこか嬉しそうで、目元には穏やかな笑みが滲んでいた。

「……君がそんなに笑うなら、それでいい」
「だって……ふ……ふふっ……!」

 セラは胸を押さえながら笑い続ける。

「昔と変わらないわ。すごい音がしたもの」
「“すごい”と表現するのはやめてくれ」

「才能はあるのよ。面白い音を出す才能が」
「それは才能じゃない」

 言いながらも、彼の指先は優しくセラの頬に触れていた。

「でも……君が今もあの笛を持っていてくれたのは、本当に嬉しかった」

 その声音は、冗談ではなく――
 本気で胸の奥から溢れてきたように優しかった。

 セラは息を呑む。

「……わたしの宝物だもの」

 囁いた瞬間、ジュールは堪えきれずにセラを抱きしめた。

 セラは腕の中で笑いながらも、胸の奥がふわりと熱に包まれるのを感じていた。

「……もう一度、微調整してみよう」
「ふふっ……また変な音が鳴るかもよ?」
「今度は“まともな”音にしてみせる」

 ジュールは少年のように目を輝かせながら笛を構えた。

 そんな彼の横顔を見つめながら――
 セラは、この何気ない時間が愛しくてたまらなかった。



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