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19 不在がつげるもの①
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(ラズ視点)
「……リリエルが、修道院に?」
その知らせを家令から聞いたのは、王都南部の遠征先から戻った日のことだった。
久々の休日。胸騒ぎのようなものを振り切るようにして、ラズはセイラン家へ馬を走らせた。
応接室には、すでにミレイアがいた。
彼女は1か月前まで昏睡状態にあったが、今はすっかり回復し、以前と変わらぬ華やかさで椅子に腰掛けていた。
だが、その瞳に映る影を、ラズは見逃さなかった。
「……どうして、何も言わずに」
低く絞り出すような声だった。
拳が、気づけば白くなるほど強く握られていた。胸の奥で、何かが欠けている。ずっとそこにあったはずのものが、ぽっかりと抜け落ちていた。
静かな人だった。
控えめで、決して自分を主張しなかった。
けれど、ふと気づくと、いつも傍にいた。
目が合えば、小さく微笑んでくれた。
言葉は少なくとも、その微笑みだけは、なぜか心に残って離れない。
──気づいていなかった。
あの存在が、どれほど温かかったのか。
「ラズ……?」
ミレイアが、不安そうに声をかける。
その顔に浮かぶ憂いが、ほんの少し、胸に痛かった。
「……すまない。今日は、帰る」
立ち上がり、背を向けた瞬間、胸の底に沈んでいた何かが、静かに波紋を広げはじめた。
──彼女は、俺のことをどう思っていたのだろう。
もう、訊くことはできない。
取り返しのつかない問いだった。
~~~~~~~~~~~
リリエルが修道院へ入ってからというもの、日々のどこかに、ぽっかりと空白があった。
【リリエルは病気療養のため、田舎の領地にいる】
──それが、表向きの説明だった。
婚約者はリリエルからミレイアへと変わった。
それは、周囲が望んだ未来であり、かつて自分自身も願っていた選択のはずだった。
それなのに──
心が、どこまでも遠かった。
「……今日は、元気がないね?」
お茶会の最中、ミレイアがそっと覗き込むように言った。
金の髪が光を受けて揺れ、宝石のような瞳が優しく揺れる。
誰もが憧れる、美しき恋人。
けれど、その笑顔が胸に刺さった。
「いや……少し、疲れているだけだ」
自分でも気づかないうちに、嘘が口をついて出た。
それは誰のための言葉だったのか。
どうして、自分の心を偽ろうとしているのか。
──本当に欲しかったのは、こんな日々だったのか?
思い出すのは、雨の日に差し出された小さな手。
ただ隣にいてくれた、静かな帰路。
言葉がなくても、すべてをわかってくれていた、あの瞳。
ミレイアは、少し頬をふくらませて微笑んだ。
「ほんとに? 無理してない?」
「……無理してないよ」
笑顔を返しながら、心はどこか、置き去りにされたままだった。
「なら、よかった」
交わされる言葉は、恋人たちのものだった。
けれど──心が、ついてこない。
その会話はどこか上滑りして、現実感を失っていた。
その後、庭園を歩きながら、学園時代の友人の話題で笑い合った。日常の一場面。幸福なひとときのはずだった。
だが、夕暮れが近づくにつれ、ラズの胸の奥は冷えはじめていた。
夕食の誘いを断り、ひとり馬車に乗り込む。
窓の外に流れる景色は、どこまでも灰色に沈んでいた。
そして、気づけば思い出していた。
──かつて隣にいた、あの人のことを。
「……遅すぎたのか」
誰にも届かぬように漏れた声は、
夜風に紛れて、静かに消えていった。
「……リリエルが、修道院に?」
その知らせを家令から聞いたのは、王都南部の遠征先から戻った日のことだった。
久々の休日。胸騒ぎのようなものを振り切るようにして、ラズはセイラン家へ馬を走らせた。
応接室には、すでにミレイアがいた。
彼女は1か月前まで昏睡状態にあったが、今はすっかり回復し、以前と変わらぬ華やかさで椅子に腰掛けていた。
だが、その瞳に映る影を、ラズは見逃さなかった。
「……どうして、何も言わずに」
低く絞り出すような声だった。
拳が、気づけば白くなるほど強く握られていた。胸の奥で、何かが欠けている。ずっとそこにあったはずのものが、ぽっかりと抜け落ちていた。
静かな人だった。
控えめで、決して自分を主張しなかった。
けれど、ふと気づくと、いつも傍にいた。
目が合えば、小さく微笑んでくれた。
言葉は少なくとも、その微笑みだけは、なぜか心に残って離れない。
──気づいていなかった。
あの存在が、どれほど温かかったのか。
「ラズ……?」
ミレイアが、不安そうに声をかける。
その顔に浮かぶ憂いが、ほんの少し、胸に痛かった。
「……すまない。今日は、帰る」
立ち上がり、背を向けた瞬間、胸の底に沈んでいた何かが、静かに波紋を広げはじめた。
──彼女は、俺のことをどう思っていたのだろう。
もう、訊くことはできない。
取り返しのつかない問いだった。
~~~~~~~~~~~
リリエルが修道院へ入ってからというもの、日々のどこかに、ぽっかりと空白があった。
【リリエルは病気療養のため、田舎の領地にいる】
──それが、表向きの説明だった。
婚約者はリリエルからミレイアへと変わった。
それは、周囲が望んだ未来であり、かつて自分自身も願っていた選択のはずだった。
それなのに──
心が、どこまでも遠かった。
「……今日は、元気がないね?」
お茶会の最中、ミレイアがそっと覗き込むように言った。
金の髪が光を受けて揺れ、宝石のような瞳が優しく揺れる。
誰もが憧れる、美しき恋人。
けれど、その笑顔が胸に刺さった。
「いや……少し、疲れているだけだ」
自分でも気づかないうちに、嘘が口をついて出た。
それは誰のための言葉だったのか。
どうして、自分の心を偽ろうとしているのか。
──本当に欲しかったのは、こんな日々だったのか?
思い出すのは、雨の日に差し出された小さな手。
ただ隣にいてくれた、静かな帰路。
言葉がなくても、すべてをわかってくれていた、あの瞳。
ミレイアは、少し頬をふくらませて微笑んだ。
「ほんとに? 無理してない?」
「……無理してないよ」
笑顔を返しながら、心はどこか、置き去りにされたままだった。
「なら、よかった」
交わされる言葉は、恋人たちのものだった。
けれど──心が、ついてこない。
その会話はどこか上滑りして、現実感を失っていた。
その後、庭園を歩きながら、学園時代の友人の話題で笑い合った。日常の一場面。幸福なひとときのはずだった。
だが、夕暮れが近づくにつれ、ラズの胸の奥は冷えはじめていた。
夕食の誘いを断り、ひとり馬車に乗り込む。
窓の外に流れる景色は、どこまでも灰色に沈んでいた。
そして、気づけば思い出していた。
──かつて隣にいた、あの人のことを。
「……遅すぎたのか」
誰にも届かぬように漏れた声は、
夜風に紛れて、静かに消えていった。
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