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王都の貴族牢の一室で、リゼットは面会用の椅子に座っていた。
石造りの壁は冷たく、天井の高い部屋には薄暗い灯りが落ちている。
一般の牢よりは整えられているとはいえ、華やかな伯爵邸で暮らしていた彼女にとってはあまりにも殺風景な空間だった。
簡素な机と椅子が向かい合わせに置かれ、その間を太い鉄格子が隔てている。
リゼットは椅子の背にもたれ、足を組んで座っていた。
簡素なワンピースはすでに何日も着替えていないのか、裾にわずかな皺が寄っている。
それでも彼女は姿勢を崩さず、貴族の娘としての気品を保とうとしていた。
長い亜麻色の髪は肩から背へ流れ、薄暗い灯りの下で淡く光っている。
整った顔立ちは相変わらず美しかったが、その瞳にはどこか焦点の定まらない光が宿っていた。
扉の向こうで鍵が鳴り、重い音を立てて扉が開く。
やがて鉄格子の向こうに、一人の男が現れた。
騎士団の制服に身を包んだ若い男だった。
肩まで届かない短い金髪が整えられ、凛とした横顔は端正で、まだ若いながらも鋭い気配をまとっている。
長身の体をまっすぐに伸ばして立つ姿は、訓練を積んだ騎士そのものだった。
ロイクだった。
鉄格子の向こうに現れたその姿を見るなり、リゼットの表情がぱっと明るくなる。
「ロイク!」
立ち上がると、格子に手をかける。
「あなた……弟でしょう?私をここから出してちょうだい」
甘えるような声だった。
「何のために騎士団にいるの?こういう時のためでしょう?」
まるで当然のことを言うように続ける。
「この牢なんて、あなたならどうにでもできるはずよ」
ロイクは何も答えなかった。
静かに立ったまま、姉を見つめている。
彼はこれまで、面会にも現れず、裁判も見に行かなかった。
騎士団に所属している以上、リゼットの様子は嫌でも耳に入ってくる。
狂ったように笑ったこと。
法廷で叫び続けたこと。
離縁を認めようとしないこと。
すべて報告書の形で知っていた。
こうして直接会うのは初めてだった。
リゼットはなおも話し続ける。
「ルイが迎えに来るまででいいのよ」
軽く笑った。
「すぐに来るわ。あの人は私を愛しているもの」
ロイクの胸の奥に、冷たいものが広がった。
この女は、何も理解していない。
自分が何をしたのか。
どれほどの罪を犯したのか。
血を分けた、たった一人の姉だったが、それでも――許せなかった。
両親を殺したことが。
確かに、モーリス伯爵とその妻は、手放しに称えられる人物ではなかった。
領民を思う心も薄く、欲に流されるところがあった。それでも、殺されるほどの罪があったわけではない。
ロイクの脳裏に、遠い日の記憶が浮かぶ。
幼い頃、自分は後継者として可愛がられていた。
不平不満の多い父だったが、誇らしそうに肩を叩いてくれたこともある。
母が微笑みながら髪を撫でてくれた夜もあった。
確かに、愛された記憶があった。
だが、成長するにつれて、その愛情がどこか歪んでいることに気づいた。
欲望と見栄。
爵位への執着。
他人を利用することをためらわない姿。
それを知ったとき、ロイクの中に嫌悪が生まれた。
やがて両親との間には、はっきりとした亀裂ができた。
その間に立っていたのが、リゼットだった。
姉は、表向きは仲裁役のように振る舞っていた。
ロイクの肩に手を置き、「家族なんだから」と笑っていた。
だが――
今となっては、わからない。
あれは本当に仲裁だったのか。
それとも、亀裂を、さらに深くしていただけだったのか。
ロイクはゆっくりと息を吐いた。
そして、初めて口を開く。
「……姉上」
ロイクの声は低く、静かだった。
その声を聞いたリゼットは安心したように笑う。
「なあに?……あなたは大切な弟よ」
格子を握る手に力が入る。
「お願いだから、早くここから出して。こんな場所に私を置いておくなんて、おかしいわ」
ロイクは動かなかった。
ただ、姉の顔をまっすぐ見つめている。
「姉上」
もう一度呼ぶ。
「俺は騎士団に所属している」
リゼットは首をかしげた。
「ええ、そうでしょう?だから頼んでいるのよ」
ロイクはゆっくり首を振った。
「俺は……罪人を逃すために騎士になったわけではない」
その言葉に、リゼットの笑みが一瞬だけ止まる。だが、すぐに笑い直した。
「何を言っているの?私は罪人なんかじゃないわ」
軽く肩をすくめ、続ける。
「全部誤解よ。ルイも分かっているわ」
ロイクは表情を変えずに、何も言わない。
リゼットはさらに続ける。
「……ロイクは私の家族でしょう?」
沈黙が落ちた。
しばらくして、ロイクは静かに言った。
「……姉上。いい加減にしてくれ」
その声は、先ほどよりも少し低かった。
リゼットの目がわずかに見開かれる。
「何を言っているの?」
ロイクは視線を逸らさなかった。
「両親を殺した人間を……俺は、家族とは呼ばない」
その言葉は冷たく、揺るぎがなかった。
リゼットの顔から、ゆっくりと笑みが消える。
「……あなた、何を言っているの?」
声がかすれる。
ロイクは静かに続けた。
「確かに、父上も母上も、褒められた人間ではなかった」
わずかに目を伏せる。
「だが、それでも――殺されるほどの罪はなかった」
再びリゼットを見る。
沈黙が重く落ちる。
リゼットの指が、格子を強く握った。
「……何それ。………あなたも」
その声は震えていた。
「あなたも、私を裏切るの?」
ロイクは答えなかった。
ただ静かに言った。
「裁きは、もう下った」
短い言葉だった。
「それが、姉上の犯した罪の結果だ」
リゼットの呼吸が荒くなる。
「……裁き? 私が……なぜ?」
首を振る。やがて、ゆっくりと笑い始めた。
「ふふ……いいわ」
小さな笑いが漏れ、その瞳が歪む。
「どうせ、ルイが来るもの」
ロイクは何も言わなかった。
リゼットは確信したように微笑む。
「あなたは、もう来なくてもいいわ……本当に昔から余計な弟だわ」
その声は甘く、狂気を帯びていた。
「ふふふ……っ。ルイは必ず迎えに来る」
静まり返った牢に、彼女の笑い声だけが響いた。
石造りの壁は冷たく、天井の高い部屋には薄暗い灯りが落ちている。
一般の牢よりは整えられているとはいえ、華やかな伯爵邸で暮らしていた彼女にとってはあまりにも殺風景な空間だった。
簡素な机と椅子が向かい合わせに置かれ、その間を太い鉄格子が隔てている。
リゼットは椅子の背にもたれ、足を組んで座っていた。
簡素なワンピースはすでに何日も着替えていないのか、裾にわずかな皺が寄っている。
それでも彼女は姿勢を崩さず、貴族の娘としての気品を保とうとしていた。
長い亜麻色の髪は肩から背へ流れ、薄暗い灯りの下で淡く光っている。
整った顔立ちは相変わらず美しかったが、その瞳にはどこか焦点の定まらない光が宿っていた。
扉の向こうで鍵が鳴り、重い音を立てて扉が開く。
やがて鉄格子の向こうに、一人の男が現れた。
騎士団の制服に身を包んだ若い男だった。
肩まで届かない短い金髪が整えられ、凛とした横顔は端正で、まだ若いながらも鋭い気配をまとっている。
長身の体をまっすぐに伸ばして立つ姿は、訓練を積んだ騎士そのものだった。
ロイクだった。
鉄格子の向こうに現れたその姿を見るなり、リゼットの表情がぱっと明るくなる。
「ロイク!」
立ち上がると、格子に手をかける。
「あなた……弟でしょう?私をここから出してちょうだい」
甘えるような声だった。
「何のために騎士団にいるの?こういう時のためでしょう?」
まるで当然のことを言うように続ける。
「この牢なんて、あなたならどうにでもできるはずよ」
ロイクは何も答えなかった。
静かに立ったまま、姉を見つめている。
彼はこれまで、面会にも現れず、裁判も見に行かなかった。
騎士団に所属している以上、リゼットの様子は嫌でも耳に入ってくる。
狂ったように笑ったこと。
法廷で叫び続けたこと。
離縁を認めようとしないこと。
すべて報告書の形で知っていた。
こうして直接会うのは初めてだった。
リゼットはなおも話し続ける。
「ルイが迎えに来るまででいいのよ」
軽く笑った。
「すぐに来るわ。あの人は私を愛しているもの」
ロイクの胸の奥に、冷たいものが広がった。
この女は、何も理解していない。
自分が何をしたのか。
どれほどの罪を犯したのか。
血を分けた、たった一人の姉だったが、それでも――許せなかった。
両親を殺したことが。
確かに、モーリス伯爵とその妻は、手放しに称えられる人物ではなかった。
領民を思う心も薄く、欲に流されるところがあった。それでも、殺されるほどの罪があったわけではない。
ロイクの脳裏に、遠い日の記憶が浮かぶ。
幼い頃、自分は後継者として可愛がられていた。
不平不満の多い父だったが、誇らしそうに肩を叩いてくれたこともある。
母が微笑みながら髪を撫でてくれた夜もあった。
確かに、愛された記憶があった。
だが、成長するにつれて、その愛情がどこか歪んでいることに気づいた。
欲望と見栄。
爵位への執着。
他人を利用することをためらわない姿。
それを知ったとき、ロイクの中に嫌悪が生まれた。
やがて両親との間には、はっきりとした亀裂ができた。
その間に立っていたのが、リゼットだった。
姉は、表向きは仲裁役のように振る舞っていた。
ロイクの肩に手を置き、「家族なんだから」と笑っていた。
だが――
今となっては、わからない。
あれは本当に仲裁だったのか。
それとも、亀裂を、さらに深くしていただけだったのか。
ロイクはゆっくりと息を吐いた。
そして、初めて口を開く。
「……姉上」
ロイクの声は低く、静かだった。
その声を聞いたリゼットは安心したように笑う。
「なあに?……あなたは大切な弟よ」
格子を握る手に力が入る。
「お願いだから、早くここから出して。こんな場所に私を置いておくなんて、おかしいわ」
ロイクは動かなかった。
ただ、姉の顔をまっすぐ見つめている。
「姉上」
もう一度呼ぶ。
「俺は騎士団に所属している」
リゼットは首をかしげた。
「ええ、そうでしょう?だから頼んでいるのよ」
ロイクはゆっくり首を振った。
「俺は……罪人を逃すために騎士になったわけではない」
その言葉に、リゼットの笑みが一瞬だけ止まる。だが、すぐに笑い直した。
「何を言っているの?私は罪人なんかじゃないわ」
軽く肩をすくめ、続ける。
「全部誤解よ。ルイも分かっているわ」
ロイクは表情を変えずに、何も言わない。
リゼットはさらに続ける。
「……ロイクは私の家族でしょう?」
沈黙が落ちた。
しばらくして、ロイクは静かに言った。
「……姉上。いい加減にしてくれ」
その声は、先ほどよりも少し低かった。
リゼットの目がわずかに見開かれる。
「何を言っているの?」
ロイクは視線を逸らさなかった。
「両親を殺した人間を……俺は、家族とは呼ばない」
その言葉は冷たく、揺るぎがなかった。
リゼットの顔から、ゆっくりと笑みが消える。
「……あなた、何を言っているの?」
声がかすれる。
ロイクは静かに続けた。
「確かに、父上も母上も、褒められた人間ではなかった」
わずかに目を伏せる。
「だが、それでも――殺されるほどの罪はなかった」
再びリゼットを見る。
沈黙が重く落ちる。
リゼットの指が、格子を強く握った。
「……何それ。………あなたも」
その声は震えていた。
「あなたも、私を裏切るの?」
ロイクは答えなかった。
ただ静かに言った。
「裁きは、もう下った」
短い言葉だった。
「それが、姉上の犯した罪の結果だ」
リゼットの呼吸が荒くなる。
「……裁き? 私が……なぜ?」
首を振る。やがて、ゆっくりと笑い始めた。
「ふふ……いいわ」
小さな笑いが漏れ、その瞳が歪む。
「どうせ、ルイが来るもの」
ロイクは何も言わなかった。
リゼットは確信したように微笑む。
「あなたは、もう来なくてもいいわ……本当に昔から余計な弟だわ」
その声は甘く、狂気を帯びていた。
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