【完結】祈りの果て、君を想う

とっくり

文字の大きさ
22 / 42

22 王家の遣い

しおりを挟む
 朝の祈りを終えたリリエルは、掃き掃除のため庭へ向かっていた。

 ふと視線の先、木陰にユリアンの姿を見つける。彼は誰かと話しているようだった。見知らぬ男性。上質な生地の衣服に、高慢な立ち居振る舞い──貴族階級の者だとすぐに分かる。

(ユリアンさんのお知り合い……?)

 気になりながらも、無作法にならぬようにと気を配りつつ、彼らの横を通り過ぎる。だが、風に乗ってふと耳に届いた言葉に、リリエルは足を止めかけた。

「……様っ!」

 明らかに、敬称。それは目上の者、あるいは王侯貴族に対してのみ使われるもの。

(“様”?……ユリアンさんに?)

 思わず振り返りそうになる衝動を堪え、リリエルはそっと視線を落とした。ユリアンもまた、こちらに一瞬目を向けた──だが、すぐに何事もなかったかのように話を続ける。

 胸の奥に、名状しがたいざわめきが灯る。彼の深刻そうな表情が焼き付いて離れなかった。

(ユリアンさん……一体、何を抱えているの?)

 手にした箒の動きはぎこちなく、心はどこか、ユリアンの影に捕らわれたままだった。


 ~~~~~~~~~~~

 (ユリアン視点)


 ──リリエルとすれ違う、1時間前。


 修道院の裏手、苔むした古井戸の前。ユリアンはじっと空を見上げていた。

 昨日の夕暮れ、あの視線を感じたことを思い出す。鐘の音が風に溶けていくなか、確かにあった人の気配。けれど、姿はなかった。

「……また来てたか」

 呟きは風に消える。あれが、王家が放った“影”であることに、もう驚きはない。

 軍を抜け、旅人になってから定期的にその気配を感じていた。
 半月に一度か、数ヶ月に一度か──見られている、という確信は、この修道院に通うようになっても変わらなかった。もはや感覚ではなく、実感に近かった。


「俺の命が、まだ必要なのか。それとも、ただ邪魔なのか……」


 かすかな苦笑が漏れる。王家の血を捨て、名を捨て、死んだ者として生きてきた。それでもなお、自分は過去に縛られている。名もなく、穏やかな生活を手に入れたはずなのに、心のどこかに“燻る火種”があることを、ユリアン自身が誰よりよく知っていた。


 だからーーーー
 朝早くから、この修道院に訪れ自分と接触してきた者が、王家の影のものと思っていた。



「ユリアン様」



 その声に振り向くと、見慣れぬ男が立っていた。だが、その風格と立ち居振る舞いには、覚えがある。王宮時代、父王の側近の一人──旧派閥の中心人物。影ではなかった。
 

「第五王子ユリアン様。
……今こそ、お戻りいただきたい」


「……何を言ってるんだ?」


 男の言葉は熱を帯びていたが、ユリアンの表情は冷ややかだった。

「第一王子、エルネスト殿下がお亡くなりになりました」


 時間が止まったような感覚。だが、ユリアンの顔には動揺の色ひとつ浮かばなかった。


「……そうか。兄上が」


 まるで、遠く離れた国の、名前も知らぬ王の死を聞いたかのように。

「俺は、王族じゃない。あそこに戻るつもりはない」


 静かに告げるユリアンの言葉を、男は薄く笑って受け流した。

「相変わらずですな。
 ──理想ばかりを追い、自分の立場を弁えようとしない」

 その口調には、失望を装った侮蔑が滲んでいた。


「第二王子殿下は戦傷により軍務を退かれ、今では酒と女に溺れ、軍も貴族も見限った。第三王子に至っては妃の実家の傀儡同然。……おわかりですか? もはや“選べる”立場にあるのは、あなたしかいないのです」


 ユリアンは目を細めた。


「……エルネスト兄上には息子がいる。あの子が王位を継げばいい」


「十歳の子供に何ができましょう? 
王位が空席のままでは民心は離れ、貴族たちも不安に駆られ動き始めます」

「だから何だ」

「陛下もご病気を抱えておられる今、幼子に王冠を預けるなど、無謀にもほどがある。──今この国に必要なのは、“血筋”ではなく、“すぐに動ける器”です。
 そして、あなたはもう二十三。王の器として、これ以上にふさわしい者などいないのです」


「……俺は、スペアとして生まれた人間だ。あの人が死んだ時の“代わり”……けれど、“代わり”になれるほどには、完成されてもいなかった。何の価値もないと、ずっとそう言われて育ってきた。今さら何を言われても、信じる気にはなれない」


 ユリアンの低い声に怒気が滲むが、男は眉ひとつ動かさない。

「それは過去の話です、殿下。
 時勢が変われば、立場も変わる。──今はあなたが“使える駒”だと、そういうことです」

 まるで駒を盤に置くように、男は当然のように言った。

「我々は、あなたの才能も血も、美貌さえも、すべて承知していました。
 だからこそ、こうして“拾ってやっている”のです」

 その言葉に、ユリアンの表情が凍りついた。

「拾って……?」

「ええ。あなたは死んだことになっている。身分を捨て、影のように生きていた。
 しかし、今や“それ”すら利用価値があるということです。──我々は、あなたに王冠を与える。名誉も、権力も、再び手に入る」


「……都合のいい時だけ、“王子”に戻れと?」

 声が震えるほど低くなった。

「お前たちは、黙って見ていた。
 俺がこの世から“消される”のを。王家から捨てられ、誰一人助けようとしなかった。──それが、“拾ってやっている”だと?」

 ユリアンの瞳に、怒りというより、深い冷たさが宿った。

「俺は、あんたらのために生きてきたわけじゃない。誰のためでもない。
 今さら“期待していた”などと……都合のいい口をきくな」

 ユリアンの胸の奥に熱がこもる。

 かつて王宮の片隅で、息を潜めるようにして過ごした少年の日々。

 “お前はあくまで予備スペアだ”と冷たく告げられ続けたあの記憶が、再び彼の中で疼き始めていた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

王子様への置き手紙

あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。

大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」 「サム、もちろん私も愛しているわ」  伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。  告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。  泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。  リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。 どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。

【完結】あなたの瞳に映るのは

今川みらい
恋愛
命を救える筈の友を、俺は無慈悲に見捨てた。 全てはあなたを手に入れるために。 長年の片想いが、ティアラの婚約破棄をきっかけに動き出す。 ★完結保証★ 全19話執筆済み。4万字程度です。 前半がティアラside、後半がアイラスsideになります。 表紙画像は作中で登場するサンブリテニアです。

彼は政略結婚を受け入れた

黒猫子猫
恋愛
群島国家ザッフィーロは臣下の反逆により王を失い、建国以来の危機に陥った。そんな中、将軍ジャックスが逆臣を討ち、王都の奪還がなる。彼の傍にはアネットという少女がいた。孤立無援の彼らを救うべく、単身参戦したのだ。彼女は雑用を覚え、武器をとり、その身が傷つくのも厭わず、献身的に彼らを支えた。全てを見届けた彼女は、去る時がやってきたと覚悟した。救国の将となった彼には、生き残った王族との政略結婚の話が進められようとしていたからだ。 彼もまた結婚に前向きだった。邪魔だけはするまい。彼とは生きる世界が違うのだ。 そう思ったアネットは「私、故郷に帰るね!」と空元気で告げた。 よき戦友だと言ってくれた彼との関係が、大きく変わるとも知らずに。 ※関連作がありますが、これのみで読めます。 ※全13話です。

捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。

蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。 これで、貴方も私も自由です。 ……だから、もういいですよね? 私も、自由にして……。 5年後。 私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、 親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、 今日も幸せに子育てをしています。 だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。 私のことは忘れて……。 これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。 はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?

【完結】その仮面を外すとき

綺咲 潔
恋愛
耳が聞こえなくなってしまったシェリー・スフィア。彼女は耳が聞こえないことを隠すため、読唇術を習得した。その後、自身の運命を変えるべく、レイヴェールという町で新たな人生を始めることを決意する。 レイヴェールで暮らし始めた彼女は、耳が聞こえなくなってから初となる友達が1人でき、喫茶店の店員として働くことも決まった。職場も良い人ばかりで、初出勤の日からシェリーはその恵まれた環境に喜び安心していた。 ところが次の日、そんなシェリーの目の前に仮面を着けた男性が現れた。話を聞くと、仮面を着けた男性は店の裏方として働く従業員だという。読唇術を使用し、耳が聞こえる人という仮面を着けて生活しているシェリーにとって、この男性の存在は予期せぬ脅威でしかない。 一体シェリーはどうやってこの問題を切り抜けるのか。果たしてこの男性の正体は……!?

処理中です...