顔も思い出せぬあの味をもう一度

粟生深泥

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エピローグ

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「まさか、またここでこの料理を食べられるなんてねえ……」
 喫茶カツヌマのテーブルには、所狭しとナポリタンやポトフといった料理が並んでいる。その料理を一口食べるごとに、勝沼さんは感嘆の声をあげながら幸せそうに笑っていた。
「おばちゃん、そんなに急いで食べなくてもいっぱいあるから!」
 勝沼さんの隣で綾乃も笑っている。もっとも、そんな綾乃の取り皿にはナポリタンが山盛りで取り分けられていて、余り説得力はない。
 さらに綾乃の隣では、香織先輩が「料理系Vtuberというのも……」とかちょっと不穏なことを呟いていた。
 今日の主役は勝沼さんだけど、もう一人の主役は喫茶カツヌマのキッチンで腕を振るっていた。そのキッチンの方に視線を向けると、田野瀬くんが料理を作りながら和田さんと何か話している。
 話の始まりは、落ち着いた地域での出店を考えている和田さんに喫茶カツヌマを紹介しようという話だった。和田さんの担当である香織先輩に事情を話してから、まずは勝沼さんにお店を紹介していいか相談しようとなって、綾乃に話を持ち掛けたところ条件を一つ出された。
――おばちゃんにもう一度、喫茶カツヌマの料理を食べてもらう。
 ということで、和田さんを喫茶カツヌマに案内するタイミングで田野瀬くんも連れて行き、料理を作ってもらおうということになった。最初田野瀬くんは、料理を仕事とする人と一緒に行くのに自分が料理をつくるなんてと固辞したけど、「おじちゃんの味を思い出すのは田野瀬くんの料理だから」という綾乃の言葉と、「いいから」という香織先輩の鶴の一声ですべて決まった。本当に香織先輩には逆らえないらしい。
「本当にいいお店ですね」
 キッチンにいた和田さんが飲み物を運んできてくれた。和田さんのその言葉に、勝沼さんが大きな笑顔を浮かべて頷く。
「そうでしょう、そうでしょう。私達の自慢のお店なの」
「よかったんですか。譲ってもらってしまっても」
「いいのよ。このお店も私以外誰も来なくなって寂しがってたから。またここにお客さんが来て、幸せそうに笑ってくれるなら、こんなに嬉しいことはないの」
 私もまた料理を食べに来られるしね、と茶目っ気っぽく勝沼さんが笑う。
 勝沼さんは和田さんにお店を譲ることを快諾してくれた。和田さんもこのお店を気に入ってくれたようで、妻を連れてこられなくて残念だとしきりに言っていた。
 ちらっと店の端に視線を向ける。みんなの荷物を纏めておいているけど、和田さんのカバンの中にはレシピのノートが入っている。このお店についた時、田野瀬くんが和田さんに渡していた。田野瀬くんもレシピを色々試していたはずで、いいの?と聞いてみると、「せっかくのレシピだから、多くの人に食べてもらえる人に渡した方がいい」と笑っていた。
「デザート用意したので置いておきますね」
 その田野瀬くんが大きめの皿を運んでくる。艶っぽい白いものが載っていて、まさかと思う。それは、ホールのチーズケーキだった。
「あら? あの人、チーズが苦手だったから、チーズケーキだけはメニューになかったと思うんだけどねえ」
「すみません、これだけは僕のオリジナルなんです。よかったら召し上がってみてください」
 田野瀬くんがチーズケーキを切り分けながら微笑みかけると、勝沼さんは迷いなくチーズケーキにフォークを伸ばす。口に含んだ瞬間、あら、と再び顔をほころばせた。
「あの人と一緒になってから一度も食べてこなかったけど、チーズケーキってこんなにおいしかったのねえ」
 勝沼さんの言葉で綾乃や香織先輩が我先にとチーズケーキに手を伸ばす。その脇で和田さんがチーズケーキを口に含んで「これは、すごいなあ」と呟いてるのが聞こえてきて、なんだかわたしまで誇らしい気分になった。
「さ、三浦さんもどうぞ」
「……うん」
 ちょっとドキドキしながらチーズケーキを口に運ぶ。
 あの日と同じ味が口に広がった。素朴なのに、甘さと酸味の濃厚さのバランスがとてもいい。そもそもそんな御託はいらなくて、ただ美味しくて、懐かしくて、ぎゅっと胸を締め付けられる。
 そうやってみんながチーズケーキを食べるのを見ると、田野瀬くんがキッチンに戻っていった。先に片づけを始めているようだ。
 ふと視線を感じる。みると、綾乃が意味ありげにわたしのことを見ていた。
 まあ、言いたいことは大体わかる。
 それとなく席を立って、田野瀬くんの後を追ってキッチンに入る。
「片付けくらい手伝うよ」
「うん。ありがとう」
 田野瀬くんが洗った調理器具や食器を拭いて、元の場所に戻していく。
 ただ手伝っているだけなのに、ソワソワするのはどうしてだろう。
「チーズケーキ、美味しかったし懐かしかったよ」
「よかった。久しぶりに作ったから、ちょっと緊張した」
「あの時と同じレシピ?」
「一応、記憶の範囲では、だけど」
 その言葉で、またちょっと泣きそうになってしまう。
 あの日のことを思い出してから、すこし涙腺が緩くなってしまった。
「ね、田野瀬くん。久しぶりに村まで来てみない? 今度、夏祭りがあるから、そのときにでも」
 いいね、と田野瀬くんは頷いてくれた。
「夏祭りは留学の時に行ったきりだけど、すごい楽しかった思い出あるし。それに、この前屋台風に色々作ったけど、やっぱり祭りの雰囲気で食べるのとは違うしね」
「うん。田野瀬くんのこと探すの手伝ってくれた友だちも紹介したいし、それから……」
 もし機会があったら誘おうと考えてたけど、続きを伝えるか少し悩む。キッチンからみんなの方をちらりと見ると、綾乃がこちらを向いて頷いた――気がした。
「ちょっとわたしの実家にも顔出してくれると、嬉しいなあ、って思ったり」
「え、実家に?」
「両親とも、そろそろ結婚しろってうるさくてね。最近は知らないところでお見合いの話用意しようとするし。だから、彼氏のフリ、してくれたらありがたいなあ……なんて」
 思い切って田野瀬くんの顔を見ると、ポカンとしていた。
 やっぱり、色々飛ばしすぎたかな。これでやっぱり村に行かないとかなるのはイヤだった。実家に行くのは無しでいいから、あの頃のようにまた一緒にあの道を歩いてみたかった。
 心配しながら田野瀬くんの様子を見守っていると、やがてこらえきれなくなったようにくつくつと笑い始める。
「“フリ”ね。うん。僕で務まるかわからないけど、面白そうだね」
「いいの!?」
「お手柔らかによろしく」
 たったそれだけの言葉で、なんだかフワフワする。この前村に帰った時、チヒロから「耐性がない」と言われたけど、その通りだった。その通りだけど、それでよかった。今のこの気持ちを大切にしたい、なんていうのは流石に口には出せないけど。
「綾乃ちゃんー、田野瀬くんー。和田さんそろそろ結婚式の打ち合わせで帰らなきゃいけないらしいから、みんなで写真撮ろー」
 香織先輩の声に、田野瀬くんと顔を見合わせてフロアに向かう。いつの間にかテーブルの一つにスマートフォンが置かれて、その正面に勝沼さんを囲うように記念写真の準備がされていた。
「そうだ、せっかくだから後で右上の辺りにロロのアバターも足してみない?」
「ちょっ、先輩。外でその話は」
 楽しそうな香織先輩に田野瀬くんが顔をしかめる。
「大丈夫、ここにいる人はみんなロロとつながってるんだから」
「だからって……いや、百歩譲ってそうだとして、それなら何で欠席者枠なんですか」
「え? 製作者の隣に並べるとでも?」
「そういうの、パワハラって言うんですよ」
 流石というか、息の合ったやりとり。これを見ると、あの日わたしが勘違いしたこともしょうがないんじゃないかって気がする。
 それがちょっと悔しくて、隣に立つ田野瀬くんの手に自分の手をそっと滑り込ませる。
 田野瀬くんが驚いたような視線だけをわたしに向けた。
「練習……。村に帰った時のための」
 田野瀬くんは何も言わなかったけど、驚いた顔をくしゃっと破顔させた。今は、それだけで十分。
「さ、じゃあ、撮るよー!」
 スマホを操作していた綾乃が小走りで勝沼さんの隣に並んで座る。その反対側には和田さんが座っていて、三人の後ろに香織先輩、田野瀬くん、わたしの順で並ぶ。
 数か月前のわたしにこの写真を見せたらきっと驚くだろう。それから、隣に立つ人がずっと探していた人だと教えたらどんな顔をするのだろう。
 スマホからシャッター音が響く。
 綾乃が画面を確認すると、わたしたちにも見せてくれた。
 みんな幸せそうに笑っている。
 喫茶店の窓から、一筋の光がさして勝沼さんの方に伸びている。勝沼さんの視線はカメラの方を見つつも、その光を愛おしそうに眺めているようにも見えた。
 その後ろで、少しだけ他の人たちより近い田野瀬くんとわたしの手。

 わたしはきっとこの日のことをいつまでも忘れない。そんな予感がした。

――だって、さっき食べたチーズケーキにも、魔法がかかっているはずだから。
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