波乱万丈

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専門学校中退

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 中学を卒業したあと、うちが入学した学校は、結局、東京航空工業専門学校の自動車科である。
 うちは、青森に行く気満々だったのだが、親父と継母に千葉なら良いが、青森は遠すぎると言って反対され行かせてもらえなかったのである。
 東京工専は、3年間通って最終的には、車の3級整備士を目指す学校で、取れる資格は何でも取らせるというのが教育方針の学校で、毎月必ず何かの資格を取らされる。
 1年生のときに取った資格は、無線レーダー、アーク溶接、ガス溶接、グラインダー、フォークリフト、小型建設車両、産業ロボット、危険物乙四などである。
 3年間の間に、40~50種類の資格を取ることができる学校である。
 東京工専は、東京、千葉、神奈川、埼玉の各中学校を卒業した者が通っていた。
 ほとんどが、不良生徒の集まりだったから、テストも簡単だったのである。
 資格を取るときは、公民館を貸し切り、全クラスがまとまって講習を受ける。
 しかも、必ずテストに出る問題を全部教えてくれるので、ほとんど全員が合格をするというとても素晴らしいシステムを採用していた学校であった。
 授業もほとんどが車の整備や、資格に関係のある授業や、パソコンの勉強で、普通の授業は小学校の復習程度であった。
 変わったところでは、うちの通っていた学校には、水深五mのプールがあり、スキューバダイビングも教えていた。
 学校はとても楽しい学校であった。
 先生たちは、みんな竹刀の短いやつを持っていた。
 何かやらかしたりすると、“工専名物”ケツバットをされる。
 そう、うちの通っていた東京工専は、“男塾”を地で行くような学校だったのである。
 入学して早々に、沖縄旅行があった。
 4泊5日の旅行だった。
 1日目は、本島のホテルに泊まった。
 東京工専はかなり変わった学校で、普段はタバコは絶対にだめで、抜打ちで荷物検査がある。
 もちろん、そのときにタバコが見つかればケツバットである。
 しかし、旅行のときはタバコもお酒も怒られない。
 許可してくれるのである。

昔、ホテルで隠れてタバコを吸い、ボヤ騒ぎを起こした先輩がいて、それ以来、隠れてボヤ騒ぎを起こされるよりはということになったそうである。
 うちも先生と一緒にお酒を飲んでいる。
 初日から、ホテルに荷物を置いてからは自由行動だった。
 友達と国際通りに行き、買い物をしたりして楽しんだ。
 サトウキビを初めて食べた。
 目茶苦茶甘くて、そればかりかぶりついていた。
 2日目はフェリーで渡嘉敷島に行き、民宿に泊まり、海で泳いだり、ジェットスキーに乗ったりして楽しみ、夜は釣りをした。
 3日目も午前中は海で泳ぎ、午後は再び本島に戻って自由行動。
 4日目はバスで本島を観光し、夕方以降は自由行動。
 そして5日目に、ソウキソバを食べてお土産を買って帰宅した。
 東京工専に入学してから、家に帰る時間がとても遅くなった。
 いつも夜遅くまで、友達と遊んでいた。
 うちは、先生たちとも仲が良かった。
 よく先生に、レストランなどに連れて行ってもらい、食事をおごってもらったりしていた。
 先生の前では利口に振る舞い、先生には目を付けられないようにしていたが、目の届かないところでは、スクーターを盗んでは乗り回したりしていた。
 うちは、クラスメイトを脅して、バイトをやらせていた。
 新聞配達である。
 夕刊は学校が遅くなったりするから、朝刊だけやらせていた。
 毎月の給料は、うちが残らずもらっていた(奪い取ってという方が正しいかもしれない)。
 Aというクラスメイトで、Aはうちの都合の良い金づるであった。
 入学早々にAに目をつけたうちは、ちょこちょこ学校が終わると、人気の少ない学校から少し離れた公園に、Aを呼び出していた。
 学校にいるときは、Aとは一言も話をしない。
 必ず公園に呼び出して、そこで接触するようにしていた。
 だからクラスメイトも先生も、うちがAを脅してバイトをやらせたりしていたことを全く知らない。
 最初のうちは、持っているお金を脅して巻き上げていたのだが、どんどんエスカレートしていき、貯金も全て調べ上げ、バイクを買ったりした。
 最終的に貯金がなくなり、Aにバイトをさせることにした。
 そのおかげで、お金に困ることは全然なかった。
 Aは毎月必ず、給料を持ってきた。
 給料は学校が終わってから、公園で受け取っていた。
 給料明細と一緒に受け取っていたから、金額を誤魔化されるようなこともなかった。
 こうしてうちは、毎月のお小遣いを楽して儲けていた。
 Aとのこういった関係は、うちが二十歳すぎになるまで続いた。
 携帯を契約させて持ったり、Aの親や、おばちゃんの通帳まで持ってこさせて、そのお金まで使い果たした。
 Aには、とても酷なことをさせていた。
 そのおかげで、うちはかなり楽な生活を送っていたのである。
 東京工専に入ってからのうちは、自分でもビックリするくらい、急に変わった。
 家に帰るのも遅くなり、何よりも、やることがずる賢くなった。
 学校を理由にすれば、いくらでも遅く帰れた。
 東京工専は、実際に資格を取るときの講習でしばしば遅くなることもあったから、疑われることがなかったのである。
 学校では、先生に目を付けられるのは嫌だったから、なるべく目立たないように、先生との交流もしていた。
 目立たないようにするために、逆に学校では先生と交流を広く持ち、情報収集をしていた。
 そう、うちは普通のヤンキーとは逆の行動を取っていた。
 学校にいるときは、先生ともとてもフレンドリーに付き合っていたのである。
 敵に回すより、味方につけておくほうが利口だと考えたのである。
 だからよくご飯を奢ってもらったり、休みの日には、バーベキューをクラスメイトや先生と行ったりもしていたのである。
 そのおかげでタバコの抜き打ち検査も、うちは常に事前に情報を聞いていたから、見つかることはなかった。
 学校には、最初のうちは中央線で通っていた。
 自転車で武蔵境の駅まで行き、そこから西荻窪駅まで中央線に乗って通っていたが、毎日すごく混むのが嫌で、自転車で行くようになった。
 夏休みが終わると、Aにバイクを買わせて、バイクで通学をしていた(うちの学校は、バイク通学も許していた)。
 しかし、うちはまだ無免許だったため、学校から少し離れたところにバイクを止めていた。
 結局、毎回学校から離れたところにバイクを置くのが面倒臭くなり、電車通学に変えた。
 田無駅から西武新宿線で、井荻駅まで行き、そこから歩いて学校に通った。
 こっちだと電車もあまり混むこともなかった。
 しかし、井荻駅から30分弱歩くことになった。
 もともと歩くのは嫌いではないうちだから、苦には感じなかった。
 ある時、いつもより少し早く家を出て、西武新宿線に乗った。
 すると、外人の集団がその電車に乗っていた。
 うちと同じで、どこかの学校に通学中のようで、男女ともに10人くらいいた。
 次の日、同じ時刻に同じ電車に乗ると、同じメンバーがやはり電車に乗っていた。
 土日以外は毎回同じ時刻の電車で来ることが分かり、うちも毎回同じ電車に乗った。
 田無駅から井荻駅までだと、毎回20分くらいしか会えない。
 もっと長く会うには、どうしたら良いのかを考えたうちは(ほとんどストーカー行為だ、ここまでいくと......)、まず毎回同じ時刻の電車に乗ってくることから、その電車の始発駅を調べ、拝島駅だということがわかった。
 その時のうちは必死だった。
 なんとか友達になりたいと、そればかり考えていた。
 そう、ここまで記せばもうお分かりだろう......。
 初めて電車で出会ったときに、“一目惚れ”してしまったのである。
 何故かその時だけは、自分の衝動を抑えることができなかった。
 叶うことのない思いだとは分かっていても、どうすることもできなかった。
 うちは、バイクで拝島駅まで向かい、電車に乗り込み、いつもみんながいるところにいた。
 すると、いつものメンバーが、電車に乗り込んできた。
 まさか、拝島駅から乗り込んでくるとは思っていなかったからビックリである。
 そして、同時にみんなが住んでいるところは、横田基地だなという予想をした。
 うちは、普段だったら外国人でも自分から声をかけられるのに、このときばかりはそれができず、自分でもビックリした。
 声を掛けたいのに、全くできないのである。
 嫌われるんじゃないかと、そんな心配ばかりしていた。
 拝島駅から電車で来てることを知ってからは、うちは、毎日わざわざ拝島駅まで行った。
 そうすれば、1時間弱は一緒にいることができたからである。
 学校を早退してまでして、帰りの電車も調べた(完全にストーカーです)。
 あとは、話さえできれば良いのにと思っていたある時、初めて目が合った......。
 その後のことは覚えていない。
 我に返ったときには、話をしていた!!
 夢のようであった。そして、凄く嬉しかった。
 話をできただけで幸せだった。
 名前は、J君。
 うちの予想通り、横田基地に住んでいた。
 うちはほとんど英語を話せなかったのだが、日本語をペラペラに話せる子が2人いたから、通訳をしてもらいながら話をした。
 J君と毎日話しをできるようになってから、うちは毎日英語の先生のところに行き、J君と話したいことをノートに書いて、それを先生に英文に直してもらったりしていた。
 J君と話をできるようになってからのうちは、1日中J君のことばかり考えていた。
 J君は今何をしているのか、どこにいるのか、いろんなことを考えていた。
 J君のことを考えると、J君がいつも側にいるような気さえした。
 J君と話をするようになってすぐ、J君から手紙を渡された。
 学校に着くとすぐに先生のところに行き、手紙を翻訳してもらった。
 手紙の内容は、J君の家への招待と、拝島駅での待ち合わせの時間が書いてあった。
 待ち合わせの時間は、まだ学校にいる時間だったが、J君と学校、言うまでもなくJ君をとった。
 その日は、授業どころではなかった。
 この日に限って、ものすごく時間が経つのが遅く感じた。
 午後になって、学校を抜け出し、井荻駅でJ君が乗ってくる電車を待った。
 その電車が、拝島駅に待ち合わせの時間につく電車なのである。
 電車に乗ると、J君といつものメンバーが乗っていた。
 うちは、J君の隣に座った。
 J君の家に行けるということが、夢のようであった。
 拝島駅に着くと、J君のお母さんが車で迎えに来てくれていた。
 車に乗ると、横田基地に向かって走り出した。
 この日、初めて横田基地の中に入った。
 まるでアメリカに来たような気分だった。
 基地の中は芝生がきれいに敷き詰められていた。
 基地の中に入るには、そこに住んでいる人に迎えに来てもらい、一緒に入らないと入ることができない。
 この日を境に、何回かJ君の家に遊びに行っているが、その都度J君のお父さんかお母さんが拝島駅に迎えに来てくれた。
 帰りもやはり、駅まで送ってもらっていた。
 J君の家につき、まず戸惑ったのが、靴をどうするかである。
 アメリカ人が靴のまま家に入るのは知っていたのだが、果たしてうちもそのまま上がっても良いのかがわからず、戸惑っていたら、J君に手を引かれ、そのまま上がっても良いのだとわかった。
 J君の家は二階建てで、お兄さん、お姉さんがいた。
 お姉さんは、毎日電車であっていた一人であった。
 まさか、J君のお姉さんがいたとは全然思っていなかった。
 紹介をされたあと、J君の部屋に行き、ゲームをしたりして二人で過ごした。
 友達の家に上がって遊ぶことはあったが、ドキドキしたのは初めてであり、自分を落ち着かせるのが大変であった。
 J君や、J君の家族に、J君に対する気持ちを悟られるのが怖かった(まさか、バレてたのかな......それはないよな......)。
 J君のお父さんとお母さんは、二人でキッチンに立ち、料理を作っていた。
 二人の姿を見て、仲が良いなと思った。
 そして、うちの理想的な姿であった。
 うちが、家族はやっぱりこうだよなと思ったのは、J君ファミリーである。
 みんなとても優しかった。
 この日、J君の家で料理をごちそうになった。
 みんなでテーブルを囲み、食事をした。とても楽しい時間を過ごすことができた。
 J君の家に遊びに行くと、一緒にゲームをしたり、外で遊ぶときはアメフトをやったりして遊んだ。
 J君と一緒に過ごした日々は、うちにとってはすごく幸せな日々だった。
 2月はバレンタインがある。
 アメリカと日本では少し違う。
 日本の場合は、2月14日に女の子から男の子へプレゼントを渡す日だが、3月14日が、男の子が女の子にプレゼントを渡す。
 ところがアメリカは(というより、日本だけが、ホワイトデーというものがあるらしい)、2月14日にお互いにプレゼントを交換するらしく、ホワイトデーなどというものはない。
 うちがそのことを知ったのは、バレンタインが終わってしばらくしてからである。
 いつものように拝島駅まで行き、J君を待った(J君と友達になったあともずっと拝島駅まで行っていた)。
 J君が来ると、電車に乗った。
 そのときに、J君からプレゼントを貰った。
 気を失いそうになるくらい、嬉しかった。
 まさかJ君から、バレンタインのプレゼントを貰えるとは思っていなかった。
 うちは、J君に3月14日にプレゼントを渡した。
 J君に、バレンタインのお返しとは言っていない。
 まさかアメリカにホワイトデーがないとは知らなかったので、3月14日に渡したのだが、J君はあのとき、意味がわかってなかったのかな......とあとになって思った。
 ホワイトデーが終わったあと、悲しいことを知った。
 それは、J君が4月にアメリカに帰ってしまうという内容である。
 あまりにもショックが大きくて、泣いてしまったことを今でも覚えている。
 あのときのショックは本当に大きくて、一時先輩がすごく心配してくれた時期があった。
 あのときは、この世の終わりかと思うくらい落ち込んだ。
 何度泣いたか覚えていないくらい毎日泣いていた。
 J君と過ごした最後の日は、昭島に行った。
 それを最後に、J君とは会っていない。
 しかし、友達になった一人の女の子が、J君のアメリカの住所を教えてくれた。
 J君と話をしたかったうちは(J君の声をとても聞きたかった)、色々と調べて、J君の家の電話番号を調べることができたのである!!
 これは、本当に本当に嬉しかった。
 J君の住所を教えてくれた女の子に、本当に感謝した。
 J君の家の番号を調べたあと、うちは日本との時差も調べて、J君の家に電話をした。
 最初にお母さんが出た。
 お母さんはとてもビックリしながら、J君に代わってくれた。
 J君の声を再び聞くことができて、本当に本当に夢のようであった。
 公衆電話だったから、本当に数分しか話をできなかったが、それでも良かった。
 もう二度と、J君の声を聞けないと思っていたうちからしたら、たった数分だったが、それでも良かった。
 それからは、たまにJ君の家に電話をして話をしたり、手紙を書いたりした。それだけで満足だった。
 結局このあと、J君とは何回か手紙のやり取りをして、もう20年以上連絡を取っていない。
 少年院や刑務所に入るようになり、連絡が取れなくなってしまった。
 でも、もしかすると、J君の居場所を調べる気になったら、調べられる気もする。
 なぜかと言うと、16歳のときに少年院に入り、その後またすぐ2回目の少年院に入り、なんだかんだで20歳になったある日、4年ぶりにJ君の家に連絡をしたことがある。
 覚えていたJ君の家に電話をしたら、残念ながら知らない人が出た。
 番号を変わったことを知り、電話を切ろうとしたら、その人が違う番号を教えてくれた。
 そう、そればJ君の家の番号だった。
 なぜその人が、J君の家の番号を知っていたのかはわからないが、本当にラッキーだったと思う。
 教えられた番号に連絡をしたら、J君の家だった。
 4年ぶりにJ君の声を聞いた。そして、手紙もくれた。
 だから、20年ちょっと経った今も、なんとなく連絡を取れそうな気がする。
 もう、忘れられてるかもしれないが......。
 もし連絡を取れたとしても、J君のお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、そして何よりもJ君にだけは、少年院や刑務所に入っていたことや、クスリ(覚せい剤)をやっていたことだけは、絶対に知られたくない。
 J君のことを思い出すと、本当に女の子として生まれてきたかったなと思ったりする。
 J君がアメリカに帰ってもう20年以上経つが、うちにはそんなに月日が経ってしまったような気がしない。
 ついこの間の出来事だったような気がしてしまう。
 話を少し前に戻す。
 ホワイトデーが終わった3月下旬頃、うちはクラスメイトと、盗んだ原チャリに乗って友達の家に向かっていた。
 その途中で、お巡りさんに何回か追いかけられたりして、最後調布駅の近くで道を塞がれ、お巡りさんに突っ込んでいき、そのまま横滑りをして、原チャリはお店に突っ込んでしまった。
 うちと友達は、原チャリが横滑りした直後に飛び降りた。
 運よく怪我をしなかったから、そのまま走って逃げた。
 しかし、うちはメットインの中に荷物を入れたままだったから、家に帰れば捕まると考え、その日を境に家出を実行した。
 その日は土曜日だった。
 まずうちは、調布の友達の家に行き、その後青梅に住んでいる友達の家に行った。
 Oと言い、同じクラスメイトで、よく一緒につるんでいた友達である。
 土曜日と日曜日をOの家で過ごし、これから先どうするかを考えた。
 前々から早く家を出たいとは考えていたが、まさかこんな形で家を出ることになるとは想定していなかったから、なかなか良い考えが浮かばず、月曜日になってしまった。
 いつまでもOの家にいるわけにもいかず、うちはOの家を出た。
 これからどうするか、どこへ行こうかと考えていたら、知らないおじさんにいきなり声をかけられた。
 うちは最初、誰かも分からないおじさんに声をかけられ、警戒した。
 いきなり、
「君、家出して行くところがないのか?」
と声をかけられたからである。
 なぜ、そんなことをいきなり言われたのか、うちにはさっぱり分からなかった。
 最初は無視していたが、そのおじさんは
「警察じゃないから安心しな」
とうちに言い、家はすぐそこだと言う。
 Oが住んでいたマンションと同じところだった。
 友達の家が近いという安心感から、そのおじさんの家に行った。
 自分のことはまず何も話さないで、まずおじさんの話を聞くことにした。
 おじさんは沖縄から出稼ぎで青梅日立産業に務めに来ているのだと言って、社員証を見せてもらった。
 怪しい人ではないことはわかったが、なぜうちに声をかけてきたのかは、正直分からない。
 しかし、信用しても大丈夫そうだったから、うちは正直に、
「家出をしたのだが、これからどうしようかと考えていたところを、声をかけられた」
と話した。
 するとそのおじさんは、工場で住み込みで働くなら、親戚ということにして、保護者になってくれると言ってくれた。
 その日は答えを出さず、考えることにして、おじさんのところに一日泊めさせてもらった。
 あとで知ったのだが、そこの部屋は寮として借りていたようである。
 おじさんはそのまま仕事に行ってしまった。
 夕方仕事から帰ってきたおじさんは、すでにうちのことを上司に話したようで、しかも住み込みで働けるように話もしてくれていた。
 それならと思い、うちも青梅日立産業で働くことに決めた。
 次の日、おじさんと工場に行き、住み込みで仕事が決まった。
 すぐに寮に行き、説明を受けた。
 おじさんのところとは違うところで、工場の敷地内に寮はあった。
 その日は色々と説明を受けて、次の日から仕事に行った。
 暫くの間は、仕事が終わるとおじさんのところに行って寝たりしていた。
 仕事を初めて数日後、いつものようにおじさんの部屋から仕事に行こうとしたら、外に親父がいて見つかってしまった。
 Oの親に言われたのである。
 うちがずっと家に帰らなかったから、親父はクラスメイトの家に片っ端から電話をして、Oの親からうちのことを聞いたらしい。
 うちは何も口を利かなかった。
 うちの様子に気づいたおじさんが近づいてきた。
 おじさんに一言、「親父」と言ったら、おじさんは、
「君は先に行って、仕事をしてなさい」
と言ってくれたので、うちはそのまま仕事場に向かった。
 おじさんとうちの仕事場は全然場所が違うところだったから、仕事が終わるまでどうなったのかわからなかったが、仕事が終わってからすぐおじさんのところへ行き、話を聞いたら、親父は納得して家へ帰ったらしく、そのまま日立産業で働けることとなった。
 後日学校に行き、辞めることを伝えた。
 本当は、学校は辞めたくなかったのだが、家を早く出たいという気持ちのほうが強く、辞めることにした。
 学校を辞めて一番辛かったのは、J君と毎日会えなくなってしまったことである。
 この時はまだ、J君がアメリカに帰ってしまうということを知らなかった。
 もし、知っていたら、あの時に学校を辞めようとは考えなかったと思う。
 人生とはなかなかうまく行かないものだと思った。
 こうして学校を辞めて、青梅で住み込みで働くようになり、J君と悲しい別れを迎えたうちの人生は、この後どんどん狂いだし、暴走してしまう。
 好き勝手なことをやり、少年院や刑務所を出たり入ったりを繰り返してしまうのである。
 こんな姿をJ君にだけは見られたり、知られたくない。
 少年院や刑務所に入ることさえなければ、本当はJ君とも連絡もできていたのである。
 誰が悪いかというと、そういうことをずっとしてきた自分が一番悪いのである。
 もっと早く気付くべきだったのである。
 ある意味、うちがJ君を裏切ったのだから、J君に会う資格などうちにはないのである。
 でも、J君と出逢ったことを、うちはいつまでも、大切な思い出として心の奥にしまっておきたい。


 これから先のお話は、いわばうちの犯罪史になってきます。
 不快に思う方も出てくるかもしれません。
 ご了承願います。
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