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クロードはわずかに口角を上げた。
その笑みは皮肉ではなく、“評価”の色を含んでいた。
「――良い返答だ」
リセラはすかさず、がばっと頭を下げた。
「お願いしますだァァ!! メガネ先生ぇ!
この子は、やる時はやる子なんです!!
だもんで、どうか味方になってけろ!!」
「ねぇ、リセラ……。あなた、どの目線で言っているのかしら?」
クロードは、二人の掛け合いに吹き出しそうになるのを堪え、支店長へと顔を向けた。
「では――書類の原本を出せ。今すぐにだ。
彼女の財産を“奪った証拠”を確認させてもらう」
支店長グラシアンは、半ば逃げ出すように奥の部屋へ消えていった。
アデルは胸の前でそっと手を組み、息を整える。その様子を、クロードが横目でちらりと盗み見る。
「……身体は大丈夫なのか? 三年も寝ていたんだろう」
「え…、ええ。“すっかり元気”と言いたいところだけれど……やっぱり筋力が落ちてしまって」
アデルは杖を握り直し、指先に力を込めた。
クロードは静かに頷き、眼鏡の奥で彼女を観察するように目を細める。
「婚姻したばかりの伯爵令嬢が階段から転落して意識不明――
当時の新聞に大きく載っていた。記事を読んだよ」
「んだぁ!お嬢様の事故、大変だったんだぁ!」
リセラが勢いよく頷きながら割って入る。
「普段使わねぇ階段から落ちたからなぁ。
なして、あんなとこ使ったんだぁ?」
アデルは首を傾げて、苦く笑った。
当時、アデルとルイは婚姻後すぐに新婚夫婦用の部屋を改装していた。
本来なら式までに間に合うはずが、
業者の手違いで工期が大幅に遅れ、その日も工事の都合で封鎖された階段が使われていたのだ。
「……それがね。事故前後の記憶がまるでなくて……どうしてあの階段を使ったのか、自分でもわからないの」
「………」
クロードは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。
アデルの言葉に、どこか引っかかりを覚えたような、そんな沈黙だった。
*
支店長が姿を消したあと、
ほどなくして、別の行員が恐る恐る近づいてきた。
「お、お客様……どうぞ、こちらの応接室へ」
その声には、先ほどの騒ぎを遠巻きに見ていた不安と緊張が滲んでいる。
アデルたちは行員に案内され、奥の応接室へと移動した。
応接室は、銀行の表の豪華さとは大違いで、壁紙は薄く剥がれ、テーブルはやけに傷だらけだった。
飾られた花はしおれ、どこか埃っぽい。
(……これ、見栄だけの銀行ね)
アデルは思わず心の中で呟いた。
アデルたち三人は横並びにソファへ腰掛け、対面にグラシアンが座った。
そこへ、封筒を抱えた支店長が震える手で戻ってきた。
「お、お待たせいたしました……こ、こちらが原本で……!」
机に置かれた封筒には、確かに“エドモン・モントレー”の署名と印章が押されている。
しかし――
アデルは一瞥しただけで、呟いた。
「……違います」
グラシアンの体が揺れた。
「そ、そんな……。印章も署名も、本物のはず……!」
アデルは静かな手つきで書類を持ち上げる。
「まず――印章の位置が不自然です。
父は、書類の左端に“少しだけ斜め”に押す癖があるの。
これは、まっすぐ右端に押されている。父ではありません」
クロードが眼鏡を押し上げ、問いかける。
「筆跡は?」
アデルは頷き、書類に指を添えた。
「父の筆跡に似せて書かれていますけれど……違います。
父は、“a”の文字が独特の形になってしまうの。クセで、文章の後半になるほど尖っていくのよ。
でも……この書類は、どこもかしこも均一。
“丁寧に真似をしただけの他人の筆跡”だわ」
リセラが覗き込み、腕を組んだ。
「ほれ見ろ! 旦那様の字はクセしかねぇんだわ!スペルミスが一個もねぇ時点で、怪しいべ!」
支店長の額を汗が流れ落ちる。
「で、ですが……ドルン男爵様が“代理で”……!」
アデルは毅然と告げた。
「代理権のない“ただの男爵”が、当時の伯爵の書類を持参したのですね?」
クロードがゆっくりと支店長に向き直る。
「“伯爵でもない者”の持参書類を、
本人確認もせず、多額な個人財産を移した――?」
声は、氷の刃のように冷たかった。
「――銀行側の《過失》は確定だ」
支店長はがっくりと肩を落とし、視線が泳いだ。
その時、リセラが机をガンッと掴み――
ほぼ投げかける勢いで叫んだ。
「ほらみろぉ!! あたしらの言う通りだったべ!!お嬢様の金、返せぇぇぇ!!!」
「リ、リセラ!?机は投げるものじゃないの!!」
アデルが慌てて腕を引いた、その瞬間――クロードが静かにアデルへ向き直る。
「ここではこれ以上の議論は無意味だ。
一度、私の事務所へ来なさい。
整理すべき情報が多い。そして今後の手続きもだ」
アデルは少し戸惑い、問い返す。
「……力を貸してくださるのですか?」
クロードは一瞬だけ視線を落とし――それから淡々と答えた。
「ここまで火を噴いた案件を“面白い”と思わない弁護士はいない」
「動機が不純だっぺ!!」
と、リセラが叫ぶ。
だがアデルは静かに微笑んだ。
「……動機が“興味”でも、“義憤”でも構いません。法曹界で名を馳せるあなたが、
味方になってくれるのなら……それで十分です」
クロードの灰色の瞳が、かすかに揺れた。
すぐにその色はかき消えたが――
彼の表情は、先ほどより確かに柔らかく見えた。
「行くぞ。事務所はすぐ近くだ」
その笑みは皮肉ではなく、“評価”の色を含んでいた。
「――良い返答だ」
リセラはすかさず、がばっと頭を下げた。
「お願いしますだァァ!! メガネ先生ぇ!
この子は、やる時はやる子なんです!!
だもんで、どうか味方になってけろ!!」
「ねぇ、リセラ……。あなた、どの目線で言っているのかしら?」
クロードは、二人の掛け合いに吹き出しそうになるのを堪え、支店長へと顔を向けた。
「では――書類の原本を出せ。今すぐにだ。
彼女の財産を“奪った証拠”を確認させてもらう」
支店長グラシアンは、半ば逃げ出すように奥の部屋へ消えていった。
アデルは胸の前でそっと手を組み、息を整える。その様子を、クロードが横目でちらりと盗み見る。
「……身体は大丈夫なのか? 三年も寝ていたんだろう」
「え…、ええ。“すっかり元気”と言いたいところだけれど……やっぱり筋力が落ちてしまって」
アデルは杖を握り直し、指先に力を込めた。
クロードは静かに頷き、眼鏡の奥で彼女を観察するように目を細める。
「婚姻したばかりの伯爵令嬢が階段から転落して意識不明――
当時の新聞に大きく載っていた。記事を読んだよ」
「んだぁ!お嬢様の事故、大変だったんだぁ!」
リセラが勢いよく頷きながら割って入る。
「普段使わねぇ階段から落ちたからなぁ。
なして、あんなとこ使ったんだぁ?」
アデルは首を傾げて、苦く笑った。
当時、アデルとルイは婚姻後すぐに新婚夫婦用の部屋を改装していた。
本来なら式までに間に合うはずが、
業者の手違いで工期が大幅に遅れ、その日も工事の都合で封鎖された階段が使われていたのだ。
「……それがね。事故前後の記憶がまるでなくて……どうしてあの階段を使ったのか、自分でもわからないの」
「………」
クロードは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。
アデルの言葉に、どこか引っかかりを覚えたような、そんな沈黙だった。
*
支店長が姿を消したあと、
ほどなくして、別の行員が恐る恐る近づいてきた。
「お、お客様……どうぞ、こちらの応接室へ」
その声には、先ほどの騒ぎを遠巻きに見ていた不安と緊張が滲んでいる。
アデルたちは行員に案内され、奥の応接室へと移動した。
応接室は、銀行の表の豪華さとは大違いで、壁紙は薄く剥がれ、テーブルはやけに傷だらけだった。
飾られた花はしおれ、どこか埃っぽい。
(……これ、見栄だけの銀行ね)
アデルは思わず心の中で呟いた。
アデルたち三人は横並びにソファへ腰掛け、対面にグラシアンが座った。
そこへ、封筒を抱えた支店長が震える手で戻ってきた。
「お、お待たせいたしました……こ、こちらが原本で……!」
机に置かれた封筒には、確かに“エドモン・モントレー”の署名と印章が押されている。
しかし――
アデルは一瞥しただけで、呟いた。
「……違います」
グラシアンの体が揺れた。
「そ、そんな……。印章も署名も、本物のはず……!」
アデルは静かな手つきで書類を持ち上げる。
「まず――印章の位置が不自然です。
父は、書類の左端に“少しだけ斜め”に押す癖があるの。
これは、まっすぐ右端に押されている。父ではありません」
クロードが眼鏡を押し上げ、問いかける。
「筆跡は?」
アデルは頷き、書類に指を添えた。
「父の筆跡に似せて書かれていますけれど……違います。
父は、“a”の文字が独特の形になってしまうの。クセで、文章の後半になるほど尖っていくのよ。
でも……この書類は、どこもかしこも均一。
“丁寧に真似をしただけの他人の筆跡”だわ」
リセラが覗き込み、腕を組んだ。
「ほれ見ろ! 旦那様の字はクセしかねぇんだわ!スペルミスが一個もねぇ時点で、怪しいべ!」
支店長の額を汗が流れ落ちる。
「で、ですが……ドルン男爵様が“代理で”……!」
アデルは毅然と告げた。
「代理権のない“ただの男爵”が、当時の伯爵の書類を持参したのですね?」
クロードがゆっくりと支店長に向き直る。
「“伯爵でもない者”の持参書類を、
本人確認もせず、多額な個人財産を移した――?」
声は、氷の刃のように冷たかった。
「――銀行側の《過失》は確定だ」
支店長はがっくりと肩を落とし、視線が泳いだ。
その時、リセラが机をガンッと掴み――
ほぼ投げかける勢いで叫んだ。
「ほらみろぉ!! あたしらの言う通りだったべ!!お嬢様の金、返せぇぇぇ!!!」
「リ、リセラ!?机は投げるものじゃないの!!」
アデルが慌てて腕を引いた、その瞬間――クロードが静かにアデルへ向き直る。
「ここではこれ以上の議論は無意味だ。
一度、私の事務所へ来なさい。
整理すべき情報が多い。そして今後の手続きもだ」
アデルは少し戸惑い、問い返す。
「……力を貸してくださるのですか?」
クロードは一瞬だけ視線を落とし――それから淡々と答えた。
「ここまで火を噴いた案件を“面白い”と思わない弁護士はいない」
「動機が不純だっぺ!!」
と、リセラが叫ぶ。
だがアデルは静かに微笑んだ。
「……動機が“興味”でも、“義憤”でも構いません。法曹界で名を馳せるあなたが、
味方になってくれるのなら……それで十分です」
クロードの灰色の瞳が、かすかに揺れた。
すぐにその色はかき消えたが――
彼の表情は、先ほどより確かに柔らかく見えた。
「行くぞ。事務所はすぐ近くだ」
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