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サナは少しずつ身体を起こした。まだ眩暈がするものの、心の奥に張り詰めていた糸が、ふっと緩むのを感じた。
静かに、けれど確かに、思考が動き出す。
自分の幸せとは何か。
ただ働くことではない。誰かの役に立つことだけでもない。役割を全うすることで、すべてが報われるわけでもない。
――私は、どうしたいの?
問いかけにすぐ答えは出なかった。でも、隣で手を握ってくれている彼の存在が、胸の奥にぽつりと灯をともした。
彼といたい。
それが、こんなにも自然に思える。
けれど同時に、その願いはすぐに自分のなかで否定された。
自分は男爵家の娘。彼は侯爵家の嫡男。立場が違いすぎる。カインの気持ちが本物でも、それだけで超えられるほど簡単な壁ではない。
「……わたしは……」
震える声に、カインが顔を上げた。
「……本当は、あなたと一緒にいたい。けれど……そんなこと、許されるのかな。あなたの家は、そんな……」
言いかけた言葉を、彼の手がぎゅっと強く握りしめる。
「誰に許されるかなんて、関係ないんだ、サナ」
低く、けれど真っ直ぐに、カインは言った。
「僕は、君を愛している」
揺るぎない口調でカインは続ける。
「君が倒れたと聞いて、生きた心地がしなかった。あらためて、どれだけ君の存在が大きかったか気づいたんだ」
カインの瞳がサナを見つめる。
「誰よりも、君に傍にいてほしいと願った。だから、もう無理なんてしてほしくない」
その言葉に、サナの瞳が揺れる。
「僕は……君を支えたい。どんな立場でも、どんな壁でも、全部壊してみせる。だから君が僕と共に生きる未来を望んでくれたら、僕はそのために動く」
どこまでも不器用で、どこまでもまっすぐな言葉だった。過去にすれ違い、傷ついた記憶が蘇る。でも、それを抱えたまま、それでも手を伸ばしてくれる彼が、今、目の前にいる。
「……でも、私は、あなたの隣に並べるような人間では……」
「サナ、僕が、君の隣にふさわしいように、再会してから努力して、願ってきたんだ」
「カイン様・・・」
サナが涙を必死に堪えて話を聞いている。
「君は、僕の誇りだよ。君が育てた土も人も、全部が君の証だ。王都にだって、胸を張って言える。僕が欲しいのは、君なんだ」
そう言って、真摯な態度でサナを見つめる。冗談でも、気まぐれでもない。本気の覚悟が、その眼差しに宿っていた。
――ああ、この人は変わったのだ。
幼い頃、ただの優しい少年だった彼は、今、誰かを本気で守りたいと願い、動ける人になっていた。
それは、何よりも強く、愛おしい姿だった。
~~~~~~~~~~~~
それから数日後、サナは徐々に体調を戻し、屋敷の庭に出られるまでに回復した。
その傍らには、姉のクラリスがいた。春の日差しの中、赤子を乳母に預けて訪れてくれたのだ。
「どう? 少しは気分、落ち着いた?」
「はい。ありがとうございます。お姉様」
「・・・サナがいつか倒れるんじゃないかって、ずっと心配していたの」
クラリスの言葉に、サナは驚いたように顔を向ける。
「だからと言って、止めることもできなかった。だって、あなたの“やりたい”は本気だったから」
「……はい」
「でもね、そろそろ“あなたの幸せ”を一番に考えてほしいの。あなたが耕した畑、育てた人たち、すべてが今、生きている。だから、手放しても、きっと大丈夫」
クラリスはそっと妹の手を握る。
「あなたが選んだ人と、これからを生きていけるなら、それが一番よ」
サナは黙って、風に揺れる木々を見つめた。
その向こうに広がるのは、自分が愛した土地。そして、今まさに新しい季節を迎えようとしている命の営み。
カインとともに、その風景を守り、育てていきたい。
不安は、まだある。でも、彼の手が、声が、視線が――そのすべてが、サナのなかに希望の種を蒔いていた。
――もし、もう一度名前を呼んでくれるなら。
その声に、今度こそ、胸を張って応えたい。
静かに、けれど確かに、思考が動き出す。
自分の幸せとは何か。
ただ働くことではない。誰かの役に立つことだけでもない。役割を全うすることで、すべてが報われるわけでもない。
――私は、どうしたいの?
問いかけにすぐ答えは出なかった。でも、隣で手を握ってくれている彼の存在が、胸の奥にぽつりと灯をともした。
彼といたい。
それが、こんなにも自然に思える。
けれど同時に、その願いはすぐに自分のなかで否定された。
自分は男爵家の娘。彼は侯爵家の嫡男。立場が違いすぎる。カインの気持ちが本物でも、それだけで超えられるほど簡単な壁ではない。
「……わたしは……」
震える声に、カインが顔を上げた。
「……本当は、あなたと一緒にいたい。けれど……そんなこと、許されるのかな。あなたの家は、そんな……」
言いかけた言葉を、彼の手がぎゅっと強く握りしめる。
「誰に許されるかなんて、関係ないんだ、サナ」
低く、けれど真っ直ぐに、カインは言った。
「僕は、君を愛している」
揺るぎない口調でカインは続ける。
「君が倒れたと聞いて、生きた心地がしなかった。あらためて、どれだけ君の存在が大きかったか気づいたんだ」
カインの瞳がサナを見つめる。
「誰よりも、君に傍にいてほしいと願った。だから、もう無理なんてしてほしくない」
その言葉に、サナの瞳が揺れる。
「僕は……君を支えたい。どんな立場でも、どんな壁でも、全部壊してみせる。だから君が僕と共に生きる未来を望んでくれたら、僕はそのために動く」
どこまでも不器用で、どこまでもまっすぐな言葉だった。過去にすれ違い、傷ついた記憶が蘇る。でも、それを抱えたまま、それでも手を伸ばしてくれる彼が、今、目の前にいる。
「……でも、私は、あなたの隣に並べるような人間では……」
「サナ、僕が、君の隣にふさわしいように、再会してから努力して、願ってきたんだ」
「カイン様・・・」
サナが涙を必死に堪えて話を聞いている。
「君は、僕の誇りだよ。君が育てた土も人も、全部が君の証だ。王都にだって、胸を張って言える。僕が欲しいのは、君なんだ」
そう言って、真摯な態度でサナを見つめる。冗談でも、気まぐれでもない。本気の覚悟が、その眼差しに宿っていた。
――ああ、この人は変わったのだ。
幼い頃、ただの優しい少年だった彼は、今、誰かを本気で守りたいと願い、動ける人になっていた。
それは、何よりも強く、愛おしい姿だった。
~~~~~~~~~~~~
それから数日後、サナは徐々に体調を戻し、屋敷の庭に出られるまでに回復した。
その傍らには、姉のクラリスがいた。春の日差しの中、赤子を乳母に預けて訪れてくれたのだ。
「どう? 少しは気分、落ち着いた?」
「はい。ありがとうございます。お姉様」
「・・・サナがいつか倒れるんじゃないかって、ずっと心配していたの」
クラリスの言葉に、サナは驚いたように顔を向ける。
「だからと言って、止めることもできなかった。だって、あなたの“やりたい”は本気だったから」
「……はい」
「でもね、そろそろ“あなたの幸せ”を一番に考えてほしいの。あなたが耕した畑、育てた人たち、すべてが今、生きている。だから、手放しても、きっと大丈夫」
クラリスはそっと妹の手を握る。
「あなたが選んだ人と、これからを生きていけるなら、それが一番よ」
サナは黙って、風に揺れる木々を見つめた。
その向こうに広がるのは、自分が愛した土地。そして、今まさに新しい季節を迎えようとしている命の営み。
カインとともに、その風景を守り、育てていきたい。
不安は、まだある。でも、彼の手が、声が、視線が――そのすべてが、サナのなかに希望の種を蒔いていた。
――もし、もう一度名前を呼んでくれるなら。
その声に、今度こそ、胸を張って応えたい。
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