顔も思い出せぬあの味をもう一度

粟生深泥

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第1章

思い出のナポリタン①

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「彩夏ちゃんは今日も綾乃ちゃんとご飯?」
 昼休みを告げるチャイムと共に席を立つと、向かいに座る香織先輩から声をかけられた。
「はい。なんかLala’s Kitchenの日替わりランチを食べたいって」
「あー、なるほど。今日はパスタの日だっけ?」
「そうですね。先輩も一緒にいかがですか?」
「ううん。せっかく同期水いらずなのに、上の人がいたらイヤでしょ? 楽しんできてね」
 笑顔の先輩に見送られて、部屋を出る。香織先輩はどこかぽやっとした雰囲気もあって、いい意味で先輩っぽさを感じないから、一緒でも全然かまわないんだけどなあ。
 エレベーターホールをちらっと見たけど綾乃の姿がなかったから、綾乃の部署の方へと向かう。「DX推進室」と書かれたプレートの部屋を覗き込むけど、こちらも綾乃の姿はなかった。急用でも入ったのかなと思ってスマホを見るけど、そちらにも特に連絡は入っていない。
「あれ、三浦さん?」
 部屋の前で綾乃の姿を探していると、後ろから声をかけられた。
「田野瀬くん」
 振り返ると、綾乃と同じく同期の田野瀬くんがお弁当箱を持ってこちらを見ていた。そういえば、田野瀬くんは綾乃と同じ部署だった。普段はほとんど話す機会もないせいか、あまり印象になかった。
「綾乃とお昼の約束してたんだけど、もう出ちゃった?」
「んー、昼休みの少し前に出ていったから、一度戻ってくるんじゃないかなあ」
 田野瀬くんがエレベーターホールの方に視線を向ける。
「彩夏っ!」
 ちょうど廊下の奥の方から声が響いてきた。見ると、綾乃がスマホを持って小走りで駆け寄ってくる。
「ごめん、急に電話かかってきて! さ、行こっ!」
 綾乃は待ちきれないというようにわたしの背を押していく。
「わ、わかったってば。じゃあ、ありがと、田ノ浦くん」
 田ノ浦くんは一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、優しく微笑んだ。そんな光景に不思議そうな顔をする綾乃とともに、エレベーターでビルの1階へと向かう。会社が入っている複合ビルの1階と2階には様々なレストランが入っていて、基本的には昼に建物から出なくても食事に困ることはない。
 目当てのLala’s Kitchenはテラス席のあるカフェレストランといったお店で、食事は当然美味しいのだけど、特に日替わりのランチはお手頃な値段とそれにいい意味で見合わない味が人気だった。今日もお店の前に列ができているけど、ありがたいことにいつもに比べればすぐに入れそう。
「でも、急にLala’s Kitchenのランチが食べたいなんてどうしたの?」
 気になっていたことを綾乃に尋ねてみる。これまでも一緒にランチに行くことは珍しくなかったけど、綾乃のチョイスは他のお店が多かった。なのに、今日は朝からLala’s Kitchenのランチが食べたいというお誘いがあったから、少し不思議だった。
「んー、今日のランチのメニューを見たら、急に食べたくなってね」
「今日のメニューは……えっと、ナポリタン?」
「そう、ナポリタン」
 綾乃とナポリタンという組み合わせが頭の中でつながらなかった。特別ナポリタンが好きだなんて話も聞いたこともないし、意外な組み合わせだと思う。
 理由が気になったけど綾乃が言葉を続ける様子はなく、この場で教えてくれることはなさそうだった。結局、その後は社内の噂とか他愛もない話をしているうちに店内の窓沿いの席に案内される。
 そのまま店員さんに二人分の日替わりランチを頼んでも、綾乃はまだナポリタンの理由を教えてくれそうにはない。
「そういえば、田野瀬くんっていつもお弁当なの?」
 とりあえず他の話題を、と思ったところで綾乃の部屋に行った時の光景を思い出した。彼が手に持っていたお弁当は恐らく手作りのもの。同期でも田野瀬くんのことはあまり知らないのだけど、自分で作ってきているのかな。
「んー、毎日ってわけじゃないけど、お弁当持ってきてることが多い気がする。けど、なんで?」
「いや、毎朝自分で作ってきてるんだったらすごいなあって」
 わたしは朝ごはんすら出勤途中に買ったもので済ませているのに、お弁当まで作ってきているとしたら尊敬ものだった。
「誰か作ってくれる人がいるのかもしれないよ?」
「えっ、ホントに!?」
「あれー、彩夏、気になるの?」
 少しニヤッと笑う綾乃の様子にハッとする。たしかに勘違いされてもしょうがないような反応をしてしまった。若干、誘導された気もするけど。
「気になるも気にならないも、田野瀬くんのことほとんど知らないし……」
 ただ単に、料理ができる男子というと記憶にボンヤリ引っかかる相手がいるだけで。もちろんそんなことを言えばさらに綾乃が食いついてくることは間違いないから、語尾をもにょもにょと濁す。助け船のように、ちょうど二人分のナポリタンが運ばれてきた。
 綾乃は楽しみでしかったなかったようにタバスコと粉チーズをナポリタンにかけると、早速ナポリタンを口に運ぶ。美味しそうに顔をほころばせた後、何故か少し物足りなさそうな顔になる。
 気になって私もナポリタンを食べてみるけど、甘みと酸味のバランスがよく、そこにチーズのコクとタバスコの辛みが絡まって素直においしかった。
「イメージしてる味と違った?」
 ナポリタンを食べつつ首を傾げたりしている綾乃に聞いてみる。まるでわたしがいることを今思い出したようにハッとした後、苦笑を浮かべた
「んー、実はね、高校生くらいの頃まで地元でよく通ってた喫茶店があるんだけどね。そこのナポリタンがすごい好きで」
 綾乃が懐かしそうに目を細める。失礼な話かもしれないけど、綾乃はボーイッシュなタイプでこうやって昔を懐かしむのは少し意外だった。なんだか今日の綾乃は意外ばっかりだ。
「そこのマスターと『自分で稼げるようになったらナポリタンをお腹いっぱい食べに行く』って約束してたんだけどね。それでこの前の週末、実家に顔出すついでに行ってみたら、もうお店がなくなってたの。ほら、それで、もうナポリタンの口になっちゃってたから」
 綾乃は笑って見せるけど、その顔はどこか寂しそうだった。ナポリタンの口、とは言っていたけど、綾乃にとってはどのナポリタンでもいいわけではなくて。Lala’s Kitchenの美味しいナポリタンでも、それは綾乃が食べたかったナポリタンではないんだろう。
 ちらりと窓から外を眺める綾乃の瞳が、しばらく頭から離れなかった。
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