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苦痛の果てに《Ⅰ》

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 一人の女性がテーブルの上に置かれた紅茶を片手に愛読書を読んでいた。
 外見から、20歳前後の大学生と言われても信じてしまう。黒色の着物に色鮮やかな蝶々の刺繍――
 椅子に腰を掛けている姿は、絵画に残したいほどに美しい物であった。
 そんな彼女が通路の奥から、お茶菓子などを持った従者と思われる2人組がテーブルへと近付くのに気付く。

 「あずさ様、私が焼いたチョコクッキーです。紅茶に合うでしょうか?」
 「あぁ、藤乃ふじの……ありがとう。この紅茶に、甘いものは良く合う」
 「ねぇねぇ、梓様! この扉の奥って、たちばなの霊域ですよね? 私もいつか入れる?」
 「こら、文乃ふみの! 梓様の前です。もっと礼儀正しくして!」

 姉の藤乃が妹の文乃の頬をつねる。2人の仲の良さに梓が微笑む。
 すると、頑丈な鋼鉄製の扉の向こう側から凄まじい轟音が響いた。
 扉が大きく揺れ思わず文乃が藤乃の背中に隠れる。

 「……私、霊域に入りたいって言葉……やっぱ、いい」
 「――ふはははははッ!」

 文乃の萎縮した姿と先ほどの言葉を撤回した姿に梓は思わず笑った。
 懐から出した扇子で、口許を隠して声を挙げて笑った。
 そんな姿を見て2人は目を丸くする。
 梓は橘家と言う一族の当主だ。常に当主として立ち振舞いから、凛とした姿が印象強かった。
 だからか、梓が声を挙げて笑った姿を2人が見たのは初めてであった。
 扇子を閉じて、鋼鉄を遥かに凌ぐ硬度を持ったこの扉を前に、梓はどこか悲しげな表情を浮かべた。


 ――決して、扉には近付くな――


 梓が一族の面々に告げた言葉を2人は思い出す。なぜ、近寄るのを禁じたのかその詳細は定かではなかった。
 だが、ほとんどの一族の者達は知っている。梓もわざわざ周知する必要が無いと判断していた。
 3人の前で微かに轟音と共に揺れる大扉が、雄叫びの様な悲痛な叫びを挙げるかのように揺れる。







 ――扉の奥は完全な洞窟であった。光源となる松明も灯りもないのに洞窟全体が薄い青色に光っていた。
 特殊な鉱石なのだろうか、不思議な光を宿して固さも極めて高いと言われている。
 そんな鉱石に四方八方囲まれた洞窟の中で、ボロボロな服装で両腕を真っ赤に染めた男が立っていた。
 ただ静かに、自分の心と見詰め合っているかのように立ったまま動きを止めている。
 しばらくして、腕を振り上げると地面を力任せに叩いた。
 洞窟全体が揺れる。幾度も幾度も地面を叩いて、両手をさらに傷だらけにする。
 獣染みた眼光と歯を剥き出しにしながら、狂ったかのように地面を叩く。

 ――ズドンッ! ズドンッッ! ドゴンッッッ――!!

 男は髪を逆立て、怒りに身を任せていた。
 次第に周囲の鉱石が光を放ち、その光によって生まれた影から暗い紫色をした人形のような何かが現れる。
 その数は、優に数100を超えていた。
 四方八方の鉱石一つ一つが光を放っており、その1つの光から生まれた影から何体も現れている。
 顔を上げ、憎しみに呑まれた目で人形を睨む。
 男が叫び声を上げ、地面を蹴って人形へと飛び掛かる。
 身構えた人形の頭部に拳を食らわせ、力任せに地面はとその人形を叩き付ける。

 怒り狂った獣のように、再び吠えた――

 武術などではなくデタラメな力を振り回し、顔が陥没した人形を棒切れの如く振り回し次々と破壊していく。
 壊される度に増えていく人形を前に、男は洞窟を細かく振動させるほどの咆哮をまた挙げる。
 一瞬だけ動きを止めた人形を次々と潰して、破壊していく。
 怒りをぶつけるように、視界に写った人形が全て動かなくなるまで拳を幾度も叩き付ける。
 全身が鉱石なのか、拳に突き刺さった破片を口で乱暴に引き抜く。
 血が滴り、地面を赤く色付ける。
 そして、男は怒りに呑まれたその目で、再び出現した人形へと走り出した。

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