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第1章

思い出のナポリタン②

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 その日、仕事を終えて最寄りのスーパーに立ち寄っている間も、綾乃のナポリタンの話が頭から離れなかった。ランチの時に一応お店の名前を聞いて、休憩中にちょっと調べても見たけど、個人経営の小さなお店だったからか目ぼしい情報はなかった。
 そもそも、すでにお店はなくなっていたというし、仮に情報が出てきたとしてもどうすればいいかは見当もつかない。そんな考え事をしながらスーパー内を歩いていると、不意に見覚えのある男性が目に入ってきた。
 肉売り場で田野瀬くんが品物を吟味している。あまりに真剣な様子に声をかけていいのかちょっと悩ましい。見なかったことにして通り過ぎることもできずにその様子を見ていると、視線を感じたのか田野瀬くんが顔を上げた。
「あっ、三浦さん」
 わたしに気づいた田野瀬くんは少し恥ずかしそうに頬をかく。じっと見ていたわたしもなんだか決まりが悪くて、多分田野瀬くんと同じような表情を浮かべているんだろう。
「晩御飯の買い物?」
「うん、なんか鶏の煮物を食べたくなって」
 煮物かあ、最近食べてないなあ。自炊を全くしないわけじゃないけど、手がかかる料理は久しく作っていないと思う。
「へえ、田野瀬くんが作るの?」
「そうだけど……?」
 田野瀬くんがキョトンとした顔を浮かべて、わたしは慌てて両手を振る。昼に綾乃と話したことをつい確認してしまったけど、この感じだと自炊説が濃厚だと思う。まあ、だからどうしたってわけじゃないんだけど。
「んー、いいなあ。煮物、美味しそう」
「あはは、今度作って持っていこうか?」
「えっ、いいの?」
「まあ、どこまで行っても男料理だから味は期待しないでね」
 田野瀬くんがふわりと笑う。素直な感想を伝えたつもりだったけど、思わぬ収穫があった。期待するなとは言っているけど、わざわざ弁当を作ってくるくらいだし味は間違いないと思う。
 人に自慢できるような買い物をするつもりもなかったから田野瀬くんとはそこで別れて、改めて適当なサラダと小さめのお弁当を買って家へ帰る。この辺りのマンションのフロアを会社が借り上げて社宅にしていて、おかげで相場よりかなり手ごろな値段で住むことができている。
 電子レンジで温めるだけの晩御飯の支度をして、ノートパソコンの手前に並べる。昔は食事中にパソコンを眺めるなんてしてなかったけど、最近すっかり変わってしまった。動画サイトを開き、お目当ての生放送のリンクに飛ぶ。まだ放送開始前だけど、千人くらいが既に待機していて、コメントでやり取りが交わされていた。
 コメントのやり取りを眺めながら晩御飯を食べ、ちょうど食べ終わった頃に放送予定時刻を迎えた。画面が切り替わり、ゲームの待機画面とVtuberの姿が映ると、コメント欄の流れが一気に早くなる。
「はーい、こんばんはー。碧海ロロだよー」
 ボイスチェンジャーを通したと思われる中性的な声とアバター。それでも穏やかとわかる声色。それがVtuber碧海ロロの特徴だった。ロロが性別を明らかにしていないせいか、コメント欄では定期的にロロが男性か女性か、あるいは男の娘か僕っ子かという議論が盛り上がる。
「じゃあ、今日も雑談生始めまーす。聞きたいこととかあれば、コメントよろしくねー」
 つい最近までVtuberだったり生配信といったものには興味がなかったのだけど、たまたま見かけた碧海ロロの配信から聞こえてきた穏やかな声のトーンやその内容に惹き込まれてしまった。
 ロロは基本的にゆったり系のゲームをしながらコメントからの質問に答えたり、近況を話したりする。他のVtuberというのがどういうものかはよく知らないけど、そんなに珍しい内容ではない気がしているし、視聴者数も大体いつも千人くらいというところだった。
「んー、次のコメントは……。あ、この前観てくれた人だね。『アドバイス通りの場所を探したら本当に見つかりました!』っと、小学校時代の文集だったよね。見つかってよかったー」
 ロロの言葉にコメントの流れが速くなる。特に「また見つかったのか」とか、「俺の探し物も見つけてほしい」といったコメントが多い。ロロの雑談生では、視聴者が失くしたものとか探しているものを相談すると、ロロがアドバイスをするといったことが時々ある。
 わたしが初めてロロの実況を見たときも、ちょうど視聴者が探しているものについて数少ない情報から的確に場所を詰めていくところで、それがロロの実況にわたしを惹き込んだ一番のものだった。
 もしかすると、そのシーンに惹きこまれたのはわたしにもずっと前から探しているものがあるからかもしれない、なんてことを思う。
 ロロはいつものようにまた流れていくコメントをチョイスして、質問に答えたりしている。
 探しものかあ、と綾乃とナポリタンのことを思い出した。ロロなら何かこの問題にヒントをくれるだろうか。勝手に綾乃のことを書きこむのは気が引けるけど、ロロの雑談生はアーカイブを残していないし、そもそも多くのコメントが流れる中、わたしのコメントがロロに拾われる可能性も低い。
 少し悩んで、思い切ってコメント欄に書き込んでみる。ロロの放送を見始めてからしばらく経つけど、コメントを書き込むのは初めてでなんだかドキドキした。ちょうどロロが視聴者からの質問に答え終わり、次のコメントを探している気配がする。
「えっと、yoshimuraさん、でいいのかな? 『友人が昔通っていたお店がなくなって寂しがっています。どうにかしてあげたいけど、どうすればいいですか?』 んー、yoshimuraさん。お店の名前とかってわかるかな?」
 ロロが読み上げたのはわたしが書いたばかりのコメントだった。ただでさえドキドキしていたから、息が詰まりそうになる。ロロの質問に少しパニックになりつつ、綾乃から聞いていた店の名前を思い出す。
「『喫茶カツヌマ』っていうお店で、埼玉の行田市にあったらしいです」
「お店がなくなったのはいつ頃なのかな?」
「正確な日付はわからないけど、最後に行ったのは4年前で、先週行ったらなくなってたって」
 書き込みながら、我ながら曖昧な情報しかないことに今度は震えそうになってきた。そもそも、探し主本人ですらないし、見つければ終わりというものではない。出口も見えないのに、何で書き込んでしまったのだろう。さっそく後悔の念が湧いてくる。まさかロロがさっそく拾ってくれるとは思ってもいなかったとはいえ、迂闊だった。
 ロロはゲームの手を止めて、サイタマ、ギョウダ、という小さなつぶやきが聞こえてくる。
 カタカタとすごいスピードでキーを打つ音が放送からかすかに聞こえてくる。それから間もなく、これかな、という声とともに放送画面に写真がアップされた。
「ちょっとSNSからお借りしてきたんだけど、お店の外見って、これであってるかわかる?」
 牧歌的な街並みの中心に、クラシカルな佇まいの店舗。看板には「喫茶カツヌマ」という文字が書かれている。わたわたと画面をスマホで写真を撮り、綾乃に送信した。
――そうそう、このお店! だけど、もう閉店しちゃって諦めもついてるから、探したり無理しなくていいよ?
 ありがたいことに、早速綾乃からレスポンスがあった。けど、諦めもついてるなんて――そんなはずない。諦めがついている人は、ナポリタンを食べながらあんなに寂しそうな表情をしない。
「お店、ここであってます」
「よかった。個人経営でホームページもないし、ネットにはあまり情報ないんだけど、去年、急に閉店しちゃったみたいだね」
 わたしが調べたときは全然情報が出てこなかったのに、どんな調べ方をしたらこんなにすぐにわかるのだろう。これまでも一視聴者の立場でロロが探しものを見つける光景を見てきたけど、いざ自分が体感するとすっかり感心してしまう。
「それで、yoshimuraさんは、どうしたい?」
 感心してばかりもいられなかった。ロロからの問いかけに、頭を抱える。綾乃は諦めたと言っている。実際にお店は閉店していて、どうすれば綾乃のもどかしさのようなものを埋めることができるのだろう。
「友達は、自分で稼げるようになったらそのお店でナポリタンを食べに行くって約束したっていってました。もし、別の場所でお店がやっているなら、そこに連れて行ってあげたい」
 わたしが書きこむと、ロロは悩ましそうにんーと唸る。
「突然閉店したみたいだし、移転の場合は元のお店に移転先を書くだろうから、その可能性は低いかもしれないね」
 ロロは語尾を濁しているけど、確かに移転の可能性は低そう。綾乃はお店まで行っているし、そこで移転先に関する情報を得ることができなかったのなら、閉店したことを前提にした方がよさそう。だけど、どうすればいいのだろう。
「僕はyoshimuraさんの友達のこと、知らないけど。その友達さんはナポリタンを食べるためにそのお店に行きたいのかな?」
「えっと……?」
 ロロの言っていることがわからなかった。綾乃は確かにナポリタンを食べる約束をしたと言っていたし、だからこそ今日はLala’s kitchenでナポリタンを食べたり、そこで寂しそうな表情をしていたんだと思う。
 あれ。寂しそうな表情――?
「ナポリタンっていうのは目的じゃなくて手段であって、本当の目的は……例えば、お世話になったお店の人にお礼を言いたい、ってこともあるんじゃない?」
 綾乃のことを全く知らないロロの言葉のはずなのに、それはすっと腑に落ちるようにしみ込んできた。
 昔よく通っていたお店、と綾乃は言っていた。それに、わざわざ「自分で稼げるようになったら」という約束をしたってことは、お店の人は学生だった綾乃にとてもよくしてくれたのだろう。
 ナポリタンを食べたかったという綾乃の言葉に引きずられてしまったけど、綾乃は懐かしいお店に顔を出して、自分の金でナポリタンを食べて、色々な話をしたかったとしたら。
「でも、そうだとしても、閉店しちゃったらどうやって……」
「ここからは想像だけど」
 ロロの中性的な声は、悩みこむわたしを支えるように明るい。
「このお店、あまり人通りが多い場所にあったわけでもないし、個人経営ってことだから、この辺りに住む人が経営してた可能性が高そうだよね。順当に考えるとカツヌマさんがやってたと思うけど……えっと、裏技っぽいけど、視聴者さんのなかで住宅地図とか見れる人っている?」
 ロロの呼びかけに、ほとんど時間を置かずコメントが書きこまれる。
「私、仕事で住宅地図使うから、場所を絞り込んでくれたら空いた時間に探してみるよ」
 そんなコメントがいくつも並んだ。ロロはもちろんだけど、他の視聴者も見ず知らずの人の為に、どうしてこんなに手伝ってくれるのだろう。
 助けてくれた人たちへのお礼の気持ちと、確かな手ごたえを掴んだ感じが混ざり合って何とも言えない高揚感に包まれる。
 ありがとうございます、とコメントを打つ手は震えが止まらなかった。
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