奪われた令嬢と、偽りの夫

とっくり

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 クロードはわずかに口角を上げた。
その笑みは皮肉ではなく、“評価”の色を含んでいた。

「――良い返答だ」

 リセラはすかさず、がばっと頭を下げた。

「お願いしますだァァ!! メガネ先生ぇ!
この子は、やる時はやる子なんです!!
だもんで、どうか味方になってけろ!!」

「ねぇ、リセラ……。あなた、どの目線で言っているのかしら?」

 クロードは、二人の掛け合いに吹き出しそうになるのを堪え、支店長へと顔を向けた。

「では――書類の原本を出せ。今すぐにだ。
彼女の財産を“奪った証拠”を確認させてもらう」

 支店長グラシアンは、半ば逃げ出すように奥の部屋へ消えていった。

 アデルは胸の前でそっと手を組み、息を整える。その様子を、クロードが横目でちらりと盗み見る。

「……身体は大丈夫なのか? 三年も寝ていたんだろう」

「え…、ええ。“すっかり元気”と言いたいところだけれど……やっぱり筋力が落ちてしまって」

 アデルは杖を握り直し、指先に力を込めた。

 クロードは静かに頷き、眼鏡の奥で彼女を観察するように目を細める。

「婚姻したばかりの伯爵令嬢が階段から転落して意識不明――
当時の新聞に大きく載っていた。記事を読んだよ」

「んだぁ!お嬢様の事故、大変だったんだぁ!」
 リセラが勢いよく頷きながら割って入る。

「普段使わねぇ階段から落ちたからなぁ。
なして、あんなとこ使ったんだぁ?」

 アデルは首を傾げて、苦く笑った。

 当時、アデルとルイは婚姻後すぐに新婚夫婦用の部屋を改装していた。

 本来なら式までに間に合うはずが、
業者の手違いで工期が大幅に遅れ、その日も工事の都合で封鎖された階段が使われていたのだ。

「……それがね。事故前後の記憶がまるでなくて……どうしてあの階段を使ったのか、自分でもわからないの」

「………」

 クロードは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。
 アデルの言葉に、どこか引っかかりを覚えたような、そんな沈黙だった。



 支店長が姿を消したあと、
ほどなくして、別の行員が恐る恐る近づいてきた。

「お、お客様……どうぞ、こちらの応接室へ」

 その声には、先ほどの騒ぎを遠巻きに見ていた不安と緊張が滲んでいる。
 アデルたちは行員に案内され、奥の応接室へと移動した。

 応接室は、銀行の表の豪華さとは大違いで、壁紙は薄く剥がれ、テーブルはやけに傷だらけだった。
 飾られた花はしおれ、どこか埃っぽい。

(……これ、見栄だけの銀行ね)
 アデルは思わず心の中で呟いた。

 アデルたち三人は横並びにソファへ腰掛け、対面にグラシアンが座った。

 そこへ、封筒を抱えた支店長が震える手で戻ってきた。

「お、お待たせいたしました……こ、こちらが原本で……!」

 机に置かれた封筒には、確かに“エドモン・モントレー”の署名と印章が押されている。

 しかし――
 アデルは一瞥しただけで、呟いた。

「……違います」

 グラシアンの体が揺れた。

「そ、そんな……。印章も署名も、本物のはず……!」

 アデルは静かな手つきで書類を持ち上げる。

「まず――印章の位置が不自然です。
父は、書類の左端に“少しだけ斜め”に押す癖があるの。
これは、まっすぐ右端に押されている。父ではありません」

 クロードが眼鏡を押し上げ、問いかける。

「筆跡は?」

 アデルは頷き、書類に指を添えた。

「父の筆跡に似せて書かれていますけれど……違います。

父は、“a”の文字が独特の形になってしまうの。クセで、文章の後半になるほど尖っていくのよ。

でも……この書類は、どこもかしこも均一。
“丁寧に真似をしただけの他人の筆跡”だわ」

 リセラが覗き込み、腕を組んだ。

「ほれ見ろ! 旦那様の字はクセしかねぇんだわ!スペルミスが一個もねぇ時点で、怪しいべ!」

 支店長の額を汗が流れ落ちる。

「で、ですが……ドルン男爵様が“代理で”……!」

 アデルは毅然と告げた。

「代理権のない“ただの男爵”が、当時の伯爵の書類を持参したのですね?」

 クロードがゆっくりと支店長に向き直る。

「“伯爵でもない者”の持参書類を、
本人確認もせず、多額な個人財産を移した――?」

 声は、氷の刃のように冷たかった。

「――銀行側の《》は確定だ」

 支店長はがっくりと肩を落とし、視線が泳いだ。

 その時、リセラが机をガンッと掴み――
ほぼ投げかける勢いで叫んだ。

「ほらみろぉ!! あたしらの言う通りだったべ!!お嬢様の金、返せぇぇぇ!!!」

「リ、リセラ!?机は投げるものじゃないの!!」

 アデルが慌てて腕を引いた、その瞬間――クロードが静かにアデルへ向き直る。

「ここではこれ以上の議論は無意味だ。
一度、私の事務所へ来なさい。
整理すべき情報が多い。そして今後の手続きもだ」

 アデルは少し戸惑い、問い返す。

「……力を貸してくださるのですか?」

 クロードは一瞬だけ視線を落とし――それから淡々と答えた。

「ここまで火を噴いた案件を“面白い”と思わない弁護士はいない」

「動機が不純だっぺ!!」
 と、リセラが叫ぶ。

 だがアデルは静かに微笑んだ。

「……動機が“興味”でも、“義憤”でも構いません。法曹界で名を馳せるあなたが、
味方になってくれるのなら……それで十分です」

 クロードの灰色の瞳が、かすかに揺れた。

 すぐにその色はかき消えたが――
 彼の表情は、先ほどより確かに柔らかく見えた。

「行くぞ。事務所はすぐ近くだ」








 


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