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第1話 父が遺したもの ①

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時は室町時代末期。

 日本最大級の湖・琵琶湖を有する近江。その北東に大谷村と呼ばれる小さな村があった。

 元亀元年(一五七〇年)、四月。
村人達が田植えの作業をしている。十歳前後の少女が二人、慣れない手つきで田植えを手伝っていた。
「継(つぎ)ちゃん!もっと腰に力を込めてやな!」
「はい!」
もう一人の少女がその少し遠くで田植えを手伝っている。
「おぉ?継ちゃんより石ちゃんのほうが筋がええな!」
「え、ほんまですか?」
継と石は大谷村の村娘である。二人は幼なじみであった。
「あら、私石には負けへんで!」
二人の少女を見守る大人達の中に大谷村の村長(おさ)がいる。村長の名は大谷吉房。村人達から慕われ、皆が頼りとするリーダーである。
「女子といえど頼りになるで。先が楽しみやわ。」
「ほんまやな!継と石には働いてもらわな!」
「わしらもまだまだ負けへんで!」
大人達が作業に戻ってしばらく、継が吉房めがけて走ってきた。
「なあなあ長殿、平馬はいつ帰ってくるん。」
石の手がピタリと止まった。
「うぅむ、来年になるわ。」
「来年?今すぐにでも帰って来てほしいわぁ。」
「ん?何でや」
「だって、田畑の人手足りんし。」
そこへ石も割って入る。
「そんなこと言って、平馬と一年も離れとったで寂しいんやろ?」
「ちゃうわ!そういう石は寂しいん?」
「私は寂しいで!」
「分かった分かった。二人とも、持ち場に戻り!」
「はい!」
吉房の声に従い、継と石は持ち場へ走った。
それから一刻の後、田植えの作業が全て終わった。
「皆、今年の田植えもご苦労やった!」
「いやぁぁ、長殿こそお疲れ様や!」
「あ、いや。皆が丹精込めてやってくれるおかげやで!毎年ほんまにありがとな!」
「長殿が人一倍頑張っとるで、私らももっと頑張らな!」
「おうよ!来年も頼むで!」
そこへ吉房の幼なじみの圭助が大声を出して走ってきた。
「おーい吉房ー!観音寺から文やー!」
「圭助!」
「ほれ!仁文様からや。」
圭助は吉房に文を渡した。吉房は文に目を通す。
「……ほうか!平馬がな!」
丁寧な筆跡と内容に吉房は感激した。

「吉房!吉房!」
圭助がいきなり大声で叫ぶ。
「今度は何や!」
吉房は驚きながら顔を上げた。
「あれ見てみ!」
二人の視線の先には、穏やかな村の風景には似合わない、馬にまたがる武士の姿があった。
武士は村人達の前で止まった。村人は全員その場にひれ伏す。
「村長は何処!」
武士が強く迫った。吉房が前へ出る。
「私でございます。」
「お主、村長の大谷吉房で間違い無いな。」
「はっ。私が村長の吉房でございます。」
「我が殿からそなたに書状である。一読されたい。」
武士は懐から書状を取り出し吉房に渡した。
「しかと。」
「以上である。」
「して、中身は……?」
「一読せよ!」
そう言って武士は颯爽と走り去って行った。
「馬上からの物言い、無礼極まりないな。」
「よせ圭助。武士とわしら村のもんでは、身分がちゃうんや。」
吉房は書状に目を通した。
「……なんやこれ。えらい走り書きや。」

 日が暮れた。
吉房は自分の小さな屋敷へ帰った。
「ご苦労様でした。」
「うむ。東、お前にも苦労をかけたな。」
「何、毎年の事でしょう。」
吉房の妻の名を、東(とう)と言う。
吉房は浮かない表情をしていた。
「お前様?」
「ん?何や。」
「元気があらへんけど、何かありました?」
「……。今日は疲れた。飯にしよか。」
「はい、かしこまりました。」

夕食を済ませた二人は縁側に出て夜空を見ていた。
吉房は昼間受け取った二通の文を並べた。観音寺からの文と武士が届けた書状である。
「これは?」
「ええ知らせと悪い知らせや。どっちから聞きたい?」
「……では、ええ知らせから。」
吉房は観音寺からの文を手に取った。
「平馬が村に戻ってくるで。」
「平馬が……?あと一年ほど後ではないんですか?」
二人には一人息子がいた。名は大谷平馬。村を束ねる立派なリーダーになるため、一年前から観音寺で学を修めていた。
観音寺は大谷村から八里ほど南東にある。この寺の住職を仁文上人といった。
「薬が効いたで。和尚様曰く、平馬は他のどの寺小姓よりも頭が良く、優しく、気遣いもでき、それはもう出来がええらしい。」
「……あの子、いつの間に。」
「ほんで、寺におるのはもったいないで、村へ帰って家を助けたほうがええって話らしい。」
「一年ぶりか……。」
東が目頭を押さえだした。
「ほんまは二年の算段やったが、そういうことなら致し方ないわ。平馬に会えるで。」
東は鼻声ながらも口を開く。
「………………。ほんで、悪い知らせは?」
「ああ。」
吉房は気まずそうに、武士からの書状を取り出す。
「戦へ行くことになった。」
東の涙は一気に引っ込んだ。
「どちらへ。」
「若狭と越前や。」
「まさか……朝倉様と?」
「そのまさかや。」
「浅井様が朝倉様と戦を。信じられへん。」
大谷村がある北近江は、浅井家の所領である。浅井家と朝倉家は、かねてより深い関係にあった。
「それもこれも、織田がためや。」
「織田がおれば勝てるんですか。」
「多分な。徳川もおるし、味方が負けることはあらへんやろうが。」
しばらくの沈黙が流れた後、東は吉房の手を固く握った。
「旦那様……。」
「何や改まって。」
「絶対帰ってきて下さいよ。」
「お前はわしが戦に行く度にそれやな。わしは何度も戦に行っとるが、毎回生還しとるやろ。」
「……だって。あなたが死んだら、この村はどうするんです?」
「………平馬がおる。どうせ帰ってくるんやで、丁度ええわ。はっはっはっ!」
「笑い事やあらへんわ!縁起でもない!」
「冗談や、冗談。」
この時代、農民が戦に召集されるのはよくある話である。平時は農業を、戦時は戦へ赴く、吉房はいわゆる地侍層であった。
「三日後、村を発ち城に入ることになっとる。」
「三日後……?そんなに早く……。」
「書状も走り書きやった。ご領主様は急いどるんや。」
東は吉房の手を固く握る。
「………必ず、帰ってきて下さいな。」
「おうよ。秋の収穫までには帰ってくるで。」
「………村の者達も待ってますで。」
二人は熱い抱擁を交わした。

 そしてあっという間に三日が経った。吉房が浅井家の居城・小谷城へ向かう日がやってきたのである。村人総出で送り出すことになった。十五、六の少年から四十前後の男まで、わずか十人足らずの兵が村から出立する。
「では皆、しばらく村を空けるが、留守は頼んだで。」
吉房がそう言うと、継と石が前に出てきた。
「平馬が帰ってくるって?」
「ほうや!わしが戦から帰ったら平馬も帰ってくるで!」
「やて!良かったな石!」
「良かった!」
そこへ東が木でできた水筒を持ってやってきた。
「はい。」
「お、あんがとな。」
水筒を受け取った吉房は東に微笑んだ。
「途中観音寺に寄って平馬の顔見てくるわ。」
「……はい。平馬によろしくお伝え下さい。」
全員の支度が整った。
「出立やー!」
「どうかご無事でー!」
「ご武運をー!」
女達の声が村中に響き渡った。

 一行は小谷城を少し通りすぎ、平馬がいる観音寺に向かった。
吉房が寺の門をくぐると、二、三人の寺小姓が庭の掃除をしていた。
「仁文様!吉房にござる!」
「おぉ吉房殿!よう参られた!」
住職の仁文上人が出迎える。吉房と仁文はかねてから親交があった。
「おい平馬!父上がお見えや!」
「はい、ただいま!」
聞き慣れた声が反ってきた。そこへ十一歳の少年が書物を抱えて現れた。
「………平馬……。」
「父上、お久しゅうござる。平馬です。」
この少年こそが、大谷村の跡取りの大谷平馬である。吉房は思わず平馬に飛び付き抱きしめる。
「久しい!久しいで平馬!」
「はい!私も、父上にお会いしとうございました!」
吉房は平馬の顔をまじまじと眺める。
「お前……、ちと顔が大人っぽくなったな。それに声も若干低い。それから背も伸びたな。」
平馬が少し困惑していると、外にいた寺小姓たちが集まってきた。
「えぇ!平馬兄さん、村に帰るん?」
「嫌や!平馬兄さんともっとおりたい!」
平馬は苦笑した。
「随分と、慕われとるようやな。」
「皆、平馬を兄と慕い敬っとる。平馬は頭はええし、機転も利くもんやで、困り事を全部解決してまうでな。」
少し赤面する平馬の脇から寺小姓が一人、はい入ってきた。
「このお侍さんたち、平馬兄さんを村へ連れて帰るん?平馬兄さんも戦に行くん?」
平馬はふと我に帰った。再開の喜びで頭が回っていなかったが、よくよく考えれば吉房は鎧を身にまとっている。見覚えのある、胴に白い蝶が描かれた鎧である。
「急な事で申し訳ないな。実は父は戦に行くんや。」
「戦?一体何処へ。」
吉房は頭を掻いた。
「ご領主様は尾張の織田と同盟され、上洛し都の公方様に忠誠を誓ったのでしょう?一体誰と戦うのです?」
「ははは………いやぁ、これは驚いたな……」
吉房は平馬の博識さに驚愕した。
「まさか朝倉なわけありませんよね。」
平馬の呟きに吉房と仁文は顔を見合わせた。
「……そのまさかや。」
「まさか………。でも確かに、朝倉は公方様の上洛の要請に応えないと和尚様が言っておりましたが……」
「………平馬、しばらく会わぬうちにこんな賢くなりおって。」
「わしの教えのおかげやな。」
平馬は少しはにかんだ。
「こやつを寺に置いとくのはもったいないで。村へ戻り、その知恵で父や母を助けるのがええわ。」
仁文が平馬の頭を撫でると、平馬はその手を払いのけた。
「子ども扱いはやめて下さい。私は十一です。大名の子であれば家督を継いでいてもおかしくないのです。」
「そうやそうや。」
吉房と仁文は笑い合った。
「それでや平馬。」
「はい。」
「わしが戦から帰ったら、村へ帰ってこい。」
「え?……あぁ……しかし…」
平馬は返答を渋った。
「ん?帰りとうないか?」
「いや。私がここから離れると、ここの人手が足りなくなるのでは。和尚様、大丈夫なのですか?」
「あぁ……心配せんでええ。間もなく石田村から次男坊が来ることになっとる。お前の変わりに丁度ええわ。」
石田村は観音寺に近い村である。平馬は悩んでいた。
「母上も待っとるで。戻って来い。な?」
「…………分かりました。」
「えええぇぇー!嫌や!」
奥で寺小姓達が駄々をこねている。
「父上、その代わり約束して下さい。」
「ん?何をや?」
「必ず、戦から帰ってくると。」
「…………は……はっはっはっ!」
「笑い事ではありません!」
「………お前は母そっくりやな。安心せえ。此度は織田も徳川も一緒や。決して負けはせん。」
「織田と徳川も……」
平馬は頷きながら吉房の手を強く握った。
「ご武運、お祈りしております。」
「おう。できた息子や。」
そう言って、吉房一行は観音寺を去った。
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